ではまず、私がなぜオウム真理教に入信したか、その動機を明らかにしていきます。

 

 細々した話も一部に含まれますが、実際どういう傾向の人がオウムに入っていったか、そして今後もオウムのような組織に入っていく可能性があるか、その人たちにどう接していくべきか等を検討する際の参考としていただくために、あえて記していくつもりです。


 私がオウム真理教に入信した要因としては、次の3つが考えられます。


①霊的要因
 幼少時から自分に起きていた不可思議な霊的体験を説明してくれる存在を求めていたこと。


②哲学的要因
 人間いかに生きるべきか、戦争をどうなくすべきかという問いへの回答をしてくれる存在を求めていたこと。


③時代的要因
 20世紀末に訪れるというハルマゲドン等の地球規模の大破局にどう対応すべきかという問いへの回答をしてくれる存在を求めていたこと。


 これら3つの要因について、順に記していきます。



●1,オウム入信の土壌となった霊的要因


(1)頻繁な肉体からの分離体験

 
 私は幼少の頃から、肉体から別の身体が抜け出す(と極めてリアルに感じられる)体験を頻繁にしていました。

 

 特に寝入りばなに多く、例えば手だけが抜けたり、下半身だけが上の方向に引っ張られるように抜けたり、上半身だけが起き上がるように抜けたりということが、ありました。このときは、寝ぼけたり夢を見たりしているのではなく、意識は鮮明でした。


 それ以上によくあったのは、金属音のような不思議な音が自分の体の周りを包んだかと思うと、頭頂から会陰のラインを中心軸にして、肉体とは別の身体が猛烈な勢いで回転するという現象でした。このときの意識も鮮明で、「ああ、また回り始めた~、どうしよう!」という焦燥感にかられるのです。

 

 そうして回転のスピードが徐々に上がり、最高度に達すると、意識が体からポーンと突然抜けていくのです。その瞬間に、まるで異次元のような不思議な空間に放り出されたり、あるいは気を失ったりしました。

 

 このとき、誰もいないにもかかわらず、枕元で誰かが話し合っている声が聞こえたり、誰かが自分に話しかけてきたりということもあったので、寝るのが怖く感じられることもありました。


 こういうことが日常的に繰り返されたので、人間にはこの肉体以外に別の身体があるに違いないと自然に思うようになっていきました。

 

 すでに5歳の頃には、自分の心ってどこにあるんだろう、肉体をどんなに切り開いても見えない心はどこにあるんだろう......と、しきりに考えていたほどだったのです。


(2)現実と変わらないリアルな夢


 そして睡眠中に見る夢は、非常にリアルでした。この現実世界とほとんど変わらない鮮明さで、単に夢を「見る」というよりは、きちんと体があって、その夢の世界の中で普通に五感をともなって、自分の意志で動いて体験をするのです。机を叩けば手応えはあるし、ものを食べれば味もします。誰かと会話もします。それは、あたかも睡眠中に別の世界に行って活動しているという感じでした。

 

 夢の中で同じ場所に何度も行ったり、行くたびにその世界の住人から、「ここはお前の来るところではない」と追い返され続けたり、ということもありました。

 

 いずれにせよ、あまりにもリアルな世界なので、ぱっと夢から覚めても、どちらが本当の世界なのかわからないほどでした。


 なお、このような夢の体験は、友達に話しても理解してもらえませんでした。あまり夢を見ないか、見ても不鮮明な映像を見ているにすぎず、よく覚えていないというパターンがほとんどだったからです。


(3)未来のことを夢で見る


 また、夢の中で未来に起きる出来事を見るということも、しばしばありました。未来とはいっても些細な日常生活のことでした。


 たとえば、朝ぱっと目が覚めます。時計を見ると7時10分。ベッドから出て、机の上に置いてあった通学用カバンを持って部屋を出て、1階の台所に降りていきかけます。しかし、ふと忘れ物があるような気がして、机まで戻ると、今日持って行くはずだった世界史の教科書が机の本棚に入れたままだったので、「あー、忘れるところだった、危ない危ない」と思いつつ、教科書をカバンの中に入れて、1階に降りていきます。

 

