自分を無意識に縛っている鎖を解くために
檻の中に閉じ込めている自分を解放するために
さぁ、体験しましょう~
という言葉を聞いた時、
一瞬、私のハートがギュっとなった。
あぁ、私は経験することに抵抗を感じている。
私はもう二度と、嫌な経験をしたくないと思っている。
あれ?
まだ始まっていない経験なのに
「経験は嫌な思いをすること」
と思っているみたいだ。
過去の体験がよっぽど辛いと思っているのか
もう二度と悲しい目にあいたくないと思っているのか
たくさん過去を癒してきたように感じていたけれど
潜在意識に尋ねたら
私の経験は悲しみに満ちている
と答えがやってきた。
体験することは変化していくことであり
そこに怖れを感じてしまうのは
過去の経験で
変化をしていく過程の中で
どん底に落ちてしまった時の苦しみを
まだ握りしめているから。
それは、私の中の小さな女の子が
落とされるのはもう嫌だぁ~!
と、か細い脚で踏ん張っているようなもの。
どうやら私は体験を贖いだと思い込んでいたようだ。
過去の罪の償いをすることが
赦しだと思ってた。
現に世の中の宗教はそれを説いていて
それで罪悪感を消そうとする。
しかも過去の罪って過去世まで遡っちゃうのだから
どれだけ好んで贖罪を抱えてきたのだろうか?
だけど過去世の私は、今の私じゃない。
それは魂が体験してきたこと。
私が贖う必要などなかった。
私は今まで十分に贖いをやってきたけど
それで私が救われてきたのだろうか?
それって偽の解放じゃない?
もう私は償わなくても良いんだよ。
だから、贖わなければ転生できない
って、ずっと思っていたのかも知れないなぁ…。
これって、自我ちゃんのハニートラップだよね。
こうして私は輪廻を繰り返してきたのだもの。
もう贖わなくても転生できる。
なんだかすごいことに気が付いちゃったな。