駿府城三ノ丸跡(歴史文化施設予定地)発掘調査現場説明会(2019年7月20日)
静岡市の歴史文化施設建設に伴う駿府城跡発掘調査で、何やら新たな発見があったというニュースが流れ、7月20日(土)に現場説明会が開催されるということを聞き、行ってまいりました。
場所は、静岡県庁の東、旧青葉小学校跡地です。
この場所に、2021年度開館を目指し、静岡市歴史文化施設の整備が進められているということで、それに伴って発掘調査が行われています。
場所は下の地図の黄色い部分。駿府城の大手御門を入ったところの右手、三ノ丸にあたる部分です。
現場説明会会場への入り口は県庁側です。
受付で資料などをいただきます。
(説明会資料)
午前の部の説明は10時からということです。既にたくさんの方が来ていますね。
発掘調査箇所はこんな感じです。
巽櫓との位置関係はこんな感じです。二ノ丸堀(中堀)を挟んで、すぐ南側です。
調査区全体図です。
今回の発掘調査では、現時点で大きく2つの発見があったということです。
① 戦国時代末期のまち(道と武家屋敷の石垣)を駿府で初めて発見
② 江戸時代の城代屋敷跡を発見
発掘現場の奥の方を見学していると、間もなく担当者の説明が始まるようです。
午前10時になり、市の発掘調査担当者の方の説明が始まりました。天守台の現場説明会でも説明されておられる方ですね。
① 戦国時代末期の道路と武家屋敷の石垣
大御所となった家康が三ノ丸の堀と石垣を築造する以前の戦国末期(天正期)の道路とその両脇にある武家屋敷の石垣だということです。
反対側(東側)か見たところ。
道路は幅2.7m、長さは30mを超えるとのこと。表面は、土に砂利を混ぜ10~25㎝の厚さを締め固めているそうです。
道幅から、大手道や東海道に繋がる支道と考えられるとのことです。
石垣は、南側で地上2段あり、北側は1段しか残っていないとのこと。
石垣の裏込めの川原石は、石垣よりも高く残っているため、本来はさらに1~2段の石垣があったものと推定されるそうです。
石垣には入口に当たる部分がなく、30mを超える1つの大きな屋敷地であることから、重臣クラスの屋敷地であった可能性が考えられるとのこと。
粗割りした石も見られるが、自然石が主体となっているとのこと。
家康没後、寛永9年(1632)から幕末まで城主が不在となり、駿府には城代が置かれていたということで、絵図からも、今回の発掘現場は江戸時代に城代屋敷があったことが分かっているとのことです。
今回、幕末頃の土層から建物跡が見つかったということで、絵図資料から城代屋敷の建物であると考えられるということです。
② 江戸時代の城代屋敷跡
今回発見された遺構は、建物の礎石の下を固定する根固め石で、当時の地面下の部分であり、礎石や建物本体は残念ながら残っていなかったそうです。
根石は幅1間または半間の等間隔で並ぶが、ごくわずかしか残っていないため、屋敷のどの部分に当たるのか特定することはできないそうです。
城代屋敷跡の根石が見つかった場所の東奥の方には、大きな石が埋められているのも見つかっています。
一瞬、柱穴がある礎石かなと思いますが、手水鉢だそうです。
矢穴がありますので石垣の石ですね。
報道のテレビカメラも来ていました。
入口の受付のテントでは出土遺物の展示がされていました。
この場所の発掘調査は10月末まで続けられるそうです。
調査区の北半分、道路と武家屋敷の石垣は、保存する方針のため、深く掘り下げることはしないそうです。現在は、調査区の南半分、戦国末期の武家屋敷地の内部の調査を行っているとのことです。南半分はさらに調査を進め、下層の今川氏時代の遺構の発掘調査を進めていくということです。
新たな発見を期待したいです。