早雲公五百年忌記念シンポジウム「小田原北条氏とその城郭」(2019年5月2日)
GW10連休の折り返しの5月2日(木)に小田原へ行ってきました。
2019年は、小田原北条氏の祖である北条早雲こと伊勢宗瑞の没後500年という節目の年にあたるということで、様々なイベントが予定されているということですが、そのひとつ、早雲公五百年忌シンポジウム『小田原北条氏とその城郭』が開催されると知り、行ってきたという次第です。
シンポジウムは14時開始だったので、当然それまでは小田原城へ行きますよね。
新幹線を降り、小田原駅から歩いてお城へ向かいます。さすがGW真っただ中、たくさんの人が同じ方向に歩いています。多くの皆さんが天守を目指して歩いていると思われる中、まずは、八幡山古郭東曲輪跡へ向かいます^^
八幡山古郭は、いうまでもなく戦国期小田原城の主郭があったと推定される場所です。この東曲輪は、八幡山古郭の東寄りに位置し、発掘調査で半地下式の倉庫等と考えられる方形竪穴状遺構や掘立柱建物跡が発見されているそうです。
ここから天守にはたくさんの人が登っているのが見えますが、それに比べてここはひっそりとしています。(それでも2人の方が見学していましたが・・・)
それでは自分も天守の方へ向かいますかね。
城址公園の北入口から御用米曲輪跡を見ながら進みます。
御用米曲輪は、江戸幕府の米などを収める蔵があったところで、平成22年度(2010)からの発掘調査で、江戸期の蔵跡や戦国期の建物跡など、様々な遺構が発見されているとのことです。
御用米曲輪跡の南西側からは、切石を敷き詰めて造られた戦国期の庭園の一部も発見されているそうですよ。(現地に設置の説明板より)
「平成の大改修」を経て平成28年(2016)5月1日リニューアルオープンした天守に入るのは初めてです。
入場待ちの行列を覚悟していましたが、拍子抜けするくらいすんなりと入ることができました。内部の展示も全面的に改定したということで、貴重な資料を見学することができます。
天守最上階の廻縁から、先ほど訪れた八幡山古郭東曲輪を望みます。
天守内部を見学した後、SAMURAI館となっている常盤木門の中も見学してから、シンポジウムの会場である小田原市民会館の方へ向かいます。ちょう正規の登城ルートを逆に下城する形になります。
二の丸の表門である銅門です。発掘調査や古写真、絵図などを参考に、平成9年(1997)に復元されたということです。
石垣による枡形、内仕切門、櫓門を組み合わせた形式の枡形門で、南側の馬屋曲輪やお茶壺曲輪とは住吉堀によって隔てられています。
銅門を出て馬屋曲輪跡を進んだ先にある馬出門です。三の丸から二の丸に向かう大手筋に位置する門で、寛文12年(1672)に枡形形式に改修されたそうです。平成15~16年度(2003~04)に発掘調査を行い、平成17~20年度(2005~08)に復元整備されたということです。高麗門形式の馬出門と内冠木門の二つの門の周囲を土塀で囲った枡形門です。
城主の居館があった二の丸の南東隅に建つ隅櫓。明治の破却後も唯一残っていたが、大正12年(1923)の関東大震災により、石垣ごと堀の中へ崩落してしまったそうです。この櫓は、昭和9年(1934)に復興されたもので、江戸期のものより一回り小さいということです。
二の丸の北側の弁財天曲輪跡です。蓮池という天然の堀とともに小田原城の北側を守っていたそうです。
なんか整備されていて、こんな矢穴が見られる石が並べられていますよ。
シンポジウム会場の小田原市民会館に近づいてきました。
市民会館の南側の道路沿いに鐘楼が建っています。
この場所は、江戸期に小田原城大手門の櫓台北側石垣があった場所ということです。大手門には、三代将軍家光の上洛を控えた寛永10年(1632)の改修工事で石垣が造られ、その後、正保年間(1644~48)に渡櫓門、延宝年間(1673~81)に冠木門が普請されたということです。櫓台石垣上に鐘楼が設けられたのは大正時代とのこと。
シンポジウム会場の小田原市民会館へやってきました。14時開演ですが、13時の開場とともに中へ入ってしまいました^^;
有料のシンポジウムだけあって(?)、資料も立派なものです。
シンポジウムのスケジュールはこんな感じです。
14:00 趣旨説明
14:10 記念講演①
15:00 (休憩)
15:10 記念講演②
16:00 (休憩)
16:10 お城トーク
開演10分前に、「皆さん暇そうにしていたから・・・」と、突然昇太師匠が登場し、前説(?)を始めました。これで開演までに、いい具合に会場が温まりました^^
14時になり、小田原城天守閣館長の諏訪間 順 氏による趣旨説明の後、最初の記念講演は、滋賀県立大学教授の中井 均 先生です。演題は 『秀吉が造った石垣山城と秀吉が見た北条の城』 です。(写真撮り忘れました・・・)
石垣山城は陣城ではあるが、石垣、天守、瓦葺き建物という織豊系城郭の3要素をすべて備えており、軍事的にのみ機能する陣城ではなく、見せる城として築かれたということ。塁線上に配された天守台、一の門を構えない枡形などの構造はまさに秀吉の城郭そのものである。
一方、秀吉は小田原攻め以後に、御土居や大坂城の総構を築いているが、そこには小田原城の総構が関与していた可能性が高いということでした。
二つ目の記念講演は、駿河台大学教授の黒田 基樹 先生です。演題は 『小田原北条氏の城』 です。
北条氏の研究者である黒田先生からは、関東の大部分に及ぶ北条家の「惣国」が、その内部に個々の領国が存在する重層的、複合的なものであったこと。領国の支配拠点としての城郭(支城)についてのお話を聴くことができました。
そして、シンポジウムのメインは。16時10分からのお城トークです。テーマは、『北条氏の城のみどころ・城めぐり』
進行は、城郭ライターの 萩原 さちこ さん。パネラーは、城好き落語家の 春風亭 昇太 師匠、記念講演をしていただいた 中井 均 先生 と 黒田 基樹 先生、そして、諏訪間 順 館長 の4人です。
内容は、小田原城総構がいかにすごいものかの熱いトークなど、非常に楽しいものでした。
御自身たちも言っておられましたが、普通のお城に興味ない人からすれば、萩原さん、昇太師匠、中井先生は、明らかに “変な人” になるでしょうね^^
萩原さんが、三島市にふるさと納税したら、山中城の障子堀の中へ入れてもらえたと言っていましたが、本当なのでしょうか?(普通の人には、そんなのは特典にはなりませんよね^^;)
山城に登るのは嫌だとおっしゃっていた黒田先生は、小田原城の総構をずっと歩くのは?と訊かれ、「総構外側の豊臣方武将の陣跡のスタンプラリーで、全部集めたら豪華クリアファイルがもらえるとかだったら考えてもいい」とおっしゃっていました。景品がクリアファイルって…^^;
あっ、それからシンポジウムの資料が立派だといいましたが、後ろに北条の城が10城、あの香川 元太郎 先生のイラスト付きで紹介されているんです。これだけでもとても嬉しいです。
【小田原城】
【石垣山城】
【滝山城】
【山中城】