この週末はニュースも何も見ていなくて今朝知ったのですが
全国的に寒くなってるんですね
北海道から九州まで雪が降ったとは
びっくりでした
こちらもまた


そんな寒い週末
先週金曜日
1月20日 午後11時31分
母方の祖母が93歳の生涯を終えました
長年施設に入所していた大ばあちゃん
お正月、ちょうど私たちが温泉から帰ってくるときに体調が悪くなり入院していたのですが
入院手続きと先生のお話を母と一緒に聞きに行った時
おばあちゃんはずいぶん前から沢山の病気を持っていたことを知りました
骨粗しょう症と去年か一昨年にやった軽度の脳梗塞、認知症は知っていましたがそのほかにも9つもの病名が書かれていました
痛くなかったわけがないし
辛くなかったわけがない
なってそう思いました
入院するころにはご飯も水分も全く摂ろうとしていなかったそうです
その後私が最後に会ったのは亡くなる12日前
子供達も連れてみんなで会いに行きました
認知症に加えアルツハイマーもあり
さらに入院時には意識もほとんどなかったのですが
私が「おばあちゃん、聞こえる?」って聞くと
か細く「は~い」と答えてくれたおばあちゃん
「痛いとこない?」
「は~い」
と聞いたその声が最後でした
そして帰り際
「また来るね」
と私が言った時
大ばあちゃん少しだけ口をパクパクと動かし声は出ていないけど
私にはそれが「ありがとう」と聞こえました
「ありがとう」
そう2度言ってました
その時は今日来てくれてありがとうってことなのか最後のありがとうなのかって考えていたけど
告別式が終わった今
「今までありがとう 最後に会えてよかった」ということだったのかもしれないと思ってます
93歳
大往生でした
おばあちゃんは50代でパートナーであるおじいちゃんを亡くし
その翌年に母の弟である息子を若くして亡くし
以降私達の助けも得ようとせず誰にも頼ろうともせずに約40年一人で頑張ってきた人で
わがままで甘え下手で憎まれ口聞いたりとしてきた人だったけど、すごく苦労の多い人だったと思うんです
自分の旦那を亡くした翌年に自分の子供まで…なんて考えられないですよね
どんなに辛かったか
その後も一人でがんばって甘え下手で頑なに同居を拒みながらも寂しがり屋だったからその寂しさとずーっと葛藤してきたんだろうなって
体を壊してからはケアホームや介護保険施設に入ったりもしたけど、ほぼ寝たきりになり最後に入っていた特養はとても居心地がよかったようでいつも「ここに来てよかった」と言ってました
家族の中に入ることが苦手だったみたいだけど仲間のいる施設ではいつも笑って過ごせていたようです
スタッフの方も穏やかでいつもとても手厚いケアをしてくれてフルタイムで働いている母もとても助かっていてありがたいと言ってました
(施設というのは賛否両論ですが、私は一概に家族が看るべきということは思わず、介護というのは生半可な気持ちでできるものではないしきれい事ではないし、家族も収入は必要だし、お互いのためにも施設というのは必要だと思います。またスタッフの方々の手厚いケアがあったからこそ小さな異変にもすぐに気づいてもらえたと思ってます)
大ばあちゃんの最後は苦しむこともなかったと聞きホッとしました
大ばあちゃん辛いとか苦しいとか嫌だと言ってたしね
とても安らかで穏やかな眠ってるような顔で
きっと痛みや苦しみや寂しさ、肩ひじ張ってきた人だから肩の荷も下りて楽になったんだろうね
昨日の告別式の時
最後お花を手向ける時
おばあちゃんもすごく苦労した人だったんだなぁ
すごく頑張ってきたんだなぁ
身体だって痛くて痛くて辛かったよね
ってのがな~んか急に伝わってきてしまって涙が止まりませんでした
大ばあちゃん
長い人生本当にお疲れさまでした
と出棺の時に言いました
子供たちは初めて命の終わりに直面し戸惑いが隠せない様子でした
今朝も「おおばあちゃん本当に死んじゃったなんて信じられない」と言って登校していったくらい
日曜日にお通夜 昨日月曜日に告別式を雪の降る中家族葬で執り行ったのですが
日曜日
実家へ行くと
眠っている大ばあちゃんを見て寝てるみたいだねと言っていた子供達
何度も会ったことがあったわけではないけど
ちび子は年齢的なものもあるけど最後に会った日帰りに大ばあちゃんの手を握ってきたのもあるからか、ずーーーっと信じられないという様子で
納棺の時は
「大ばあちゃん焼かれちゃうの? 焼かれちゃったら痛いよ~」
と何度も悲しげに言ってました
「大ばあちゃんは痛いのが全部なくなってやっと楽になってこれから大じいちゃんとおじちゃんに会えるから大丈夫だよ」
って伝えましたが
でもそれでわかるわけないよね
お姉ちゃんも通夜振まいの時、告別式の後も遺影を見ては「大ばあちゃん本当に死んじゃったのかな?」って繰り返し
御齊の時も時折「大ばあちゃん今焼かれてるんだよね…」とつぶやいてました
お骨上げの時はちび子はショックであまり見ることができませんでした
「人はどうして死んじゃうの?」という質問を受け
お寺様もおっしゃってましたが
「きれいな花もいつか枯れ落ちてしまう様に人も命尽きる日が必ず来る だから大切に生きるんだよ」
という事を言うしかなかった私
生まれて初めて「命」と向き合った二人です
ちび子はまだ現実がうまく受け止められていませんが少しずつ
ですね
命の重さ、尊さを感じた日になったのではと感じています
そして
お寺様からの法話の中で二つ心に響いた言葉がありました
「人はなぜ生きるのか」
これは小学校1年生の子が国語の時間に何でもいいから書いてみてくださいという課題で書いた何気ない言葉だったそうです
何十年も生きて色んな経験をしている大人が誰一人として答えられなかったそうです
なんで生きるのか?
ん~…私も答えられない… なんでだろう…?
これは私のこれからの人生の課題となりました
もう一つは
「人はどれだけ生きたかではなく どう生きたかが大事」ということ
本当にそうですね
長く生きればいいってものではない
長く生きたって人に迷惑ばかりかけて悪事働いてなんていう人生よりも
少し短くても充実した一つでも成し遂げた感のある人生の方が「いい人生だった」と思える
大きいです
どれだけ生きたか ではなく どう生きたか
この先その言葉を胸に生きていきたいと思いました
大ばあちゃんのおかげでいいお話を聴くことができました
家族葬といっても
親戚もものすご~く少ない我が家
寂しいかな~なんても思ってたけど
子供たちもいてにぎやかないいお葬式になり
大ばあちゃんを送り出すことができました
大ばあちゃん、お疲れさま、そしてありがとう
大じいちゃんとおじちゃんには会えたかな
向こうで3人仲良くね

