■麻原の妄想的な信仰を「誇大自己症候群」の一部として理解する

 「誇大自己症候群」に基づいて考えると、麻原は、青年期を過ぎても、等身大の自分を受け入れて、社会における現実的な自分の活かし方を見つけて、健全・建設的な自尊心をもって生きることができず、繰り返し、「誇大妄想」に基づく挑戦をし続け、破綻を繰り返しながら、最後に破滅した、ということができます。

 子どものころから、大人になるまで、その「誇大な欲求」は絶えることなく、むしろ、何かにつまずいて破綻するたびに、ますます大きくなって、さらに大きな破綻をして、そのたびに違法行為の度合いも大きくなっていきました。

 具体的には、

①人徳もなく生徒会長になろうとして落選し、
②学力もなく「国立の医学部に入学し医者になる」とか、「東大の法学部に入学して総理大臣になる」と主張し失敗し、
③薬局を開いてからは、知り合いの医師を騙して保険金の不正請求を犯して返還請求をされて事業が破綻し、
④高額な漢方薬を売りまくって薬事法違反を犯して逮捕され刑罰を受け(略式起訴)、
⑤宗教団体を開いてからは、民主的に政権をとろうと考えて、選挙に出て惨敗し、
⑥その後は教団武装化=軍事力によって、日本・世界の王になろうとして、
⑦95年をきっかけに、一連の事件が発覚して、破滅した、

 という経緯です。

 こうして、彼は、最後まで、自分が「とてつもなく偉大な存在になる」という欲求を持ち続けました。そして、ヨーガ修行の道に入った段階で、麻原は、その自分の願望を満たす存在を見つけます。それは、麻原の内的世界に現れていた「神(特にシヴァ大神)」でした。

 すなわち、心理学上で言えば、シヴァ大神を初めとする神々こそが、彼の「誇大自己」を満たすための「理想化された親のイマーゴ」だったのです。

 もちろん、シヴァ大神は、彼の内的な体験ですから、瞑想をよく知っている人は、「内的ヴィジョン」とか「瞑想体験」などと言いますが、一般の方には、いわゆる「夢」と同じような性質を持つものであって、実際は、彼とは別の「神様」が現れたのではなく、彼らの「潜在意識が作り上げたヴィジョン」であると解釈していただければと思います。

 なお、ヨーガ・仏教の世界では、単に潜在意識が作り上げたものだとせずに、そういった妄想的な欲求をもった人に縁ができる、「マーラ(妄想神)」というものの存在を説いていますので、そのように解釈することもできますが、ここでは、科学的に検証できない、宗教教義の概念はあえて利用せず、誰もが理解できる言葉を使いたいと思います。

 そして、彼の内的な世界に現れる「シヴァ大神」を初めとする「神々」は、彼を常に「地球で一番偉大な人物になる者」として位置付けます。これは、彼の「誇大自己」の欲求の現れと解釈できます。

 具体的には、彼の神々は、彼に、以下のような啓示・示唆を授けます。

①1985年に、「アビラケツノミコトを任じる」との天から啓示を受ける(「アビラケツノミコト」とは、神軍を率いて戦う光の神であり、神仙の民の国を築くものと解釈され、「シヴァ大神」と相談して、その命を受けることにする)

②その後、守護神から「お前はマイトレーヤである」といった示唆を受ける。

③88年、シヴァ大神から、「ヨハネ黙示録を紐解くように」と言われ、その解釈を行い、自分がハルマゲドンの際に現れる「キリスト」であると解釈する。

④89年、神々から「キリストになれ」という示唆を受ける。

 こうして、麻原の神々は、「アビラケツノミコト」「マイトレーヤ」「キリスト」というように、「世界最高の救世主」としての位置付けを彼に与える者でした。

 麻原の神々とは、誇大自己症候群の理論における、「肥大化した理想化された親のイマーゴ」です。子どものころに現実の親に捨てられた、という気持ちが強かった彼は、子どもの頃に、「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」への欲求を適度に充足させて、成長とともに適切に解消していく、というプロセスをたどることはできなかったようです。

 その後、麻原は、あるやくざの関係の人に面倒を見てもらって、親代わりと思うまで愛著しますが、その人は病気でこの世を去りました。

 また、西山氏という宗教法人も持つ経営者に相当に傾倒して師事し、彼から「彰晃」という名前をもらい、生涯使うことになりますが、同氏は、麻原の特異な人格に気づき、とても扱いきれないと考えて、絶縁することになります。
 こうして、麻原の青年期を見ると、現実世界において、適切な時期・形で、自分の誇大自己を満足させる「理想化された親のイマーゴ」を得て、適切な時期・形で、「誇大自己」を弱めて現実的な自尊心に変えて、さらには、「理想化された親のイマーゴ」を相対化して現実的な他への尊重を育んでいく、というプロセスがうまくいっていなかったと思われます。

 その結果として、彼は、彼の「理想化された親のイマーゴ」を彼の「内的な妄想」に得ることになったのではないでしょうか。彼は、シヴァ大神を、「わたしの魂の主であり、わたしのすべてである」と語っていました。「神々」とか、「主」という概念は、まさに理想化された親のイマーゴが示す、「絶対者、神」を示す言葉です。

