岩野泡鳴作『耽溺』を読む
二回読んでようやくたどりついたのは
・主人公の「僕」からみたヒロイン吉弥、その母、料理屋のお貞、妻などの描き方が面白い、その女性たちにくらべて、田嶋や青木などの男たちの
存在の薄さが目立つほど。
・特に芸者吉弥の気が強く、梅毒におかされた
女のすざましい行状に「芝居」を見るようだ。
・特に大胆な文体には驚いた。
「なんだか毒毒しいつら附きである。豚の体に人の首がついているようだ。それに口は物を云うたんびに横にまがる。」
「相変わらず陰鬱な、不愉快な家を出た。否、家を出たというよりも、今の僕には、家をしょって歩き出したのだ。」
一方で、『猫八』ような有情滑稽物(ユーモア)の芸人の心の揺れを描いた滑稽さは物悲しく、面白い。
岩野泡鳴がこのような滑稽を描いていたことももっと注目してもいいのではないか。
最後に泡鳴の「一元描写論」は視点の重要性を強調するものであるが、それが小説の技法としていかなる重要性があるのか、良く判らなかった。
様々な感想と意見
*つまらない。全否定したい。
*サンボリズムによる小説。
*自然主義の草分けとして闘った自然主義作家。
*なぜ、女性が必要であったのか。この人は生活のために女を求めたのではなく、
自分の空虚感を埋めて、デカダンに生きる人生を選んだ。
*現代の人は、この作者を読まない、文学全集も大手からは出ていない。
このような作家を読む時に時代背景をしっかり認識しておく事や、だからこそ
現代の、というより、読者の一方的な価値観だけで感情的に判断するのはよくない。