記念すべき1回目の記事ですが、私の好きな(?)言葉の「結果論」についてです。

起こった事象を踏まえて、それ以前の選択や判断について後悔してしまいがちですが、未然に全て想定できないことは多いはずです。
逆にその時点での情報では確実な判断はできないのに、期待する結果を得たいがために、必要以上に悩んでしまうことって多いですよね。
どちらも幸せに生きる上ではとても勿体ないと感じます。

私は、
「こうなってしまったのは結果論だし仕方ない」
「今考えても、結局のところ結果論でしか語れない」
と割り切ることが比較的多いです。

結果論を受け入れるのが難しい背景には、やはり現代社会が便利になり過ぎたことが影響していると思います。
それ自体、悪いことではありません。
しかし、支払うコストに対して、期待通りの対価を得られるのが当たり前になり過ぎた、いわば「失敗しない選択」に慣れ過ぎた弊害かと…。

映画や小説も事前にレビューを見られ、就職する前にインターンで雰囲気を知るのは常識に、お金的にも時間的にもコスパが至高とされる中で、極端に無駄は嫌われるようになりました。
もちろん、効率的な生き方ができるならばそれに越したことはないですが、5年後、10年後の自分が今と同じとは限りません。
身の回りの環境であったり、思考・趣味、さらには社会情勢も変化します。
それを踏まえると、未来のことに絶対はあり得ないもので、その瞬間瞬間で常に最善の選択にアップデートしていくしかないんですよね。

私たちのように自然の中での活動を主戦場にしていると、期待通りの結果につながらないことは日常茶飯事です。
野鳥観察に行って、見たかった鳥が出てくるかは運次第です。
晴れているからと登山に行って、山頂に着いたときだけ曇ることだってあります。
それらをコントロールすることはできないので、状況に応じた楽しみ方を自分で工夫するしかありません。
そういった思考が染み付いているので、日常の小さな判断の際にも、結局のところ結果論だからな、と割り切れるのかなと思っています。
(最近は、動物を見るツアーで「確実に見れる」をウリにする例も増えてきたので、時代に合わせてきているところもありますが)

世の中には自分でコントロールできないことが多くあります。
人生は攻略本を見ながらRPGを進めているわけじゃないので、時に遠回りをしたり後戻りしたりすることがあるのが当然です。
他人と比べてしまうと後れを取ることに落ち込んでしまうかもしれませんが、人生は自分だけのもの、唯一無二の歩んできた道のりが「自分」そのものなので、受け入れてあげましょう!