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子供たちの事や日常の事を、きまぐれ日記でお贈りします


さて、本日2件目ですが、今回の母の髄膜種。定期的に検査をしているMRI。2012年の3月に撮ったMRIではそれらしきものがなかった(細かくいえばなんだかわからない点のようなものがあったそうですが)のに2013年の3月7日に撮ったMRIにははっきりとうつってました。3センチ弱の腫瘍が前回と同じ場所に…

3月14日に、父と私が付き添い病院に行き、そこで先生が、説明と上記のMRI見せてくれました。腫瘍の成長が早いのもあり、入院は即決定。

再び戦いが始まりました。髄膜種は全摘しても9パーセントの確率で再発はするそうです。

と言っても今回は早い段階で見つけられたのでいわゆる通常の髄膜種の手術。前回とは全く状況が違うので先生はあまり心配いらないと言った感じでした。

4月6日、入院。
母は前回の手術を全く覚えていないので、今回の手術がとても怖くて不安で嫌だと言っていました。けど私たちは…この感覚のギャップに家族で笑いが出るほど余裕感というかなんというか。

そして4月9日、手術。
12時15分に手術室へとの指示があり、妹と私は一緒に手術室の前まで行きお見送り。今回はカテーテルも無し、4~5時間くらいで終わるでしょうとのことでした。

そして夕方4時…5時…6時…
院内放送がない。俺がくる頃には終わってるかな♪と言っていた父が来てからもまだ呼ばれない。8時…9時…消灯時間で私たちのいる談話室とナースステーション以外は真っ暗。この何時間もの間、ほとんど無言、無表情の私たちが何を考えていたか…何も考えたくなかったです。

そして10時。ナースステーションに聞きにいくと、夕方6時頃に本手術は完了したと連絡は入っているとの情報!

時間のかかりすぎに心拍数がやばかった。

そして夜10時45分、ついに看護師さんから声がかかりICUへ。前回と同様、家族室に入り、その後先生に呼ばれて説明へ。

今回は、大変だったみたいです。まず、前日に撮ったMRIの写真で腫瘍が
5センチまで大きくなっていたこと。腫瘍が静脈1本を包み込んでしまっていたため、剥がすのが大変だったこと。そして剥がせたが静脈の流れがイマイチだったこと。
結構癒着していたたそうです(>_<)
なにより、前回開頭した時の骨が癒着(悪いことではないそうです)し、強くなり、少し変形してしまっていたため、開頭するのにも時間がかかり、さらに閉じるのにも、うまくはまらず時間がかった。とにかくいろんな予想外な事が多く、この時間になってしまったそうです。

ただし、今回は腫瘍の細胞が残らないように、再発がないように、くまなく見てくれたみたいです。もちろん前回も全摘でしっかり手術してくれていますが、あの時は命を救う事が第一だったので…

手術は大きいも小さいもないですね。本当に心臓が張り裂けそうでした。

母はと言うと、説明後に少し面会しましたが、ベッドの上でピースしていました!先生は、流れが悪くなった静脈が心配だったそうですが麻痺も言語障害も無さそうで、翌日には一般病棟に戻れると思うとの事。前回カテーテルしても2Lの出血で輸血もしたけど、今回は900ml程度の出血で輸血なしで済んだそうです。

その日は安心して帰りよく眠れました。翌日お見舞いに行きましたが、元気そう!術後で熱があるみたいでしたが、よくお喋りしてました♪

明日もお見舞いにいってきます!


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さて、2011年の手術。
まずカテーテルの手術が朝早くから行われ、そのあと本手術が始まった。

夜中までかかるかもと言われていた手術でしたので、家族皆落ち着かず病院内をフラフラ、フラフラ。いろんな事を考えて、気晴らしにタバコ。その繰り返しを続けてました。

夕方4時くらいかな?院内放送で、呼び出される。妹と顔を合わせました。同じ事を考えていたみたいです。それは、『終わるのが早すぎる…まさか?最悪の自体が起きたのか?』そして急いでICU室へ。父は焦って院内で迷うという様。笑

まず家族室に入り、その後先生に呼ばれた。そこで主治医の先生が一言…

「とれちゃいました(o^^o)」

ニコニコでそう言われて私たちは目が点。考えていた事と現実とのギャップで、わけわからなくなってました!

