信じていた部分は聖書の信頼性だけでものみの塔出版物は一切信用はなかった
そもそも聖書をコピペして自分たちの都合のいい教理をコピペして補強してるだけのいい加減なゴミ雑誌なのは小学生からわかってはいたが・・
(だが聖書そのものが切り貼りだったあとで知りがんぜんとするわけだが、、)
だから今もやっている人というのは組織がいかに非常識、不誠実だとしても聖書の心理のどこか心惹かれた部分があってこれは真理だとなっているわけで、、ものみの塔のカルト教理が真理だとは微塵も感じていないと思う
まぁ要するに自分が人生の大半を費やしてきた教理が偽りだなんてだれしも思いたくないのは人間のサガですからね
期待すればするほどそれに伴って思い入れが強くなって感情も強くなるわけで…
期待せずに、ゆるくやってコミニティー維持する人もその人の生き方だだとは思う