それぞれに母を選んで | 緑の森で深呼吸~お山に花を咲かせましょう☆

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家の前の山に、公園を創っています。

最近よく
『 子供はみんな、今の親を自分で選んで生まれてくる。』
という話を聞きます。

嘘かホントか ( 別にどちらでもいいけど)

なんとなくそうかなと感じることもあります。


母が不安を沈める薬を飲みだしたのは
( 結果的に、全然沈まらないことは分かった)
40代前半でした。

施設入居しないといけない状態になったのは、60代前半。

もともと家事は不得意で、苦しみながらやっているのも子供ながら気付いていました。

断捨離理論ではないですが、ヒドイ家の状態と同じく 自分の心もどうしようもない時があり長年苦しんだのかなと思います。

だから父が倒れ、父を頼ることができなくなりさらに不安が増した母が翌年 施設入居してからの 5 ~ 7 年は

まさに 溜め込んだものを処理していく
今で言う 『 実家の断捨離 』
(概算 で 軽トラ 250~ 300 台は軽くあるんじゃないか?)
しながら、三人の介護と農業でした。

実は今ヨガ教室で使っている部屋も
使わない物がパンパンに詰まった二十畳でした。


倒れる前の60代の両親から暴力を受け 、顔が腫れることや
『 お前の子供、殺してやる!』
と言われたことも、まぁ、、ありますが

^_^ ( 汗 )

その頃は、私も経験が少なかったもので

一応、真剣に涙し

『 この世は、地獄! 』
とばかりに、自分が産まれてきたことを恨みました。 ^_^ ( あは )

子供は小学校低学年。

戸惑いながらも何も言わず私の側にいる、その二人の子供がいなかったら、、、

今ごろブログなんか書いていません。


倒れてから知った父の借金を払いながら、
農業や母や祖母のことをなんとかし、、

両親や過去を呪っても、目の前のことは何も変わらないし

人はみんな完璧ではなく

いくら悪いことをしていても、、

いざ、弱った姿を目の前にすると

『お父さんお母さんも、辛かったんだね』
としか思えませんでした。

徘徊していた祖母が亡くなった翌年、実妹が二度目の離婚で我が家に戻り、三ヶ月妹を預かり新生活スタートさせた後。

久しぶりに母を外泊させ。

その痩せ細った姿を見て

体重も31kg ( 身長は160cm )

なんとなく 『 あっ、 今なら家で看れる』
とよぎったので。

大反対の姉妹に隠れて、退院のための外出外泊を繰り返しました。

介護保険 ( 利用限度) いっぱいいっぱい
のデイ・ショートを入れてもらっても、それでもしんどい時があり、全額負担でショートステイを使って凌いだこともありましが。
三ヶ月くらいで、荒波はなくなり薬を飲まなくてもいい状態になり。

何一つ家事ができなかった状態 から、畑仕事と大抵の家事は一人で出来る状態になりました。


長年、両親の『 困ったちゃん 』
と向き合ってきても
心の奥に

『 この二人は、私じゃないと面倒見れない』
という確信に近い思いがあり

息子に
『 あの二人は母さんじゃないと無理じゃけえ、
今度生まれる時も私はあの二人の子に生まれてくる』
と言っていました。

父の初盆を終え

『 どの子も、親を選んで生まれてくる 』
と聞き。

やっぱりそうだ!
『 母さんは、またあの母を選ぶよ ^_^ 』

と言うと、息子が

『 母さん、たまには違う人を選んで楽しんさいや』

と笑いながら答えました。