が、先生が代わったことで、内容も変わり
新しい先生のやり方は、台本はあっても、台本のセリフ通りにはやらないという方式なのです。
要するに、役になりきって、台本の道筋は変えずに、自分の言葉を使った演技をする。
要するに、自分のキャラクターを生かしたセリフと役作りをするというやり方なのです。
ある意味、人前で目立ちたくないわたしは、わたしではない別物になれるからこそ、演劇は楽しいと思ってました。
しかし、ある意味自分でいる演技、自分の言葉でのアドリブ演技は、わたしにはとても苦痛で難しくて、言葉がでなくなってしまいました。
そして、突如に拒否反応がでてしまい、わたしにはできません!
と、断固キッパリ拒否してしまいました・・・笑

けれど、先生はそんなわたしに何も言わずに受け入れてくれたのです。
そして一ヶ月後、ふと思ったんでよね。
わたしは、できない訳ではなく、単純にやりたくない!だけなんだと。
わたしは、できない訳ではなく、単純に失敗したくない!だけなんだと。
わたしは、できない訳ではなく、単純に、うまくやらなければならない!に囚われているだけなんだと。
それにわたしは役者を目指している訳ではありません!
元々は、自分に自信をつけたいという目的から始めたものです。
だったら、なおさら失敗したっていいじゃない!
上手くできなくてもいいじゃない!
ましてや本番ではないんだから、なおさらいろいろチャレンジして、経験を積み上げる方が大切じゃない?
そこで、開き直ったわたしは再びチャレンジすることにしたのです。
相手が放った言葉に集中して、自分の言葉でリアクションする。
自分の言葉の引き出しを少しずつ増やしていく。
どう見られようが、どう思われようがどうだっていい!
とりあえず、みんなで作りあげているこの時間を、楽しむことにしたのです。
そしたらね。なんだか楽しくなっちゃったんです。
あっ、こんなリアクションもあるよね!
あっ、次はこんなこと言ってみようかな?
台本のセリフに囚われない自由な舞台は、いろんな可能性があって、それは楽しい世界が広がるのです。
けれど、こうしてわたしが自らもう一度やってみようと思えたのは
決して、ダメだしをしなかった先生のおかげなんですよね。
どんなわたしでも暖かく見守ってくれて、時期を待っていてくれた先生のおかげだと思っています。
結局、人の可能性を広げるのも潰すのも、こうでなくてはならない!ばかりに囚われている自分や他人なんだと感じました。
正直、何が正しくて何が間違ってるなんてないんですよね。
全てのことはその人の経験値になるわけで、失敗があってこそ、成功があって
成功だけしか知らない人生を生きている人なんて、おそらくどこにもいないですよね?
だったらさ。もし、誰かに迷惑かけていないとしたら、その人を正そうとするのではなく、まずはどんな相手も受け入れることが大切なのかもしれません。
時には相手を信じて、時期が来ることをただひたすら待つことがベストなのかもしれません。
なぜなら、もし、まだその人の時期でなかったとしたら、他人から言われれば言われただけ反抗したくなるからです。(まさに、わたしがそうでした!笑)
そしてわたし自身、相手の可能性を潰してしまうような言動やダメだし発言には(特に子供に対して)充分に気をつけたいと思ったのです。
むしろ、正当な理由を述べるよりも、まずは自分のあり方で相手に示してみたらどうだろう?
例えば、愚痴ばかり言う人がいたとして、そこを正そうとするのではなく、自分に起きた素晴らしい出来事しか言わない!笑とか。
例えば、どんなに意地悪されたとしても、そこに反応するのではなく、逆にその人に対していつも優しく接してみるとかね。(←これはやったことありますが、上手くいきました!笑)
言葉で正そうとするのではなく、自分の態度にフォーカスして
他者の可能性をいくらでも広げられる世界になったとしたならば、そんな素敵なことはないっ

自分自身から、変わろう!と思わせられたのなら、そんな素晴らしいあり方はないのではないだろうかと思ったのです。(※ただし、状況にもよります!)
相手にダメだしするよりも
ありのままの相手を暖かく見守ることができたなら
そこにはたくさんの可能性が広がる、それは素晴らしい世界になることでしょう

今回の経験を通じて、そんな風に感じたみなみなのでした☆