 ......という夢を見た後、本当にパッと目が覚めます。何だ今のは夢かと思いつつ、時計を見ると7時10分。机の上のカバンを持って下に降りようとした途中、あれ?何か忘れ物をしたような気がすると思って、机まで戻ると、世界史の教科書が机の本棚に忘れてあって、あー危ない危ないと思いつつカバンに入れたところで......あれ、さっき夢で見たのと同じだ。というような具合です。


 こんな夢もありました。ある夏の日、ベッドの上で昼寝をしていて、ぱっと目が覚めると14時30分。汗をかいていて暑かったので、ベッドからわざと転がり落ちて、冷たい床の上を芋虫のようにゴロゴロゴロゴロ転がっていたところに母親がいきなりドアを開けて入ってきて「何してんの?」と私に問いかける。

 

 ......という夢を見た後、本当にパッと目が覚めます。時計を見ると14時30分、その後の展開は、まったく夢で見たとおりとなります。もちろん母親が入ってきたことも、話しかけてきた言葉も、同じです。


 実に些細な予知夢(よちむ)なのですが、こうしたことが当たり前のように起きるので、自分にとって、この世界というのは実に不可解で、ひょっとして目に見える世界というのは仮の世界ではないのかと思うようにさえなりました。

 

 こうした体験は、後に、私が世紀末予言を信じることになる原因の一つになります。

(4)家族と共有した、いわゆる霊体験


 肉眼だけではとらえられない不思議な世界があるということは、上記のような自分の体験だけではなく、母親の話からも感じていました。

 

 私の母親も、いわゆる霊的な感覚に敏感で、夜目が覚めたら、椅子に白い人影が座っているのが見えたとか、武士の顔が天井に浮かんで見えたとか、そのような話をよくしていました。

 

 私も子供の頃、夜中に人がいるはずのないところに人の気配を濃厚に感じることがあったので、母親の言っていることは感覚的に理解できました。


 また、私が幼稚園児のときに暮らしていたマンションでのことです。

 

 玄関には鍵がかかっていて、誰も外から入ってこられないにもかかわらず、部屋の中を学生服の男がすーっと通り抜けていって奥の方で消えたのです。母親はそれを目撃しており、当時幼かった私も、その後ろ姿だけを見て親戚のお兄さんがやってきたものと勘違いし「お兄ちゃんが来たよー」と母親に告げました。私と母親の二人で、そろって奇妙なものを見てしまったのです。


 そのマンションでは他にも奇怪なことがありました。天井からつり下げてあった丸形の蛍光灯が落下して、真下の畳の上に落ちていたのです。

 

 普通、丸形の蛍光灯は、電灯傘の中で3カ所か4カ所を金具でしっかり固定され、電線も差し込まれているのですから、そんなに簡単に落ちるはずがありません。それなのに、部屋の真ん中の畳の上にすっぽりと落ちていて、父親・母親と幼稚園児だった私が蛍光灯を取り囲んで、何で落ちたんだ??と皆で目を丸くしていたことを覚えています。


 さらに、別の日には、その蛍光灯が落ちた部屋の畳が、雨漏りも何もしていないにもかかわらず、一面ぐっしょりと水で濡れるという出来事もあり、これも両親が首をかしげて不気味がっていました。

 

 そのマンションでは飛び降り自殺者が出たこともあるそうなので、いわゆる幽霊屋敷だったのではないかと両親が後から話していたのを覚えています。


 他にも、父方の祖母が亡くなった後、祖母の墓石に祖母の顔が浮かび上がったということで、親戚一同で大騒動になったり(その後、顔は徐々に消えていったそうですが)、その他にも不思議な話がいろいろと周りに当たり前のように溢れていたのでした。


 なお、このような類の話は、当時お昼のワイドショーの「あなたの知らない世界」と題する心霊特集番組でもよく取り上げられていましたから、世の中に普通にあることなんだと思っていました。


(5)ユリ・ゲラーの来日で超能力を発揮


 不思議な世界の存在は、超能力者として知られたユリ・ゲラーが1980年頃に来日した際に、確信としてさらに深まりました。

 

 このときユリ・ゲラーは、生放送で全国の視聴者に対して、一緒にスプーン曲げをしようと呼びかけていました。私もスプーンを持ってテレビの前に座って、彼と共に一心にスプーンをこすり続けました。そして、ユリ・ゲラーが、「Now!(今だ!)」とかけ声をかけた瞬間、スプーンに少し力を加えたら、何とグニャッと簡単に曲がってしまったのです。

