日本人の性質なのか、そもそも人間とはそういうものなのか。

なにせ大多数の人たちは、

多少の苦痛を伴わなければ幸せになれない

(なってはいけない)

と思い込んでいるような気がする。


あるいは、

大半の人が、

たまたま棚からぼた餅的に得た幸福感を、

受け止めないように作用する心を持ち合わせている。


そんな気がする。


それどころか、

せっかく得られた豊かさも、喜びも、満足感も、

受け取ったらその後とんでもない不運が訪れるかもしれないと考える人もいる。



こんなに幸せでいいのかしら。


こんなに幸せになるなんて後が怖い。


なんてふうに。



本当ならば、すべての人にとって

今が一番幸せ。

のはずなのだ。


でも、なぜか、幸福感に満ち足りることに恐れを感じるようにできていて、

今ここにある幸せを感じきれないのである。


ちょっとだけ辛いこと

ちょっとだけ不安なこと

ちょっとだけ苦痛なこと

ちょっとだけ不満なこと


ちょっとだけ、幸せとはいいきれない何か。


そんな、

もっと頑張らないと幸せになれないとか、

もっと努力しないと幸せになれないとか、


これがベストではないという現実を常に感じていないことには、

どこか不安になるのかもしれない。


それを、良い意味で向上心と言えばそうなのかもしれないけれど、

自ら幸せではない自分でい続けているだけともいえる。



なぜ人は、

幸せではない自分でい続けるのか。


幸せになってはいけない理由は何なのか。



幸せになってはいけない、


というよりは、むしろ、


自分にとっての幸せが何なのかを

知らないだけなのかもしれない。


だから、

もっと何か、自分が幸せになれる条件があるはず。

もっと何か、もっと豊かさが、もっと、もっと、

と、思いつく 幸せ に付随する事柄を浮かべては、それがないことにがっかりしたり、それがないことに実は安心していたり、

若干歪んだ状態を保ち続けているのかもしれない。


幸せに臆病な場合、多少不満があったほうが安心するだろうし、

今ここにある幸せを感じきれていない場合は、なんとなくの幸せを手探りで求めるだろう。


いずれにしても、


自分にとっての幸せ

というのがどういうものなのかということが分かれば、

今ここにある幸せにしっくり馴染むはず。



自分にとっての幸せ。


それはきっと、心地よいかどうか。


安心して、リラックスして、そこにいられるかどうか。


素の自分で、無理なく立ち居振る舞えているかどうか。



もし、それが今のところ叶わない状態であっても、

どんなことが自分にとって心地よいのかを改めて探ってみるといい。


それが見つかるだけで、今後の人生はガラリと変わる。



そして、何につけても、

それは自分にとって心地よいのか、ということを軸に選択していく。


そのクセがつくだけで、

流れる運も気も、自分用に変わっていく。



心地よさをベースに生きていくと、

本当にやりたいことをやりたいときにやりたいだけできるようになる。


今よりもっと自分らしく、ありのままの自分で幸せな人生を謳歌していける。