日常のふとした裂け目に入りこみ心が壊れていく女性、秘められた想いのたどり着く場所、ミステリの中に生きる人間たちの覚悟、生活の中に潜むささやかな謎を解きほぐす軽やかな推理など優美なたくらみに満ちた九つの謎を描く傑作ミステリ短編集です。
9編の短編が収録されています。
「溶けてゆく」
「紙魚家崩壊」
「死と密室」
「白い朝」
「サイコロ、コロコロ」
「おにぎり、ぎりぎり」
「蝶」
「俺の席」
「新釈おとぎばなし」
各編は、東京で就職し、一人暮らしを始めた人付き合いがあまり得意でない美咲が職場でのストレスから好きな漫画に少しづつのめり込んでいく「溶けてゆく」、名探偵とその助手の両手が恋をしている女が遭遇した事件を描く「紙魚家崩壊」と「死と密室」、少年名探偵に心の内を見抜かれた経験を若き日のことを千恵子が思い出す「白い朝」、出版社に勤める千春が出会った不思議な出来事を描く「サイコロ、コロコロ」と「おにぎり、ぎりぎり」、ひとりの女性の秘めた思いを描く「蝶」、平日の朝、偶然にも日常とは異なる行動をすることになった男が遭遇する奇妙な体験を描く「俺の席」、作家である“わたし”が『カチカチ山』の真相に迫る「新釈おとぎばなし」と、ホラー色の濃いもの(「溶けてゆく」、「俺の席」)から謎解きミステリ色の濃いもの(「紙魚家崩壊」、「死と密室」)までバラエティに富んでいます。
私のお気に入りは、第1話「溶けていく」と最終話「新釈おとぎばなし」です。
「溶けていく」の主人公の美咲は、短大を卒業して就職した東京で一人暮らしを始めたばかりです。
もともと人付き合いがあまり得意でなかった美咲は、職場でのストレスを子どものころから好きだった漫画を描くことで癒そうとします。
しかし、仲が良かった父親が急死し、その死に目に間に合わなかったことをきっかけに、美咲の精神は少しづつ壊れていきます。
切ない哀しさと奇妙な味の謎が見事に融合した秀作です。
「新釈おとぎばなし」は作家の“わたし”がおとぎばなしについてミステリ雑誌に文章を書くという設定で始まります。
その文章を書くにあたっての“わたし”の思考過程が描かれる前半と、本編ともいえる『カチカチ山』の真相が描かれる後半で構成されています。
後半ではおじいさんから通報を受けた探偵役のウサギがおばあさん殺人事件の真相に挑みます。
『カチカチ山』で描かれる凄惨な婆汁の真相をウサギが見事に解き明かす過程は圧巻です。
作者の本領が発揮された本格ミステリの1編です。
表紙のイラストは、銅版画家の謡口早苗さんです。
表題作「紙魚家崩壊」をイメージした作品でしょうか、崩壊する洋館が描かれています。
[2023年3月30日読了]