見た目は健康そのものの私ではありますが、実は色々とやらかしております💦
スタートは幼少期の偏食から招いた、貧血
いつ、どんな理由で偏食になり、いつ克服したのか自分でもよくわからないのだが、料理の仕方で食べられる食材、食べれない食材があって、野菜はほぼ嫌いだった
今はほぼなんでも食べれるようになったが、唯一駄目なのが「漬物」という姿になったもの
ナスも大根もきゅうりも白菜も全て好きなのに漬物になってしまうと食べれなくなってしまう…何かトラウマがあるのか?親に聞いたのはたくあんを喉に詰まらせた事はあるらしいが…笑
そんな事で?と思う
余談だが、ある道の駅のレストランで確か
「イワナのフライタルタルソースがけ」という限定メニューに目がいき、食べたのですが、なんとなく香りが気になり、フライは美味しいんだけどどこか違和感が…
お会計の時に、そのメニューを掲載しているポスターをよく見たら「いぶりがっこタルタルソース」と!瞬間、吐き気を催してトイレに駆け込みました💦
中学に入って最初の健康診断で、血圧が
100-0で低血圧、グラウンド3周目くらいで意識が飛ぶ始末
病院で検査したところ、鉄欠乏症の貧血、低血圧!
それから3年造血剤と週に1回の栄養剤の注射でひょろひょろで青白い私の身体は
随分健康的になった
そして、高校では球技大会のソフトボールでダブルプレーが完結しそうなその瞬間、何をどうしたか、キャッチャーミットにかすりもせずモロに右目にボールが当たり、結果的には1ヶ月後に具合が悪くなり「むち打ち症」に…
なんとも言えない怠さ、吐き気、気持ちの落ち込み…今で言う軽い「鬱状態」でもあったかと思う
約1ヵ月学校を休んだが、その後も雨降りや疲れがたまると具合が悪くなるのは
20歳くらいまでは続いたから辛かった怪我だった
そして、その20歳で急性盲腸炎になり、生まれて初めて外科手術を受けて、その後の腸の癒着で数年悩まされる事になった
出産を2回経験して、32歳の時に前十字靭帯断裂という大きな怪我をして、まだスポーツを続けたかった私は再建手術を選び、大腿部の腱を移植した事から膝、太腿に大きな傷が残る事に
膝も思うように曲がらず、その後2回手術して半年の入院生活を強いられて
その間に、自分の人生、仕事、家族、様々な事をとても深く考える時間をもらったような気がした
その後は比較的スムーズに、楽しく、過ごせた日々に恵まれて、私の中では「楽しい」が炸裂していた時期だったと思う
定年まであと2年…あたりには
ここまできたら最後まで頑張ろうと決意したあたりに、健康診断で見つかり、早期の乳癌に…これは見つけてもらった事に感謝!のレベルで本当に運がいいな…と実感した
問題は、そこから甲状腺の炎症、骨密度が年齢のわりに低くて、更にホルモン治療する事で加速するだろう…と薬の投与も始まり、太りやすくなり、コレステロール値も上がり、徐々に手に負えない体になってきて、それでも踏ん張って、ようやく定年を迎えて、再雇用よりも地元で家から通える仕事をしたいことから綺麗サッパリ退社!
第2の人生
まずは家の中の片付けから!と張り切ったのも束の間…
コロナで世の中は変わり、予定していた観劇や旅行もキャンセル…
そして、変化は身体にも…
手先の痺れ、身体の痺れ、が出てきて
精密検査の結果、手先は「手根管症候群」そして身体の痺れは「頸椎症」
どちらも手術になることから覚悟を決めて入院したその日に、左目の視界が半分になり半分は真っ黒!という事態に
脳のMRIを撮ったものの、何もない事から、翌日退院して眼科受診したところ、「網膜剥離」と診断
大館市内では手術出来ないのでお隣の弘前大学病院へ入院して、その日のうちに手術…これも家にいたらもっと呑気に構えてて、遅れていたら失明だったみたいなので、ある意味ラッキーだったとも思う
それから落ち着いてから、整形外科手術を受けて、これでメンテナンス完了!と思っていたのだか…
今年に入ってから、気になってきた脇下腹の痛み
ある日、突然血尿になりそして激痛💦
陣痛でもあんなに唸らなかったのに本当に地獄のような痛み…
尿管結石でした
まだ薬を飲んでる最中で、その後も痛みや熱が2回…
まだ完治とは言えない
時が重なり、右の奥歯がどうにも浮いた感じと疼くような痛さで歯科に行ったら、抜歯になって、とうとう自分の歯を1本失くしてしまった
年だから…と言えばそれまでだが、
もっと大事にしていれば、気をつけていれば…の集大成なのが情け無い…
今年もコロナ禍で大人しくしてる時間が多いので、徹底的にメンテナンスして
来年からの活動のために、丈夫な身体を取り戻したいと思う