どうやら、思っていたより、腫瘍は柔らかくするりと綺麗にとれてしまったという。2度に分けて取らないといけないかもと言っていたけど、1度で取れたそう!

なんて強運!!と思いました。

ただし、なんらかの障害が残る可能性は高いとのこと。目を覚ましてみないとわからないけど…

それでも命が救われたという事実が私たちには嬉しかったです。

その後、喉に入れていた管のせいで喉が痛み、なかなか管がぬけず、喉を切るかもとまで話が進みましたが、なんとか母は乗り越え管は抜けました。

そして心配していた、言語障害と半身麻痺も全く残らず!もちろん、回復までには少し時間はかかりましたが…

つまりは、もとのお母さんに戻ってくれたんです!!!

一番びっくりしていたのは先生。あの状態から、復活するなんて驚きです!といった感じでした。

退院し、去年あたりからは通院している大学病院の隣にある大学の学食でパートを始めるパワフル母。

本当にあの時は辛かったけど、今はめっちゃ幸せです!日本にいて、体験しているのにあの震災を知らない人は母くらいでは?と笑って過ごしている今が幸せです!





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先日、経歴について綴りましたが今回は手術の時の話。

とにかく大きくて危険性の高い腫瘍。先生は今でも、「見てきた腫瘍の中でもトップ」とおっしゃいます。

さて入院後の私たちの生活はと言うと、まず父は仕事を辞めました。もしかしたら…と頭の中をよぎったのかもしれません。入院してから退院する日まで毎日欠かさず病院に行っていました。唯一、たった一日だけ高熱で寝込み通えず…今では、あと1日で皆勤賞だったのにとよく笑っています。うちと妹もなんだかんだ毎日通っていました。うちは震災の影響でしばらく会社が休みになり、朝からずーっと病院にいましたね。

そんな中、手術の説明へ。
先生の言葉で1番印象に残っているのは、「この手術は、命を救うための手術になります」…。
手術の大小関係なく、手術前には必ず色んな危険性の話を病院側はしますが、今回の母の手術に関して先生は…
●まず命を救うための手術になる。
●手術が成功しても、左脳がだいぶ腫瘍でやられているので、言語障害、右半身麻痺はかなり高い確率で残るかもしれない。
●状態によっては植物状態、最悪は命を落とす。

髄膜種の手術でここまで可能性の高いリスクの話をする事はあまりない、それだけ危険性の高い手術だ、との事でした。

あまりにも大きく奥まで腫瘍が進出しているので、まずカテーテルを使い出血を抑える。そして手術は2回。1回目は、左の頭から腫瘍をとるのと、2回目は日を改めて、取りきれなかった腫瘍を前(おでこのあたり)から取るというもので、負担は計り知れない感じでした。

話を聞いた時は、涙が止まらず。
その時は、なんでもっと早く…まだまだ親孝行できてない…などいろんな記憶や後悔が混みあげて悲しくて仕方ありませんでした。

が!私たち家族は絶対に諦めない。
必ず良くなる事しか考えない!

ザ!プラス思考軍団、笑

口にすると現実になってしまうと信じているので、決してマイナスな事は言わないし考えない。プラスな事しか口にしないと決めました。誰に何を言われようが、「大丈夫!必ず良くなる」と笑顔でいる事に。これは、家族でそうしようと話し合ったわけではありませんが、あとで聞いたらみんなそう決めていたみたいで…やっぱ家族だなって実感。

そして手術までの間、いろんな人がお見舞いに来てくれて。特に旦那さんを筆頭に友達がみんなで千羽鶴を織ってくれたのには感動しました…うちにみんなで集まって黙々と鶴を折る。自宅でも折って持って来てくれる。完成した鶴は千羽を超えていたと思います。本当に人に恵まれていることに感謝感謝!

幸せ者です!

病院側でも素敵なアイデアを提案してくれました。なんと…先生、看護師さんとの交換日記!笑。

何か変化や不安に思う事、要望など何かあれば何でも書いて!と一冊のノートをくれました。

今日は一人でスプーンを持った!とか、突然意味不明な言葉を発した…とか、自分が思う事なんでも。それに対して、ちゃんと先生方も返事をしてくれて、私たちがいない間の母の事を細かく記録してくれて。



本当に本当に感謝!!!!



家族で応援メッセージを寄せ書きしたマグカップ♡今回も病院に持っていかないと!




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