 そして、誇大自己症候群の特徴として、「反抗と服従」がありましたが、「シヴァ大神」は「絶対服従の対象」となります。しかし、絶対服従といっても、彼にとっての「シヴァ大神」は、あくまでも彼の「誇大自己」を満足させてくれる存在であり、それがゆえに、「シヴァ大神」に帰依するのです。


■現実の先輩修行者たちには、反発・反抗し続ける

 そして、「シヴァ大神」に「理想化された親のイマーゴ」を見いだした後の彼は、現実の世界の先輩修行者について、それを本当の意味での尊重・尊敬の対象とすることはなく、次々と否定していきました。

 例えば、雨宮師、パイロットババ師、カル・リンポチェ師、ダライ・ラマ法王などが現れますが、最初は、高く彼らを評価しながら、少し付き合うと、すぐに「自分よりも下の存在」と位置づけました。

 パイロットババ師の下では、師と約束した期間の修行をせず、途中で帰国してしまい、カル・リンポチェ師のイニシエーションも途中から断り、ダライ・ラマ法王も修行者・瞑想家としては評価しなくなり、政治家としての評価にとどめていきます。

 特に、88年のカル・リンポチェ師の際は、「自分の前生のグル」であるとして信奉し始めたかと思えば、しばらく経つと、同師のエネルギーが、シヴァ大神のエネルギーとは違って、(ヨーガでは否定的な意味合いのあるエネルギーである)「タマスである」と否定して、途中から、学ぶことをやめてしまいました。

 その後、日本に師を招いて、自分の信者に引き合わせた際も、しばらくすると、「カル・リンポチェ師のイニシエーション(瞑想法の伝授)を受けた信者がおかしくなった」と主張し、それに加えて、「タントラ・ヴァジラヤーナの教えでは、グルは一人である」として、師が、彼の信者にイニシエーションを与えることを断りました。これによって、信者たちは、「麻原以外のグル」を得ることは事実上できなくなっていきました。

 その後も、このタントラヴァジラヤーナの帰依、「一人だけのグルに絶対的な帰依をする」という考えは残りました。これは、誇大自己症候群に照らし合わせて考えれば、その要素である強い「支配欲」だったと考えられるでしょう。

 さて、麻原が、このような宗教的な妄想世界にのめり込んでいった原因としては、生徒会長の選挙の落選、進学の失敗、治療家としての挫折、政治家志望の挫折などを含めて、現実的な非宗教的な世界における挑戦が挫折した結果として、必然的なことだったかもしれません。

 これに関連して、自分が師事した西山氏から、「政治家は無理だから、弱い人を集める宗教をやりなさい」と助言されて、宗教家になっていったと思われる経緯があります。

 実際には、彼自身が、弱い人であり、まっとうな生き方では成功できない弱さと、そのままでは満足できない弱さがあったのかもしれません。その結果として、自分が「解脱者」といった「特別な存在」になれる可能性がある、宗教世界へのめり込んでいったのかもしれません。


■「妄想的な予言」に見られる麻原の誇大妄想と被害妄想

 そして、その後の宗教活動では、社会から不当に弾圧されているという「被害妄想」を生じさせるとともに、自分がコントロールできる幻想の世界の中で、自分が絶対者であるという「自己万能感」に浸ろうとして、「予言に基づいた教団活動」の世界にのめり込んでいったのではないか、と思われます。

 実際に、「神軍を率いて戦い、ハルマゲドン後の世界の統治者になる」というのは、彼の「誇大妄想・支配欲求」を満足させる内容であって、喜々として自分を「その存在」として位置付けたのではないでしょうか。

 この「アビラケツノミコト」の体験を、麻原の強い「自己誇大視」の特質から分析すれば、まさに、彼の潜在意識の願望を体験したものだったと考えられます。しかし、彼はそれを「神から与えられた真正の啓示である」と思い込んだ(思い込みたかったからそうした)のでした。

 その体験をする前にも、彼は、知人に、「自分は鍼をやっているが、これは仮の姿であって、自分は世直しの指令を受けてきている。この国を変えなければならない。」と話しています。その意味でも、体験が、「自己の願望のヴィジョン化」と推測することは合理的だと思います。

 そして、この体験が示す救世主としての妄想的な位置付けに対して、より具体的なシナリオを加えたのが、次の段階の『滅亡の日』の出版でした。その背景には、麻原が熱中した川尻氏が描いた『滅亡のシナリオ』(川尻徹、週刊プレイボーイ特別取材班、1985)のフィクションの世界を現実と取り違えて、「有名な予言を自作自演で成就させる」という妄想でした。

 それは、「ヨハネ黙示録」や「ノストラダムス」といった予言上の「救世主」であり、悪の軍勢と戦い、ハルマゲドン後「世界を統治する者」であり、しかも重要なこととして、その予言をシナリオ=計画と見て、自分の教団によって実現する「使命」がある、という思い込みでした。

