創造者の神と聖書の神は全くの別の存在ではないかと疑問をせざるを得ません
なぜならこのお二方、あまりにも、ギャップが大きすぎると思うからです。
現役の方々も同じではないでしょうか?
まずは創造者の立派な業を見てみます
心の大きな大きな創造者はありとあらゆる素晴らしい物を造られました
広大な宇宙、規則正しく、太陽の周りを一年間かけて一周する地球
地球の自転によって、24時間の時間が規則正しく朝に始まり夜によって一日が終わるちょうど良さがあります
地球には海があってそこから溢れる生命、エネルギー、山や川によってもたらされる水や豊かな食物、個性豊かで美しく可愛らしい動物たち、
四季折々に百花繚乱咲き乱れる植物、
野菜や果物まで、デザインは素晴らしいではありませんか?
愛のある証拠ではないでしょうか?
食べ物なんか、別にエネルギーが補給できれば、デザインなんか関係ないですよね
でも、わざわざ色とりどりの食物で人の目にも楽しませる心遣いに、創造者の愛を感じるのではないでしょうか?
とりわけ人間は知能を備えた、まさに神の似た様に作られたと言っても疑う余地のないほどのものです
今地球にいる60億の人すべては一個の人としての人格、個性、自由な思想をもっています
創造者からしたら、60億の人は子供です
一人一人見ておられ、大事な存在です
肌の色、人種、宗教、思想の違いなどで色分けする器の狭い考え方ではありません
創造者は人それぞれに思考力を与えられました
そして、良心も与えられました
そして、人それぞれいろんな個性も認めています
そして、創造者はそれを許せるほどの大きな存在なのです
創造者は人それぞれに良心というものを与えられました
それらすべてを創造者は認めています
これらのことだけを考えるだけでも創造者の素晴らしい特質である愛が溢れています
一方、聖書の神はどうでしょうか?
ノアの方舟の時代から、1つの家族だけを救い出し、他の大勢の人は大洪水で滅ぼされました
ノアの警告を聞かなかっただけで、滅ぼされたのです
あまりにも、残酷ではないでしょうか?
聖書の始まりから、イスラエル人だけをもちいられた歴史が記述されています。
他の民は無視ですか?
そんな狭い神にだれが、こころひかれるのでしょうか?
ものみの塔の教えでは、まもなくエホバの証人以外の60億の罪のない尊い命を、神が無残にも虐殺するとあります
仮にあなたが楽園で生き残ったわずかな一人となったとしましょう
聖書の中に
「神は愛です」とありますね
生き残ったあなたは、60億の尊い命を無残にも殺した聖書の神を、神は愛ですと心から言えますか??
多種多様な生き物を造られた神がなぜカルト宗教のわずか600万人を救って、他の60億人を滅ぼされるのか、疑問です