謝罪でもないのに飛び出す『すみません』が嫌い | 八百屋ではたらくアーティストひじき

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絵画・写真・デザイン・表現・生きていて感じること

を綴ります

何でもかんでも

いつでもどこでも

感謝でも挨拶でも

『すみませ~~ん』

 

を付けるのは

嘘っぽいし

薄っぺらいし

卑屈だし

違和感があるので

止めたほうが

よいですよ

 

感謝をする場面でも

「すいませーん」

 

挨拶でも

「すみませーん」

 

 

謝罪=すみません

であるところにも関わらず、感謝や挨拶の

場面でなんでもかんでもいつでもどこでも、

すみません。英語で言うところの、アイム

ソーリー。なんでやねん。ありがとう、

さようならだけでいいじゃん。

 

日本人の特徴なのか知らんが「すみません」

を多用する人がたまにいる。もちろん自分

も気を抜くと言いそうになる。

あぶないあぶない。

 

ふさわしくないシーンでこの言葉を

聞くたびに体中がムズムズし違和感で

一杯になる。なんじゃそりゃ。

 

違和感の原因を考えてみた。

 

・無意識に発している薄っぺらさ

・嘘っぽい

・卑屈だから

・それさえ言っときゃ済むだろう精神が嫌い

 

 

というわけで、しっかりした地に足を付けた

大人として生きていくために謝罪する

場面以外で「すいません・すみません」

を使うのはちょっとやめておこうじゃないか。

 

八百屋ではたらく食育ロックボーカリスト

ひじきデザイン デザイナー 

ひじき石塚