お久しぶりです。 | 母と私の闘病日記

母と私の闘病日記

生きてればなんとかなるさ。

お久しぶりです。


母の家族会議を終えてから、なんと私がコロナになってしまい早急に一人暮らしの家に帰りしばらく母と会えない日が続いていました。


今は復帰しています。


本当に辛かったです…。

母に移すわけにもいかないので、1人で戦ってました…。


まず母のこと。

主治医の方から説明がありました。

まず、病気発覚から手術をし、この抗がん剤を行いました。など。


今母は、最後の治療法と言われてるAP療法で抗がん剤を行っています。

それが効かなかったらの場合や、万が一呼吸が停止した場合などを家族で話し合っていた方が良い。など。

胸が痛くなる程辛い話でした。

母も父も姉も泣いて。全員で泣いて。


でも、泣いてて何も始まらないし、泣いても母が良くなる訳ではありません。


今出来ることを全力でやろう。と思いました。

そして初めて父の涙を見ました。

父は、いつもヘラヘラしている部分があり私は正直「なぜ母が病気なのにそんなヘラヘラしているんだろう」と思う部分もありました。

ですが、父は「誰かが笑っていないと家族全員が悪い方向に進む。誰か1人でも笑っていた方がいい。だから俺は笑ってるんだ」と泣きながら言っていました。


なんというか。

さすが、父だなと思いました。

私よりも遥かに長い時間母と過ごし、生涯の伴侶に母を選び一生を添い遂げる事を誓った父は、私よりも何か大きなものを背負っているのだなと感じました。


そしてこれからのこと。

ガン患者はいつ急変するかもわかりません。

もし、呼吸が止まったら、心臓が止まったらどうするかの判断を家族若しくは本人に聞いておく必要がある。

まだ、家族で話し合いは出来てないですが(私がコロナになったり、姉が仕事でドタバタしていた為)母本人に聞くと、病気なり始めくらいは「そんな延命治療なんてしないですよ〜笑」と明るく笑っていたそうですが、いざ今聞くと「何も答えられない」と涙ながらに話していました。


多分、母も相当辛いんだろうな。

現実を突きつけられて。


母が1番辛いから、私も泣きたくないと思えば思う程涙が溢れ出てきます。


そして、緩和ケアの事。

母が病気になってから実は1番精神的に病んでしまったのは私で、日頃より母に時間構わず「会いたい」や「いなくならないで」をLINEで送ったり、一緒に寝ている時は泣いたりしていました。

そんな私を見兼ねた母が、緩和ケア看護師さんを付けて下さり30分ほど担当の看護師さんとお話しました。

担当看護師(Hさん)はとても優しく、本当に全てを知っているもう1人のお母さんみたいな感じ。

Hさんは何も否定すること無く私の話を、「うん、うん。辛かったね」と聞いてくださりまたそこで号泣。


母も最後の方は合流し、母も「辛い思いをさせてごめんね」と言っていましたが、母は何も悪くない。


というか、誰も何も悪くない。


今、出来ることを。

今、一生懸命に。

母も生きようとしています。

私も頑張らなきゃいけない事が山ほどあります。


私は一人暮らしの家を引き払い実家に戻る予定です。

出勤は少し遠くなるけど、それでも毎日母のいる家に帰れる事が嬉しいです。


さて、自分に鞭打って頑張ろう。


母はまだ生きる力をもっています。

どうか皆様、私が違う方向にいかないよう道を見失わないよう見守っていてください。