3月4日のこと。 | 母と私の闘病日記

母と私の闘病日記

生きてればなんとかなるさ。

3月4日。


体力も低下し、固形物が完全NGになった母。

点滴で栄養を補うだけの日々。


ラストの治療法のAP療法も2.3回で打ち切り。


父・姉・私が主治医のH先生に呼ばれました。


H先生は男性の先生ですが、すごく優しく、母に優しく語りかけてくださり全力を尽くしてくださる方です。


小さな小部屋に呼ばれ、H先生から一言。

「帰るなら今です。」

その意味が、私はすぐに理解出来ませんでした。


えっ?もう治ったの?治療いいの?

元気なお母さんに戻れるの?

お家でいつも通りに過ごせるの?


そんな呑気な事を考えていましたが、H先生からの次の一言は、私達家族を絶望に落としました。


「今月、もつかどうか。あとは、お母様の体力次第かなと思います。」


あぁ。

もう。

治療が出来ないんだ。

あとは、母が希望していたお家に帰るって事なんだ。


ポロポロと涙が溢れてきます。


でも、私達が泣くと母も泣いてしまうし、何より母が1番辛いはずだから泣いてなんかいられない。


すぐに介護ベットを手配し、ケアマネさんや訪問看護師さんとスケジュールの確認が始まりました。


こんなにも気持ちの整理の時間が無いものなのか…。急ぐ事は確かに大切ですよね。


先生とのお話が終わって病室に戻り、母に


「お家に帰れるよ!ママの大好きなお家だよ!お家でゆっくりしようね!」と声をかけると

今までにないくらいの満面の笑み😊

ヤッター!とバンザイしていました。


ただ、すぐには退院出来ず手続きやケアマネさんとのお話もあるので、退院は3月6日になりました。


本当に、母は嬉しかったんだろうな。

お家に帰れることが。