 

 その後、スプーンはすぐに固まってしまい、普通の力では元に戻せなくなりました。


 驚くことはまだ続きました。ユリ・ゲラーは次に、視聴者に見えないようにして紙に絵を描きました。その絵のイメージをテレパシーで全国の視聴者に送るので、それを受け取って紙に描いてみてほしいと呼びかけました。

 

 すると私の隣にいた妹が絵をスラスラと描き始めたのです。その後、ユリ・ゲラーが画面に見せた絵と、妹が描いた絵が全く同じ絵(確か車の絵)だったので、これにも驚かされました。

 

 目に見えない不思議な世界の存在を、また一つ実感させられる出来事でした。

 以上のような霊的な体験が積み重なっていくにつれて、私の中に、霊的な世界への興味や関心が徐々に高まっていったのです。

 

 特に、幼少の頃から自分の身に日常的に起き続けていた霊的な現象の中には不快なものも多々ありましたから、そこから抜け出すためにも、こうした現象を明快に説明してくれる存在を求め始めたのです。

 

 人間には肉体以外の体があるのか、死んだらそれが抜け出して、また生まれ変わるのか、いったいこの世界の構造はどうなっているのか、夢の世界はあるのか、未来は決まっているのか、超能力の正体は何なのか......このような飽くなき霊的探究は、オウム真理教に出会うまで続いていくことになります。

 

 つまり、これらがオウム入信につながる霊的な要因となっていったのです。


●2,オウム入信の土壌となった哲学的要因


 霊的要因の次は、哲学的な要因について記してみます。これは一言で言えば、「人はいかに生きるべきなのか」という探究を重ねてきたということです。


(1)人はいかに生きるべきか悩む


 中学から高校時代にかけては、人はいかに生きるべきなのか?という問題で悩みました。言い方を変えると、そもそも人は何のために、何を目的に生きているのだろうかという問いかけです。


 寝る前にベットの上で横になると、自然とよく考えこんでしまいました。もし人類の科学技術が究極まで発展して、人間が一切の労働から解放され、食べ物すら自分の口にまで運ばれてくるような時代になったとしたら、つまりゴロゴロ寝ているだけでもよい状態になったら、それ以上人間は何をする必要があるのか? 何をするようになるのか?

 

 五感の欲望を際限なく追求して自堕落な生活に陥り、ブクブク太って、単に食べては排泄するだけの動物のような生き物になってしまうんじゃないだろうか。

 

 享楽の果てに滅亡したローマ帝国の歴史を知って、そんな疑問にもさいなまれました。


 もっとも五感の欲望以外にも、人間には芸術や文学など、より崇高とされるものを追い求める精神もありますが、人間に完全な余暇ができれば皆そうなっていくかというと、それは疑問でした。「小人閑居して不善を為す」という諺にもあるとおりです。

 
(2)ナチスと変わらない自分にショック


 また、その頃読んだ本の中で、ナチス・ドイツが、その優生保護政策の過程で、自国の精神障害者や身体障害者を抹殺したり断種手術したりして、彼らの生きる権利を踏みにじっていたという事実を知ったのですが、それも人が生きる意味を突っ込んで考えるきっかけとなりました。

 

 というのも、こうしたナチスの所業を知ったとき、私はショックを受け、これはひどいと思って憤慨したのですが、しかしその一方で、私がナチスに向かって、「いや、彼らにはこれこれこのように生きる意味合いがあるのだ」と、明確に反論し擁護するための明確な言葉を自分が持っていないことに気づいて、自分自身にショックを受けたのでした。ショックが2度襲ってきたのです。

 
 この自分自身に対するショックは、『ジョニーは戦場へ行った』という小説を知ったときに、また強烈に感じることになります(小説といっても、実話に基づいて作られたものだそうです)。

 

 ジョニーはアメリカ兵として第一次大戦に出征し、戦場で砲弾に吹き飛ばされ、重傷を負います。両手・両足を失い、目も鼻も耳も口も全て失ってしまいます。その状態で、研究目的のために、包帯でぐるぐる巻きにされた状態で、医師たちによってベッドの上で生かされ続けます。

 

