「真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり、苦難のときのために生まれた兄弟である。」(箴言17:17)
多くの失敗をしたダビデには苦難の時に、助けをさしのべる真の友がいました。
ダビデをその苦難の時に忠節に支え続けた友として真っ先に挙げられるのは、サウル王の息子ヨナタンです。ヨナタンは、ダビデがエホバに信仰を持ってフィリスティア人の巨人ゴリアテを倒してから、ダビデを非常に愛するようになりました。「ヨナタンの魂はダビデの魂と結び付き,ヨナタンは自分の魂のように彼を愛するようになったのである。」と記録されています。(サム第一 18:1)
ヨナタンは、自分の父サウル王がダビデをねたんで殺そうとした時、自分の立場を危険にさらしても、ダビデのためにとりなしをしました。ヨナタンはダビデの真の友となりました。
それゆえ,ヨナタンが戦いで死んだ時,ダビデはこう言いました。「わたしの兄弟ヨナタン、・・・あなたの愛はわたしにとって女の愛よりもすばらしかった」。(サム二 1:26)ヨナタンの忠節な愛は、ダビデの心を暖め、強めました。
ダビデとヨナたんにあったのは互いに対する心からの敬意と愛情によって成り立っていて、そこに余分な律法など彼らの心には存在しませんでした。
今日のエホバの証人に当てはめてみると、、、
真逆じゃん!
と思います…
真の友は苦難の為に生まれた兄弟とあるのに、エホバの証人は自分たちが勝手に作った律法を押し付け、少しでも失敗したら、排斥、冤罪、不当削除をします。これは本当に人を苦しめるものです。
その人が一番助けを必要な時に忌避、突き放すことによって、真の友とは真逆の冷淡なパリサイ人になっています。
これでは、生きた知恵ではなく、捻じ曲げられた似非友情によってなりたっているただの中身のない薄っぺらい関係ですね⬇
考察
苦しい時に誰がいるのかを考えてみる
逆にだれが離れていったか?
真の友情に余分な律法(JW独自の規則)は不要
ルールよりなにが大切か見極める