「ケアプラン」・・・。この、何とも、もっともらしい言葉の響きと意味。
日本語に訳せば、「介護の計画」と読み取れるし、理屈で考えれば、それほどの違和感は覚えないはずである。なぜなら、「ケアマネージャーの計画した介護計画に基づいて介護サービスを実施する」ということである。
例えば、工場であれば作業指示書などに基づいて現場の作業員は物をつくる訳であり、これになぞらせれば、一応はまっとうな考え方である。
しかし、この考え方は介護現場を全く知らない人の理屈。
例えば・・・。
家庭の奥さんが家事をするときに「家事プラン」などという、「紙」を見て家事をするだろうか?
子育てをする際に「子育て計画書」などという、「紙」を見て、子育てをするだろうか?
このように、介護というのは、工場の生産ラインでものを作ることとは、本質的に意味が違う。試行錯誤を繰り返しながら、生活を維持・発展させていくものであり、計画など必要ではない。
入院して要介護状態になって、退院に向けて、ケアマネと理学療法士の指南のもと住宅改修で、玄関の出入りに役立つ手すりの設置をした。しかし、道路から玄関までの距離が長いのでの、退院してしばらくしたら、実際には、距離の短い、部屋の窓から出入りをしているなどという事例は枚挙にいとまがない。
プロ意識を露骨に出して指南しても、人間の体と生活は、そのプロ意識の専門性とやらは、意識していない。
プロ意識を露骨に出して、作った。ケアプラン。結局のところ、ゴミになるだけの書類なのだ。