 彼は、ベッドの上で栄養のみを与えられ、身動き一つできず、一切の外界とのコンタクトを奪われ、暗闇の中にただ固定されているのです。しかし、意識だけは鮮明で、自分が置かれている状況を理解し、絶望感にさいなまれます。

 

 彼は、自ら死ぬこともできず、苦しみながら、ただただベッドの上で、過去の思い出に浸り続けるだけの毎日を送ります。やがて優しい看護婦があらわれ、親切に彼の面倒を見始めます。彼女は、このような状況でも研究目的のためにジョニーを生かし続けていることに疑問を感じ、(頭を動かしてモールス信号で)殺してくれと必死に訴えるジョニーに深く同情して、延命装置をとめて、彼を死なせようとします。しかし、医師たちによって、それは阻止されます。

 

 ジョニーは、殺してほしいと(心で)叫びつつ、暗闇の中で生かされ続けていきます......。

 

 だいたいこのような話だったのですが、私はこれを知ったとき、ジョニーに対して、「どんなに辛くても生きろ、生きる意味があるんだ」と語る言葉を持っていなかったことに、あらためて強いショックを受けたのでした。

 

 いやむしろ、同情して彼を殺してあげようとした看護婦にこそシンパシーを感じたのです。

 

 ですから、もしジョニーの前にナチスの学者がやってきて、「こんなやつには生きる価値はない。単に周りに余計な手間や費用をかけさせるだけのお荷物にすぎない。殺してしまおう。現に本人も殺してくれと言っている」と言ったとしても、私はそれに反論する言葉を持てなかったのです。

 

 それどころか、「殺してあげた方がいいでしょう」と答えてしまうであろう自分を発見したのです。

 

 そんな自分を発見したときに、自分は結果としてナチスと一緒だ、何も変わらないと思って、さらなるショックを受けました。

 また、もし自分がジョニーのようになってしまったら、自分は何を目的に生きるんだろう。やっぱり死にたいと思うだけだろう。それを考えたときにも、頭を抱え込みました。

 

 人が生きる目的、存在する意味......どうしても、どうしてもこのことを考えざるを得なかったのでした。

 
(3)国防に命を捧げようと思ったこと


 単に五感の欲望を満たし続けるだけの一生は、まるで動物のようで、どうしてもむなしく感じましたし、仮にもそれが人生の目的なら、ジョニーのように五感の大部分を失ってしまった場合、人は生きる目的を失うことになってしまいます。

 

 また、ジョニーのように意識だけが残ってしまっても、果たしてそれにどれだけの意味があるのか見いだせない。むしろ永遠に苦しみが続くことになってしまう。

 

 そんなことをずっと考えているうちに、自分の喜びのため――言い換えると自分の五感や意識を喜ばせるためだけに自分の人生を送ることが、むなしく感じられるようになってきました。


 それならば、自分というちっぽけな、そしていつかは死んでしまう脆いもののためでなく、自己を超越した、もっと崇高で広大なもののために自分の人生を捧げるしかないのではないかという気持ちが生じてきたのでした。


 そこで自分が最初に明確に意識した、自己を超越した崇高な存在というのが、日本という国家なのでした。

 

 日本のため、国のために生きたいという感情の湧出です。

 

 なぜかはわかりませんが、私の場合、子供の頃から日本的なものが大好きで、日の丸や君が代に純粋に感動し、日本の文化や歴史、天皇という存在に対して、強い興味、関心、誇りというものを持っていました。和歌もたくさん暗唱し、自分で詠んだりもしていました。部屋には日の丸も掲げていたほどです。

 

 だから、こうした日本を末代まで守り抜く生き方、つまり国の防衛に従事したいと考えるようになったのでした。

 

 先の大戦で日本中が空襲されて焼け野原になり、大勢の人が無惨に死んでいったという事実を、小学生の頃、戦争体験のある父親や親戚から聞いたり、テレビや本で見たりして以来、二度と日本をこんな悲惨な目にあわせないぞという気持ちを抱き続けていました。そういうわけで、自然と、国防に関する仕事をしたいと思うようになっていったのです。


 戦争の惨状を見てからは、そもそも戦争自体をどうやったらなくせるのかということも、よく考えていたのですが、その頃までに出していた自分の結論は、強大な軍事力を整備して他国の侵略を抑止するという考えでした。