全国的に寒くなってるんですね

北海道から九州まで雪が降ったとは


こちらもまた


そんな寒い週末
先週金曜日
1月20日 午後11時31分
母方の祖母が93歳の生涯を終えました
長年施設に入所していた大ばあちゃん
お正月、ちょうど私たちが温泉から帰ってくるときに体調が悪くなり入院していたのですが
入院手続きと先生のお話を母と一緒に聞きに行った時
おばあちゃんはずいぶん前から沢山の病気を持っていたことを知りました
骨粗しょう症と去年か一昨年にやった軽度の脳梗塞、認知症は知っていましたがそのほかにも9つもの病名が書かれていました
痛くなかったわけがないし
辛くなかったわけがない
なってそう思いました
入院するころにはご飯も水分も全く摂ろうとしていなかったそうです
その後私が最後に会ったのは亡くなる12日前
子供達も連れてみんなで会いに行きました
認知症に加えアルツハイマーもあり
さらに入院時には意識もほとんどなかったのですが
私が「おばあちゃん、聞こえる?」って聞くと
か細く「は~い」と答えてくれたおばあちゃん
「痛いとこない?」
「は~い」
と聞いたその声が最後でした
そして帰り際
「また来るね」
と私が言った時
大ばあちゃん少しだけ口をパクパクと動かし声は出ていないけど
私にはそれが「ありがとう」と聞こえました
「ありがとう」
そう2度言ってました
その時は今日来てくれてありがとうってことなのか最後のありがとうなのかって考えていたけど
告別式が終わった今
「今までありがとう 最後に会えてよかった」ということだったのかもしれないと思ってます
93歳
大往生でした
おばあちゃんは50代でパートナーであるおじいちゃんを亡くし
その翌年に母の弟である息子を若くして亡くし
以降私達の助けも得ようとせず誰にも頼ろうともせずに約40年一人で頑張ってきた人で
わがままで甘え下手で憎まれ口聞いたりとしてきた人だったけど、すごく苦労の多い人だったと思うんです
自分の旦那を亡くした翌年に自分の子供まで…なんて考えられないですよね
どんなに辛かったか
その後も一人でがんばって甘え下手で頑なに同居を拒みながらも寂しがり屋だったからその寂しさとずーっと葛藤してきたんだろうなって
体を壊してからはケアホームや介護保険施設に入ったりもしたけど、ほぼ寝たきりになり最後に入っていた特養はとても居心地がよかったようでいつも「ここに来てよかった」と言ってました
家族の中に入ることが苦手だったみたいだけど仲間のいる施設ではいつも笑って過ごせていたようです
スタッフの方も穏やかでいつもとても手厚いケアをしてくれてフルタイムで働いている母もとても助かっていてありがたいと言ってました
(施設というのは賛否両論ですが、私は一概に家族が看るべきということは思わず、介護というのは生半可な気持ちでできるものではないしきれい事ではないし、家族も収入は必要だし、お互いのためにも施設というのは必要だと思います。またスタッフの方々の手厚いケアがあったからこそ小さな異変にもすぐに気づいてもらえたと思ってます)
大ばあちゃんの最後は苦しむこともなかったと聞きホッとしました
大ばあちゃん辛いとか苦しいとか嫌だと言ってたしね
とても安らかで穏やかな眠ってるような顔で
きっと痛みや苦しみや寂しさ、肩ひじ張ってきた人だから肩の荷も下りて楽になったんだろうね
昨日の告別式の時
最後お花を手向ける時
おばあちゃんもすごく苦労した人だったんだなぁ
すごく頑張ってきたんだなぁ
身体だって痛くて痛くて辛かったよね
ってのがな~んか急に伝わってきてしまって涙が止まりませんでした
大ばあちゃん
長い人生本当にお疲れさまでした
と出棺の時に言いました
子供たちは初めて命の終わりに直面し戸惑いが隠せない様子でした
今朝も「おおばあちゃん本当に死んじゃったなんて信じられない」と言って登校していったくらい