 自分の思うように世界を操れる=操りたいという「自己誇大視」から生じる、麻原の万能感への欲求と支配欲は、「自分こそが、絶対神から与えられた特別なシナリオによって、その予言=シナリオを計画通りに遂行していく」という『滅亡のシナリオ』の考え方にマッチしたのでした。

 そして、立花隆氏が書いているように、麻原は、信者をだましたのではなく、ヒトラーと同様に、自分自身も本気で「ノストラダムスの予言」や「ヨハネの黙示録」の予言を「信じ」、自分が予言を実現させるべき人間であると「信じ込んでいた(信じたかった)」のだと思います。これはまさに、誇大自己が肥大化した結果として、人間心理に潜む「狂気」といえるでしょう。

 さて、1990年3月の説法を見てみます。この時期は、坂本弁護士事件に関連して社会から攻撃を受け、総選挙に敗北し、敗北を「被害妄想的」に受け取るという、「社会から理不尽な扱いを受けている」という認識の下での説法です(真実は理不尽でもなんでもないのですが)。ここでは、弾圧の理由自体が「自分が弾圧されると予言された救世主だから」という「誇大妄想」から導き出されており、誇大妄想と被害妄想がセットになっています。

 最初からまとめると、まともな準備や地盤もなく総選挙に出て成功するという「誇大妄想」を抱いて、それが当然のごとく惨敗に終わると、今度はそれを、社会の弾圧と断じる「被害妄想」が生じ、それと同時に、弾圧されるのは自分が救世主だから、という「誇大妄想」を膨らませていきます。


「今、日本においてオウム真理教は徹底的なサンドバッグの状態になっている。なぜ、オウム真理教がそのサンドバッグの対象にならなければならないのか。
(中略)
わたしはどう考えているかというと、やはり『ヨハネの黙示録』に出てくる、そして『ノストラダムスの予言』に出てくる教団であるから当然であろうと。
 君たちも、もう知ってるかもしれないが、ワシントンに、1990年、今年だね、ものすごい巨額な費用をかけて、ユダヤ人がナチス・ドイツに虐殺された、そのための記念館を造るということだ。
(中略)
 いよいよユダヤ人、フリーメーソンが登場したなと、表面に出てきたな、と、これがわたしの印象です。そして、オウム真理教に対する彼らのバッシングの狙いは、オウム真理教を崩壊させること、あるいはオウム真理教を従わせることにあると。
(中略)
 私が今ここに存在しているのは、すべての魂がいつの日か必ずマハーニルヴァーナに入るためである。そして、それをなさせること、これが私の使命だと考えています。
 オウム真理教にとって90年代の日本で生き抜くことは至難の技でしょう。しかし、この至難の技を乗り切れるという予言の内容がある以上、乗り切らなければならない。そして、新しい光音天へ向かう地球づくりをしなければならない。」
 


 こうしてみると、麻原と社会の関係は、麻原の妄想的な過激な言動に、社会が反発し、その社会の反発を麻原が自己の誇大妄想を増大させるために再度利用する、といった、一種の「悪循環」があったのではないか、と思います。

 これが、オウム真理教が、社会からの批判・攻撃に強い側面を形成していたのです。こうして、相手が過剰な激しい反発をすればするほど、それを自分の「被害妄想」と「誇大妄想」に結びつけ、さらに社会の注目を集めて振り回しますから、本来は、力強くも静かな落ち着いた対応をすることが最善だったのかもしれません。

 ともかく、このような仕組みによって、「世界征服をたくらむ影の組織フリーメーソンが教団を攻撃してくるのであり、自分たちは予言された救世主の団体である」という幻想世界を突き進み、それに弟子たちを巻き込んでいったのでした。


■時代全体にあった(妄想的な)予言の流行

 なお、このような彼の妄想的な予言への傾斜は、広い意味では、時代の潮流の一部であったように思われます。

 例えば、「ノストラダムスの予言」については、1973年の五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)がベストセラーになりましたが、麻原も、その存在を知ったことでしょう。

 その後、麻原が入信した阿含宗でも、桐山氏が『1999年カルマと霊障からの脱出』(桐山靖雄、平河出版社)という本を1981年に出してもいるので、さらに興味が増していったと判断できます(麻原は1980年夏に阿含宗に入信している)。

 さらに、その後、酒井勝軍という人物の影響で、岩手県の五葉山にヒヒイロカネの収集に行っています。その時に、酒井が五葉山頂でハルマゲドンの黙示を受けたという話を案内者から聞いた、といいます。

 その酒井勝軍の予言は、「今世紀末、ハルマゲドンが起きる。生き残るのは、慈悲深い神仙民族(修行の結果、超能力を得た人)だ。指導者は日本から出現するが、今の天皇とは違う」というものでした。

 その他にも、ヒトラー、エドガー・ケーシー、ジーン・ディクソン、出口王仁三郎と、破局の予言をしている人は大勢いました。そのような時代の潮流に乗った上で、麻原は、それらの予言よりも、さらに妄想的な「自己の予言」に傾斜していったのです。