 

 アメリカに原爆を落とされ、ソ連に北方領土をとられ、日本人捕虜がシベリアに不法に連れて行かれて何万人も死んだのは、ひとえに日本の軍事力が彼らに劣っていたからだと考え、それならもっと強大な軍隊を備えて、二度と戦争に負けない国にするしかないという思いだったのです。そうすれば日本に戦争をしかける国はなくなるし、戦争もなくなるに違いないと。

 

 それが、その頃の私にとっての「現実的」な解決策でした(今思えば単純な考えですが、それが10代半ばのことでした)。

 

 そのために自分の人生を捧げようと思い、独自に勉強を始めました。『軍事研究』という雑誌を購読し、軍事・国防、国家安全保障に関する書物を買ったり図書館から借りたりして、暇があれば読み続けました。

 

 防衛費の削減が国会で論じられたときには、防衛費削減反対と国防の必要性について訴える文章を読売新聞に投書し、投書欄に掲載されたこともありました。高校2年生の頃です。

 

 兵士として耐えうるようにとも考え、毎日、筋力トレーニングやジョギング等にも励みました。そのため、クラス全員で鉄棒で懸垂をしたら一番最後まで残るほどの体力がつきました。

 

 そんな感じでしたから、中学・高校時代は、友達から冗談まじりに「右翼」「青年将校」などと呼ばれ、左派系の学校教師からは変わった奴と目されていました。

 
(4)国防の道への疑問が生じる


 しかし、やがて、そういう生き方についても疑問が生じ始めてきました。2つの理由からです。

 

 一つは、戦争を回避するために諸国が軍事力を増強するという方法に、むなしさを感じたからです。軍事の勉強をしているうちに思ったのですが、軍事力の増強レースは、果てしなく続くものです。たとえば、よく出される例として、戦車の砲弾と装甲の関係があります。

 

 A国が、B国の戦車の装甲を貫通する砲弾を開発すると、B国は、A国の砲弾を跳ね返すための、より堅固な戦車の装甲を開発する。するとA国は、強化されたB国の戦車の装甲を貫通する砲弾をさらに開発し、B国は、A国の強化砲弾を跳ね返すためのさらに堅固な装甲を開発する......という具合に、互いが互いの力を打ち破るための際限のない競争が展開されていくのです。

 

 軍事技術は、人の生命や国家の威信がかかっているだけあって、日進月歩の勢いで進んでおり、しかも莫大な資金を消費します。

 

 そして生み出されるものは、相手国に対する恐怖心や相互不信の増幅......。

 

 これは戦争をなくすための本質的な手段ではないと思いました。人の心そのものを変えていかないと、戦争はなくせないし、日本も守れないのではないかと思い始めたのです。

 

 ただし、それは世間でよく見られる反戦運動や、学校での反戦教育というような次元で実現できるとも思えませんでした。それは空理空論にしか見えませんでした。


 2つ目の理由は、自分が守ろうとしている日本という国のあり方自体が、よくわからなくなったからです。

 

 今の日本は、自分が生命を捧げるに足る国家なのかという疑問です。確かに素晴らしい文化、守りたいものはあるけれども、日頃テレビ・新聞・雑誌などから流れてくる情報は、五感の喜びをあおるもの、即物的なもの、人の心をかき乱すものが大部分で、いったいこの国はこれでよいのかという疑問が高まってきたのでした。

 

 もし日本が誤った方向に行こうとするなら、最終的には武力によって一時的に国を制圧するのもやむをえないと思い詰め、日本近代史上最大のクーデターだった2・26事件に共鳴して、研究することすらありました(これも後のオウム事件に関係してくることですが、その際に詳述します)。


 自分が生涯を捧げる以上は、日本は良い国であってほしい。そう思ったのです。しかし、そもそも良い国とは何なのか......、国民一人一人が良い生き方をできる国だ、では良い生き方とは何だ......と考えると、結局最初の疑問に戻ってしまったのです。

 

 つまり、人間は、いかに生きるべきか。いや、そもそも何の目的で生きているのか?