日曜日にお通夜 昨日月曜日に告別式を雪の降る中家族葬で執り行ったのですが
日曜日
実家へ行くと
眠っている大ばあちゃんを見て寝てるみたいだねと言っていた子供達
何度も会ったことがあったわけではないけど
ちび子は年齢的なものもあるけど最後に会った日帰りに大ばあちゃんの手を握ってきたのもあるからか、ずーーーっと信じられないという様子で
納棺の時は
「大ばあちゃん焼かれちゃうの? 焼かれちゃったら痛いよ~」
と何度も悲しげに言ってました
「大ばあちゃんは痛いのが全部なくなってやっと楽になってこれから大じいちゃんとおじちゃんに会えるから大丈夫だよ」
って伝えましたが
でもそれでわかるわけないよね
お姉ちゃんも通夜振まいの時、告別式の後も遺影を見ては「大ばあちゃん本当に死んじゃったのかな?」って繰り返し
御齊の時も時折「大ばあちゃん今焼かれてるんだよね…」とつぶやいてました
お骨上げの時はちび子はショックであまり見ることができませんでした
「人はどうして死んじゃうの?」という質問を受け
お寺様もおっしゃってましたが
「きれいな花もいつか枯れ落ちてしまう様に人も命尽きる日が必ず来る だから大切に生きるんだよ」
という事を言うしかなかった私
生まれて初めて「命」と向き合った二人です
ちび子はまだ現実がうまく受け止められていませんが少しずつ
ですね
命の重さ、尊さを感じた日になったのではと感じています
そして
お寺様からの法話の中で二つ心に響いた言葉がありました
「人はなぜ生きるのか」
これは小学校1年生の子が国語の時間に何でもいいから書いてみてくださいという課題で書いた何気ない言葉だったそうです
何十年も生きて色んな経験をしている大人が誰一人として答えられなかったそうです
なんで生きるのか?
ん~…私も答えられない… なんでだろう…?
これは私のこれからの人生の課題となりました
もう一つは
「人はどれだけ生きたかではなく どう生きたかが大事」ということ
本当にそうですね
長く生きればいいってものではない
長く生きたって人に迷惑ばかりかけて悪事働いてなんていう人生よりも
少し短くても充実した一つでも成し遂げた感のある人生の方が「いい人生だった」と思える
大きいです
どれだけ生きたか ではなく どう生きたか
この先その言葉を胸に生きていきたいと思いました
大ばあちゃんのおかげでいいお話を聴くことができました
家族葬といっても
親戚もものすご~く少ない我が家
寂しいかな~なんても思ってたけど
子供たちもいてにぎやかないいお葬式になり
大ばあちゃんを送り出すことができました
大ばあちゃん、お疲れさま、そしてありがとう

大じいちゃんとおじちゃんには会えたかな
向こうで3人仲良くね

