義父の認知症の介護をして3年目。
症状の進行が早い...

認知症とわかって
1年くらいしてから
同居することになった。

その頃はまだ
話をしたり
一緒にカルタをやったり
散歩にも行かれた。

でも、今はすっかり変わってしまった。
話さない、トランプも出来ない。
ご飯を食べるのも
トイレに行くのも
介助が無いと出来なくなってしまった。

同居して
義母にも結構驚いた。

義父に対しての言葉に
愛が感じられず
端で見ている私や子供たちの
心が傷付いた。

「なにやってんの!」
「何で出来ないの!」
「ワケわかんない事しないで!」
「いい加減にしなよ!」
「しっかりしなさいよ!」

義父は認知症という病気。
そんなこと言われたって出来ない事がある。
その言葉は認知症の介護者のための本に
「言ってはダメ」と書いてある言葉ばかり。

私も夫も
「その言い方はしてはダメなんだよ」
と伝えても、義母は
「我慢出来ないのよ。頭に来るのよ。
    私がいけないって言うの?
    私を責めないでよ!」
と逆切れるばかり。
義母は認知症の事を理解しようとはしない。
受け入れられないまま...。

案の定、どんどん症状が進行する。
そして毎晩義母は
「何でこんな事(義父が認知症)に
    なっちゃったんだろうねぇ...」
と嘆く。

そんな日々だから
義父は私と義母に手をあげるようになった。
私は150センチの小柄。
義父は170センチで体格もしっかりしている。
痛いし、怖い。
義母は無理でも私は優しくしなければ
と頑張っていた心が砕けていく。
怖い気持ちと、
「何で叩くんだよ」という怒り。
でも、義父も、
怒りの気持ちを表しているんだ。
怒りvs怒りは、修まる所がない。
私が力ずくで何かをしようとすれば
義父も力ずくで抵抗する。
結果、クタクタになる。
いいはずがない。
優しく出来ない自分を責める自分。
優しく出来ない私を
「ママは優しくしなきゃダメだよ」と諭す娘。

義母の攻撃は私にも向かった。
「やっておいたら楽なこと」を
事前にやっておくと
「嫌味なの?私が出来ていないって
    言いたくて、こういう事をするの?
    あなたは何でも出来るからって、
    それは私に対しての嫌がらせ?」
と言われて驚いた。
私自身も介護のことを何も知らない所から
スタートして、
本を読んだりネットで調べたりして勉強して
覚悟を決めて介護をしている。
何でも出来る訳じゃない。
やらなきゃ困るからやっている。
やりたくてやっているんじゃなくて、
(仕事な訳じゃないし)
やらなきゃ他に誰がやる?状態だから
やってるんだ。
下の世話まで、
この生活で出来るようになったんだ。
泣きながら、やってるんだ。
それなのに...。

1年半が過ぎた頃
私の心は今にも壊れそうになった。
このままじゃ、自分の心が危ないと
自分の悲鳴に気がついた。

義父がデイサービスに行っている間
私は仕事に出ている。
その出勤時に電車の中で
斎藤一人さんの動画を聞いていた。
この状況を乗り越える学びがあった。
心が軽くなり、救われた。
実践してみたら、楽だった。

自分の機嫌は自分でとる。
どんな人にでも笑顔で接する。
どんな時でも笑顔で居る。
何をする時も「愛」の元に行う。

そう、義母がどんなに機嫌が悪くても
私は気にしない。
私は笑顔で居る。
「嫌味だ」「ノー天気だ」
「私がこんなに辛いのに」と言われても
笑顔で居る。

そしたら、今はだいぶ
自分をコントロール出来るようになったし
義父母の事で自分の心が乱れないようになった。

有り難いことだ。
感謝だ。

そして、この境地に至った理由の
義父の介護にも、感謝だ。
義父の介護という経験がなければ
学べなかったと思う。

やっぱり、
「その人に必要な事が起こる」んだと
今は理解できる。