 

 どうしても、この疑問に回帰してしまうのでした。


(5)哲学や思想の勉強に入る


 そこで、生きる目的、意味合いの探究が本格的に始まりました。古今東西の哲学や思想を勉強してみようと思い立ったのです。


 何から読めばいいのかわからなかったので、とりあえず、中学校の校長先生が愛読していたという儒教の経典『論語』から読み始めました。小遣いの大部分をはたいて、明治書院から出ていた5200円の上製本を買い求め、毎晩のように読みふけりました。『論語』の中では、人間の最高の徳目である「仁」を身につけるために、孔子のもとに集った弟子達が、孔子と真剣に、しかしながら人間味溢れるやりとりをしていました。

 

 孔子は、世の富貴などは浮雲のようにはかないものであり、道を求める楽しみは、たとえどんなに貧しくてもその中に自ずからあるものだと説いていました。また、どんなピンチに陥っても、自分には天命があるから、それに従って身を修め天下国家のために生きるのだと、物質的な欲楽や個というもの超越した求道者の生き方を指し示していました。

 

 私も、貧しくてもこのような先生のもとについて、天命を得て、道を求めて、世の中の役に立っていきたいという気持ちを強めていきました。

 

 これは、その後のオウム真理教への出家の伏線となっています。


 学校の教科科目の中では、こうした分野に一番近いのは「倫理」でした。しかし私の高校では(他の高校でもそうだったかもしれませんが)、「倫理」は「政治・経済」との選択制になっていて、どちらか一つしか選べませんでした。私は、どちらも学びたかったのですが、やむなく「政治・経済」の授業を選択し、「倫理」については独学することにしました。

 

 そこで、「倫理」の教科書を、教科書販売店に行って自費で求め、参考書やその他の関係書籍も一緒に買い込んできて、毎日のように読み始めたのです。

 

 その結果、何千年もの長きにわたって、世界中の思想家や宗教家が、人間の生きる目的・意味について、すさまじい情熱をかけて探究し続けてきたことがわかりました。

 
(6)宗教に関心が移る


 実は、私はそれまで、宗教全般に対しては一種の偏見があり、あまり近づいてはならないものだと思っていました。両親からも、宗教だけにはのめり込むなと言われていましたから、なおさらでした。

 

 しかし、自分なりに哲学や思想を求めていくと、どうしても宗教の分野にたどり着いてしまうのでした。特に、釈迦やキリストという存在は、私には大変魅力的な存在に映りました。他の哲学者とは比較にならないほどの広がりや優しさを感じたのでした。

 
 ですから、いろいろな宗教関係書も読みあさるようになりました。

 

 神道、仏教、キリスト教、その他の新興宗教、特に保守系・愛国系ともいえる教団「生長の家」関係の書籍はよく読み、講習会に参加したこともあります。

 

 やがて、宗教の世界を生きた人たちは、肉眼では見えない広大な神秘的世界を体験していると感じるようにもなりました。私が子供の頃から体験していた不可解な霊的現象も、宗教界の人たちが比較的よく説明してくれていたため、いっそう宗教への関心・傾斜が強まっていったのも自然なことでした。


 キリスト教の経典『聖書』も独自に読み始めました。日本キリスト教会が朝早くから放映していたラジオ番組を毎朝聴いて、無料の通信講座まで受けて聖書の勉強を続けました。


 そのうち、キリスト教系新興宗教の「エホバの証人」の布教をしている男性が私の家にやってきて、「一緒に聖書の勉強をしませんか?」というので、タダでやってくれるならまあいいかと思って、週に1度くらいのペースで毎回2~3時間ほど、家に来てもらい、聖書講読をしました。

 

 もちろん、「エホバの証人」独自の教理解釈も含まれており、それはそれでそういうものだと思って参考までの勉強に留めましたが、その後の私に一定の影響を与えたのは、終末思想の話だったと思います。

 

 いずれこの世に終わりが来て、全ての人は、その行いに応じて神の最終的審判を受けるという考え方でした。これは、私がオウム真理教に入信した一つの要因を形成しますが、これは後ほど詳述します。

 
(7)高校中退を考えたこと


 こうして、人間いかに生きるべきかという探究を独自に重ねていったわけですが、当然ながら、こういうことは学校では全く教えてくれませんでした。

 

 こういう話題をここまで真剣に話し合えるほどの友達はいませんでしたし、教師もしかりでした。

 

