私もお二人のように、自分のことを話すのを
とてもためらいました。
理由はちょっと違って、
家族を晒し者にしてしまうような後ろめたさが
あったからです。
開き直って晒してしまうことができたら
どんなに楽だろうかと何度も思いました。
それでもできなかったな〜。
だけど記事を読んで光が射しました。
せっかく反吐を吐くような辛い思いをして来たのに
それを埋もらせてしまうのはもったいない。
なんのためにそれを経験して来たの?
誰かに何かを伝えるためじゃなかったの?
そんな声がハートの奥から聞こえてきたんです。
その通りだと思いました。
私の経験を埋もらせてしまったら、
私は何のために経験して来たんだろう。。。
怖さを超える勇氣が誰かの勇氣に火をつける。
誰かの勇氣が次の勇氣へと繋がって行く。
勇氣ってそういう性質のものですよね♡
私のして来たことも、それを伝えることも、
別に恥ずかしいことじゃないし。
むしろ誇らしいことだし♡
だから隠す必要なんてないんですよね!
癒えた今だからこんな風に思えるのかも
しれないけれど。
もうモジモジしないで
私に出来ることをして行きますね。
私が経験して来たことを無駄にしないために。
そして、
歯を食いしばってここまできた私のために♡
私に出来ることをするというのは、
自分に対する最大のリスペクトでもあるんですね。
導くってずっと引っ張ることだと思っていたけど、
最近はやってみせることかなと思っています。
やってみせるのが一番人の心に届きやすいのかも
しれないなぁ、と。
山本五十六さんも「やってみせないと人は動かない」
って言ってましたしね。
アメノウズメみたいに裸踊りすることは
とてもじゃないけどできないけど、私は私の
やり方で見せて行けばいいのならできそうです。
今までは見せる勇氣がどうしても出せなかったけど、
見せることも出すこと。出せなかったから豊かさの
流れが滞ってたんでしょうね〜。
「出すって何を?」ってどんだけ考えても
わからなかったのに、放っとくとある日突然
「そういうことか!」ってなるんですよね〜。
不思議なもんです。
実はこの記事書いてるとき庭に黒猫が入って
来たんです。
黒猫が来たのは初めてです。
写真を撮るとすぐまた出て行ってしまいました。
神の遣いだったと思っています。
黒猫やカラスは不吉(の前兆)だという人もいますが、
私は全くそう思いません。
キキョウの鉢の中で何を探していたのかなぁ。。。
金色の目の黒いネコ♡
ちなみに今うちの庭は原っぱと化しています
原っぱな風景も嫌いじゃありません♪
だってお花が咲いてきれいだもん♡
私にとっての平成の最後はとてもいい感じ♪
時代の終わりと新しい幕開けをひしひしと感じます!