私の父は、病弱で力仕事は不得意でしたが。
歌が好きで司会が得意でした。
62 歳の時、脳出血で言語障害・車椅子生活となり。
10年の自宅療養ののち
あちらへ還っていきました。
( ↑第1子の、国立大受験3日前に )
( ↑ さすがに『 えっ今、お父さん!』と思いました ^_^ )
介護生活の中では
父が倒れてから知った借金を返済したり。
母も介護疲れから施設入居となったり。
90 代の祖母にも徘徊が始まったり、、、
( みな同居してた家族です)
父が病気を受け入れられない時期は、拒食や介護抵抗も頻繁で。
『 家政婦見た!』さながらの人生劇場が展開される中。
子供は小学〜高校生活を送りました。
父も、かろうじて動く左手で小刀を握り
何度もお腹を刺そうとしましたが、、、
( 残念ながら、、
← えっココ残念でええんか?)
その時が来ないと、身勝手に
還る時期を早めることもできないようでした。
そんなこんなを経て
三年目くらいから、毎日、車椅子に座って音楽を聴き。
あんな好きだったお酒も飲めなくなり。
倒れる前
( 社交的で2日に一回ペースの外食三昧)
とは真反対の性格&生活パターンになりました。
まるで、、、
陰陽のバランスをとる
かの如く。
( ナニゴトも、バランスなんだぁ 〜 )
自分を育ててくれた人の
情け無い姿を、見なければいけなかったり。
陰では家族を裏切っていたことを知ったり。
( 父が操作できなくなった本人のケータイから、わけわからん女性からの着信や意味不明なハガキ?!
〜それを手数少なめに処理したのも私。
その時、立腹&暴言吐きましたが。
控えときゃ〜 よかったぁ 、、、
小学生の娘から
『 あの時、母さん 《このエロジジい》って言ったよね。』
と数年後、指摘されました。)
^_^
アハ。
その娘も今春大学卒業し
社会人になります。
総じて子煩悩ではあった、父。
その父の言葉で
一番 、心に残っているものは。
私が小学生の時
『 お父さん、植物人間になって生きていて、いいことあるの?』
と質問すると。
( 迷わず)
『 ある!!』
『 あるよ!』
『 植物人間になっても、いいことがあるよ!』
『植物人間になってもね
《生きている ☆ 》
という、素晴らしいことがある!』
と 断言してくれた父。
お父さ 〜 〜 ん
なんちゅう、ええセリフ
〜 ( 感動!!)
けど
排便しながらの発言でした。
( あー えぇ〜話 やったのに、、)
^_^