 ある教師は、授業の場で、「人間は何のために生きているのか、なんてことを考えてちゃダメだぞー。そんなこと考えてたら、勉強が手につかなくなって、受験に失敗するぞー」などと言っていましたから、私はますます学校というものに失望してしまいました。

 

 だから、私は自ら道を求め続けようと思って、担任の教師に退学の意向を伝えたのです。私の高校は学区内トップの名門校でしたから、大学進学が当たり前であり、教師からも親からも当然強く慰留されました。

 

 慰留を受けて、結局退学は取りやめましたが、その頃から私は、普通の大学に行って、普通の会社に行って、普通の家庭を持って......という生き方に対して完全に興味がなくなり、高校を出たら求道の旅にでも出ようかと考え始めていました。


(8)「大宇宙の意思」に沿って生きる決意


 そうしているうちに、寝入りばなに印象的な体験を繰り返すようになりました。

 

 ベッドで寝ている自分の身体の境界が消えて、無限の大宇宙に溶け込んで広がっていくような、そんな体験でした。

 

 宇宙と一体になっていくような感覚です。

 

 そうした体験を続けるうちに、この大宇宙には、宇宙に生きるすべての生命体を包み込んで進化させる、果てしない広がりと深みをもった至高の存在がある、と感じさせられるようになりました。

 

 その存在のことを何といえばよいかわかりませんでしたが、普通の宗教でいう「神」や「仏」、孔子が言っていた「天」のようなものではないかと思いました。ただし、それは人格を超えた存在です。ですから私は勝手に「大宇宙の意思」と名付けていました。

 

 だから私は、自分というものを捨て去って、「大宇宙の意思」に沿って生きよう、それが大宇宙に生きる全ての生き物のためになる、それが自分の使命なのだと考えて、意識が高揚していくのを感じていたのでした。

 

 しかし、「大宇宙の意思」に沿って生きるといっても、具体的にどうしたらいいのかはよくわからず、引き続き、いろいろな宗教関係書を読んでは、生きる目的・意味の探究を続けていったのでした。


 以上が、私がオウム真理教に入信する前に形成した哲学的な要因です。これが後のオウム入信に結びついていくことになります。
 


●3,オウム入信の土壌となった時代的要因


 以上の霊的要因・哲学的要因に続いて、次は、時代的な要因について記したいと思います。


(1)ノストラダムス等の予言


 私は、中学生の頃、当時注目されていた五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』という本を読みました。続刊も貪るように興奮のうちに読み終えました。

 

 よく知られている通り、中世フランスの大予言者ノストラダムスが、1999年の地球規模の大破局を予言していたという内容です。

 

 1980年代は、五島勉氏だけではなくて、様々な人物がノストラダムスを取り上げ、『ムー』や『トワイライトゾーン』といった雑誌も、盛んに特集記事を組んで、世紀末の危機をうたっていました。

 

 ノストラダムスだけではなくて、エドガー・ケーシーやジーン・ディクソンといった現代の予言者も、2000年前後に大破局が到来すると予言していました。

 

 『新約聖書』の最後部に位置する「ヨハネの黙示録」も、世紀末のハルマゲドン(最終戦争)の光景を描いたものだとして、頻繁に紹介されていました。

 

 私は、それらの本を友達と貸し借りしながら読んで、予言は現実化する可能性が高いと感じていたのでした。


(2)予言が現実化すると思った理由


 まだ当時は冷戦のまっただ中で、アメリカとソ連が激しい軍拡競争を繰り広げていた時代です。レーガン大統領はスターウォーズ計画を打ち上げ、はるか宇宙にまで戦場が拡大していくかのような様相を呈していました。

 

 上記に記したとおり、軍事に関心を持ち勉強していた私は、確かに全面核戦争が起きても不思議ではない、崩れかかっているソ連が一か八かの大勝負に打って出る可能性も否定できないと思い、予言を深刻に受け止めていました。

 

 また、戦争の危険性だけではなくて、異常気象についても当時は騒がれ始めていましたから、それがさらに予言に現実味を帯びさせていたのです。


 そもそも予言なんて非科学的なものだ、当たるわけがないと考える人たちが大部分だったとは思います。ただ、私の場合、先に記したとおり、自分の身の回りに起きる些細なことを夢で予知するという出来事が日常的にありましたから、未来を予言するということは、そのシステムこそ不明なものの、可能なことだと思っていました。

