「輝きの描写」河田純子 1989年3月1日発売(kats) | 非常口のブログ

「輝きの描写」河田純子 1989年3月1日発売(kats)

輝きの描写」河田純子

“純子ちゃんから見て僕達は大人ですか?"
インタビューの際、 つい聞きそびれてしまった質問がこれである。


僕は「非常口」への参加にあたって、 既成の物に囚われず、 利害のからんだ大人の関係は避け、小さい頃の純粋さを持ち続けていたいと思っていた。 この大学四年間は子供としての最後の時期としていたかった。(はっきり云えばモラトリアムの典型。)


この曲、「輝きの描写」を聴いて久し振りに “感動” した。 曲がどうこうという以前に、自らの時代といったものに対してだ。 僕が中学生だった頃、確かに僕はその時代を自然体で生きていた。
好きな娘に想いをつたえようと、 街中走り回って一番かっこいい電話ボックスを捜したときの自分。長い間の練習成果を出しきったコンクールの後、 思いっきりの大声で歌いながら家まで歩いたときの自分の姿。そんなものをこの曲が鮮明に映し出してくれた。それは嬉しくも面映ゆい感情だけれども、“懐かしい”として想い出してしまう現在の自分は、その輝いていた時代の住人ではないことに気付くと、せつない。


今、純子ちゃんは、まさしく "自分の時代" を生きている。 でもその輝きを意識できるのは、本人ではなく、失いつつある者としての大人達の方かもしれない。光の速さで移動するものには輝く光を感じることはできない。光が目に見ることができるのは、光速についていけない者だけなのだ。
彼女、純子ちゃんには輝きを意識することなく、 ずっと輝いていて欲しいと、切に願う。
などと言って僕達は、彼女の、彼女達の "輝き”をこうして『大人達の言葉』で表すしかない。

P.S この曲が、記念すべき 10枚目のレコード屋さんで買ったシングルになりました。
CDシングルとしては最初です。 めでたし、 めでたし。

 

レビュー「非常口」vol.8より

 

(kats)

 

【追記】

これを書いている頃は大人ぶっていましたが、今の江籠ちゃんと同い年くらいです。

30年後にも、少女たちの輝きをただただ尊ぶしかない大人でいるとは思わなかったですが…w