未来を迎えに行く。


私は自分の未来についてあまり興味が持てなかった。

何となく手近で周りも納得する仕事をして、何となくレールにそって生きてる。



未来に興味が持てなかったのは、自分が“幸せになる姿”が、全く想像できなかったから。


だけど、その思考にたどり着いた時、興味を持てない“理由は必ず存在する”と強く思っていた。




元々、過去世も見えたりするよく分からないこの世界で生きていて、ヒプノセラピストになったり、カウンセラーの資格を取ったりしてみたが、興味あるくせにやりたくない。


やりたいくせに見たくない。見えたりするくせに気のせい。頭にうかんでも、これは妄想。


そう、決めていた。





けれど、私でも何か役に立てるかもしれないと思って以前少しだけ投稿していたが、色々と考えるうちにこれも何だか続かずに…。



そんな私が一気に“今”をもう一度考えるきっかけが起きた。



『健康診断で引っかかった』


もちろん最悪な状況も考える。死ぬ?
そして、それと共に、未来・お金・リアルな身辺的状況。

最後に、『誰にも言いたくない。』
病院も一人で決めて一人で行ってきた。


病院で麻酔を使うから付き添うが必要だと言われたのに、一人で受けると言った。(迷惑)

頼りになる家族もいるし、もちろん心配してくれる人もいる。



なのに、それがとても煩わしかった。



誰にも頼りたくない。
頼りたい人もいない。
いや、人が悪いんじゃない。
自分が悪い。
私は人を頼れない。



そして、自分の中の小さな声を聞いた。



「もっと助けて欲しい時がいっぱいあった。」



我慢してきた自分にも気付いた。

大人の私はこれくらいなら何とかできる。

これは今世の思い。



そして、検査も一人で行き、一人で帰ってきた。何だか情けなくて涙が出てた。 

検査結果は異常なし。


だろうな。
これは“人に頼りたくない自分に気付くため”


『思考には必ず理由が存在する』




今までは前世のキレイな部分しか見る勇気がなかった。


私には頑なにできない(やりたくない)事が多い。


未来に興味がなくても、譲れない事は一丁前にある。




それを、今世・前世に紐付けて考えていこうと思う。




幸せになる姿が想像できない理由は、“私は罪深い人”だと思っているから。



これはまた前世の物語。






私は、過去を見て、未来を生きると決めた。











さぁ、始めよう。