 

 自分のような者であっても、その能力がわずかばかりにでもあるのだから、もっとすごい予言能力を持った人物がいても不思議ではないし、ノストラダムスなどはきっとそういう人物なのだろうと、自然に受け入れていたのです。


 また当時は、人類の破局を扱ったアニメや映画が人気を博していました。「風の谷のナウシカ」や「AKIRA」は、全面戦争で崩壊した後の世界が舞台でした。小松左京の「復活の日」も、細菌兵器や核兵器で地球が崩壊していく様を描いていました。

 

 特に「復活の日」の中で描かれていた、細菌兵器で全滅した東京の光景は、あまりにもリアルだったため、衝撃を受けたのを覚えています。


 それに加えて、上記の「エホバの証人」の布教者からも、面と向かって「最後の審判があります」と言われ続けましたから、世紀末に向けてのボルテージは上がる一方でした。


 こういう雰囲気に包まれながら、予言された破局の到来に緊張を覚え、それにどう対処したらいいのかということを真面目に考え始めていたのでした。

 
(3)大破局を望んでいた自分がいた


 そうして大破局を恐れる一方で、実は、大破局を待望している自分がいることにも気づきました。

 

 なぜなら、この手の大破局予言は、単に地球や人類が滅亡してそれで終わり――というものではなく、滅亡の後で地球が精神的に浄化されて、神の統治する理想的な世界が到来するというものだったからです。

 

 つまり、腐敗し堕落した人類が神聖な存在に生まれ変わるための、産みの苦しみが、この大破局だと位置づけられていたのです。


 しかも、五島勉氏はじめ、幾人かの予言の解釈者は、その大破局の際に、地球を救う役割を担う勢力が、この日本から登場すると主張していました。

 

 予言以外の一般の文明論においても、当時から、この行き詰まった世界の物質文明を打破するには、精神性を重視する東洋文明しかないという論調がありましたから、日本から世界を救う勢力が出るとの予言には、真実味を感じました。

 

 もちろん、自分に元来内在していた日本に対する愛国心的要素も満足させられる内容でした。


 上記に記したとおり、人間は何を目的に生きるのか、人生にどんな意味があるのかを悩み続ける一方、この現実世界の矛盾や乱れのようなものを感じていた私にとって、来るべき大破局は、神のような偉大な存在が問題を一挙に解決してくれる待望すべき出来事に映ったのです。

 

 犠牲は大きいかもしれないけれども、この大破局の後には、全ての人が生きる目的を見いだし、理想的な正しい生き方をし、全人類が崇高な意識状態に到達し、戦争もない素晴らしい世界が実現する。それなら、自分も、この破局を乗り切れるように、精神修養に努めよう、そして日本から現れるという救済者の集団に自分も参加して、地球人類の幸福のためにお手伝いさせてもらおう――そんなことを真剣に考えるようになったのでした。


 ここには、いろいろな私自身の願望が含まれていたと思います。もちろん、世界のために尽くしたいという気持ちも本気でありましたが、その一方で、そうした血湧き肉躍るストーリーの中に没入する興奮、そして自分がその中心領域に入っていって活躍するという一種のヒーロー願望もありました。


 そんな気持ちを抱きながら、ハルマゲドン等の大破局を乗り越えるにはどうしたらいいかを考え、日本に現れるという救済者集団とはどこにあるのかを探し始めたのでした。

 

 これが、私がオウム真理教に入信することになる時代的要因だったのです。



●4,オウム入信の要因が出そろう


 以上に述べたように、


①霊的要因=幼少時から自分に起きていた不可思議な霊的体験を説明してくれる存在を求めていたこと。
②哲学的要因=人間いかに生きるべきか、戦争をどうなくすべきかという問いへの回答をしてくれる存在を求めていたこと。
③時代的要因=20世紀末に訪れるというハルマゲドン等の地球規模の大破局にどう対応すべきかという問いへの回答をしてくれる存在を求めていたこと。


という3つの要因が出そろったところで、私は1988年を迎えることになります。


 この年、私はオウム真理教に初めて出会い、翌1989年に入信することになるのですが、当時のオウム真理教は、これら3つの要因に基づく私のニーズに完全にマッチする存在だったのです。


 それは、次のパートで詳しく述べていきたいと思います。