私が自分の首を絞めている自我の姿を見てから

 

 

スゴイ形相で

 

 

力いっぱい首を絞めているというもう一人の自分を

 

 

あっちへ行け!と言ってはみたものの

 

 

いまだに首に手をかけている幻影が消えず…。

 

 

 

 

 

そんな話を友人にしたら

 

 

その手に向かって

 

 

今まで力いっぱい手を伸ばして

 

 

強く首を絞めようとして

 

 

もうそろそろ疲れたでしょう。

 

 

その手を休めても良いんだよ。

 

 

今までありがとね、ごくろうさん。

 

 

と私が心から言える時、

 

 

その存在は跡形もなく消えていくよ。

 

 

と言われ、

 

 

だけど、なかなかそういう氣になれずにいたのは

 

 

私の首を絞める自我ちゃんと対立している自分がいたから。

 

 

と言うか、

 

 

どうして私の首を絞めているのかがわからない。

 

 

何で自分が自分の首を絞めるの?

 

 

どう考えてもおかしな話じゃない?

 

 

って。

 

 

 

 

 

 

だけど、

 

 

昨日、体験を贖いに使っていた自分に出合って

 

 

その理由がわかったように思う。

 

 

 

 

 

 

長い間、ずっと

 

 

罪悪感を消すために

 

 

償いをしてきた私。

 

 

足りないものを埋めようと必死だった。

 

 

埋めよう、埋めようとしても

 

 

満たされることがない。

 

 

それは

 

 

私が贖罪を抱えているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カトリック教会の教えでは、死者の霊は

 

 

天国へ入る前に煉獄というところへ行くと言われる。

 

 

ここは罪の浄化が行われる場所で

 

 

罪深いものは長い間、ここに留まらなければいけないとされる。

 

 

煉獄に入ると、霊の力だけでは天国にいくことができないので

 

 

煉獄の霊魂が早く天国へ行くようにというお祈りさえある。

 

 

煉獄へ行ったことのある人が見て来た話しでは

 

 

なんと聖職者(司祭や修道士、シスター)ほど

 

 

煉獄からなかなか抜け出せず

 

 

いつまでも天国へ入れない、というのだ。

 

 

 

 

 

私も神との分離感を長い間、ずっと感じていた。

 

 

一番最初にヒーリングを受けた時、

 

 

心臓がとても痛くなって、

 

 

「ちょっと心臓が痛くて、苦しいです」と言うと

 

 

ヒーラーさんが、

 

 

私の中のイエスと聖母マリアに

 

 

私がヒーリングを受けるということを許可するという

 

 

ややこしいことをしなければいけなかった。

 

 

今、思うと、スゴイ分離感だったね。

 

 

 

 

 

私はもう贖罪をしない。

 

 

この気づきがやっと自分自身の本当の解放の始まりなのではないか、

 

 

と思えてきた。

 

 

 

 

 

煉獄が消えたんだ。

 

 

贖罪が消えると、祝福だけが残る。

 

 

光がより一層の明るさを増して

 

 

降り注いでくるようだ。

 

 

眩しい光に、やっと満たされていく安心感がある。