夫に向かって私がよく言うセリフ。

 

 

「私が大事だと思うならば、もっと幸せにしてください」

 

 

これはふたりの長い歴史を振り返った時、

 

 

大変だったことの記憶がリンクして

 

 

未来を憂う時にでる言葉。

 

 

「わかってますよぉ~」

 

 

といつもそつなく答える夫。

 

 

「だけど、今、幸せでしょ?」

 

 

と問われて

 

 

反論ができない。

 

 

「うん、幸せ」

 

 

私は未来を心配しているのだ。

 

 

これからの未来を疑っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早速、未来への疑い、心配

 

 

夫への疑い、心配、

 

 

私自身への疑い、心配を手放した。

 

 

この疑いや心配はもう何度も手放しているんだけどな。

 

 

と思いつつ、眺めてみたら

 

 

「未来がある」と思っている自分に

 

 

違和感を感じた。

 

 

「今しかない」

 

 

って散々、言ってきたし

 

 

「今しかない」

 

 

という体感しかないこともわかっているのに

 

 

私はまだ「未来がある」と信じているのだ。

 

 

可笑しさが込み上げてくる。

 

 

自我ちゃんは未来があると思っている私を

 

 

ずっと心配してくれていたんだねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、私は「未来がある」という想念を手放した。

 

 

ついでに「今」も「過去」も手放してみた。

 

 

時間軸は不要だから。

 

 

私には「ココ」しかない。

 

 

それを「今」と呼んでいるだけ。

 

 

なんだか大きなものを手放した朝になったなぁ。