私ができること 私の勇氣が次の勇氣に繋がる | Fabulous Days

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The Love Life
of twin stars!
☆〜(ゝ。∂)

私もお二人のように、自分のことを話すのを

 

とてもためらいました。

 

理由はちょっと違って、

 

家族を晒し者にしてしまうような後ろめたさが

 

あったからです。

 

開き直って晒してしまうことができたら

 

どんなに楽だろうかと何度も思いました。

 

 

それでもできなかったな〜。

 

だけど記事を読んで光が射しました。

 

せっかく反吐を吐くような辛い思いをして来たのに

 

それを埋もらせてしまうのはもったいない。

 

なんのためにそれを経験して来たの?

 

誰かに何かを伝えるためじゃなかったの?

 

そんな声がハートの奥から聞こえてきたんです。

 

その通りだと思いました。

 

私の経験を埋もらせてしまったら、

 

私は何のために経験して来たんだろう。。。

 

怖さを超える勇氣が誰かの勇氣に火をつける。

 

誰かの勇氣が次の勇氣へと繋がって行く。

 

勇氣ってそういう性質のものですよね♡

 

私のして来たことも、それを伝えることも、

 

別に恥ずかしいことじゃないし。

 

むしろ誇らしいことだし♡

 

だから隠す必要なんてないんですよね!

 

癒えた今だからこんな風に思えるのかも

 

しれないけれど。

 

もうモジモジしないで

 

私に出来ることをして行きますね。

 

私が経験して来たことを無駄にしないために。

 

そして、

 

歯を食いしばってここまできた私のために♡

 

私に出来ることをするというのは、

 

自分に対する最大のリスペクトでもあるんですね。

 

 

導くってずっと引っ張ることだと思っていたけど、

 

最近はやってみせることかなと思っています。

 

やってみせるのが一番人の心に届きやすいのかも

 

しれないなぁ、と。

 

山本五十六さんも「やってみせないと人は動かない」

 

って言ってましたしね。

 

アメノウズメみたいに裸踊りすることは

 

とてもじゃないけどできないけど、私は私の

 

やり方で見せて行けばいいのならできそうです。

 

今までは見せる勇氣がどうしても出せなかったけど、

 

見せることも出すこと。出せなかったから豊かさの

 

流れが滞ってたんでしょうね〜。

 

「出すって何を?」ってどんだけ考えても

 

わからなかったのに、放っとくとある日突然

 

「そういうことか!」ってなるんですよね〜。

 

不思議なもんです。

 

 

実はこの記事書いてるとき庭に黒猫が入って

 

来たんです。

 

黒猫が来たのは初めてです。

 

写真を撮るとすぐまた出て行ってしまいました。

 

神の遣いだったと思っています。

 

黒猫やカラスは不吉(の前兆)だという人もいますが、

 

私は全くそう思いません。

 

 

キキョウの鉢の中で何を探していたのかなぁ。。。

 

金色の目の黒いネコ♡

 

ちなみに今うちの庭は原っぱと化していますにひひあせる

 

原っぱな風景も嫌いじゃありません♪

 

だってお花が咲いてきれいだもん♡

 

 

 

 

私にとっての平成の最後はとてもいい感じ♪

 

時代の終わりと新しい幕開けをひしひしと感じます!