番外編111 峯城(2013年1月4日登城) | 城めぐりん

番外編111 峯城(2013年1月4日登城)

【三重県亀山市】


 峯城は、正平年間(1346~70)に関盛忠の五男・峯政実によって築城されたと伝えられるという。以後、峯氏6代の居城であったが、天正2年(1574)に峯八郎四郎が伊勢長島で討ち死にし、峯氏は滅亡したとのこと。その後、峯城は織田信孝老臣の岡本宗憲(良勝)に与えられたとされる。

 天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦いの前哨戦として、亀山・峯両城が滝川一益方の手に落ちると、羽柴秀吉は自ら3万の大軍を率いて北伊勢に侵攻し、亀山城・峯城を包囲する。城を守る滝川儀太夫(益重)は、孤立無援の中、籠城を続けるが、兵糧弾薬が尽き、賤ヶ岳の戦いの直前に降伏開城したという。戦いの終息後、織田信雄が入城し、佐久間正勝に城を守らせたというが、翌天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いの発端として、蒲生氏郷らによって攻城され、落城。天正18年(1590) 、岡本宗憲(良勝)が亀山城に移されるにあたり廃城にされたと伝わるとのこと。


 城は亀山市北部を流れる安楽川と八島川に挟まれた標高85mほどの丘陵上に位置し、中心郭のほか、複数の郭が連立する形となっていて、峯城攻防戦で籠城した複数の武将が、それぞれ郭を構築した可能性が指摘されているとのこと。

 主郭の北・西・南側の三方には、高さ6mを超える土塁が廻り、西側土塁の中央部の一段高い土壇は天守台と伝えられるという。


 かつてはほとんど整備がされておらず、見学し辛かったと記憶しているが、最近、地元の城址を守る会の方々のご尽力で、見学路の整備などが進められているということを聞き、年明けの小雪がちらつく中、地元三重の城、峯城へ行ってきました。


 入城は城址の北側からと南側からの2か所あるが、今回は北の亀山市川崎町柴崎側の入口から入り、南の亀山市川崎町森側の登城口へ下りることとする。

 いつものように、サンライズ出版「三重の山城ベスト50を歩く」掲載の亀山市歴史博物館の地形測量図を参考に登城。

 

 ↓ 峯城縄張図(クリックで拡大)
城めぐりん-峯城縄張図
  サンライズ出版「三重の山城ベスト50を歩く」より
  

 ↓ 峯城跡縄張模式図(クリックで拡大)
城めぐりん-峯城模式図

    (亀山市歴史博物館配布のパンフレットより) 
 

 国道306号を北へ向かって走り、亀山市川崎町の八島橋東詰の交差点を左折して八島川を渡る。JA鈴鹿川崎支店の前から農道を北へ向かって進むと、左前方に見える小山が峯城址となる。
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 城址を左に見ながらそのまま進むと、城址北側の柴崎側の登城口がある。入口には案内表示が設置されているのですぐわかる。
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 案内表示に従って登城口から奥へ進む。
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 途中、このような「峯城想像図」の標識が立てられている。この想像図の左上の方から入り右の方へ抜けていく形となる。
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 登城口からしばらく進むと墓地があり、その脇を抜けて南へ行くと「かんざし井戸」の標識が立っている。
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 表示に従って進むと、「かんざし井戸」と呼ばれる井戸跡がある。(縄張図の①

 峯城が炎上し、落城が迫ったとき、奥方が金襴緞子を身にまとい、金のかんざしを付け、琴を抱いてこの井戸に入水して自害したといわれており、毎年3月15日の夜には、井戸の中から哀しい琴の音が聞こえてくるという伝説があるという。
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 かんざし井戸のところから西へと進む。

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 しばらく進むと、縄張図の郭Ⅹへの虎口跡に至る。(縄張図の②

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 この虎口は外枡形を二重に組み合わせ、4回の折れを経て郭Ⅹへ入るという巧妙な構造を示しており、軍事性・技巧的な面から中世城郭として評価が高い遺構であるとのこと。
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城めぐりん-峯城9-2

 
 

 枡形の内部。
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城めぐりん-峯城10-2
  

 

 郭Ⅹ側から枡形を見たところ。
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城めぐりん-峯城11-2

  

 

 枡形虎口跡を抜けて郭Ⅹへ入る。(縄張図の③

 案内板が立てられているので迷うことはない。
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 郭Ⅹを西の方へ進む。

 この郭Ⅹは、他の郭群から独立した形となっており、天正11~12年(1583~84)の攻防戦で峯城に増援した武将の陣所であったと考えられるとのこと。
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 郭Ⅹの片隅には「志婆加支神社跡」の小さな石碑が建っている。

 志婆加支神社は、峯城鎮護の神として崇敬されたが、天正11年(1583)、滝川一益の峯城攻撃によって兵火にかかり灰燼、廃社同然になったという。その後、寛文6年(1666)に城山の高地に遷し再興されたが、明治末年の神社整理により能褒野神社に合祀されたとのこと。
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 郭Ⅹの北西の鉄塔が建っているところは櫓台跡とのこと。

 櫓台跡からの眺め。(縄張図の④
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 鉄塔が建つ櫓台跡のところから主郭の方を目指し南へ進む。
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 そのまま進むと、縄張図の郭Ⅴへ入る北虎口跡に至る。(縄張図の⑤
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 北虎口跡を抜けて郭Ⅴへ入る。

 郭Ⅴ側から見た北虎口跡。
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 郭Ⅴ跡。(縄張図の⑥)

 郭Ⅴは先ほど通ってきた副主郭ともいえる郭Ⅹから城の主郭部へ至る経路を兼ねているとのこと。
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 北虎口跡を入ったところから西の方へ進む。
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 その先に位置するのが郭Ⅷ跡。(縄張図の⑦

 さらにその先には郭Ⅶ跡が位置する。
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 もう一度北虎口跡のところまで戻り、郭Ⅴ跡の西側を南へ進む。
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 しばらく進むと左側に郭Ⅴの西虎口跡がある。(縄張図の⑧) 

 (奥が郭Ⅴ跡)
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 西虎口跡を左に見ながらそのまま南へ進むと、主郭の西側の帯郭(郭Ⅳ)跡に至る。(縄張図の⑨
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 この帯郭(郭Ⅳ)へ入る手前は、谷を活かした幅30mもの大きな堀切となっている。

 (縄張図の⑩

 (写真左側が郭Ⅴ跡、右側が主郭である郭Ⅰ跡)
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 郭Ⅴ跡側から堀切を見下ろしたところ。
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 帯郭(郭Ⅳ)跡から主郭(郭Ⅰ)北西隅の櫓台跡を見上げる。(縄張図の⑪
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 主郭(郭Ⅰ)跡西側の土塁に沿って帯郭(郭Ⅳ)跡を南へ進む。主郭(郭Ⅰ)は、南・西・北の三方をこのような高い土塁で囲まれている。(土塁の上が主郭(郭Ⅰ)跡)
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 帯郭(郭Ⅳ)跡から主郭(郭Ⅰ)西側の土塁中央部の伝天守台跡を見上げる。

 (縄張図の⑫
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 伝天守台跡のところには、わずかながら石垣の石が見られる。
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 伝天守台跡の下に転がっている石も石垣に使用された石であろうか。
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 主郭(郭Ⅰ)跡の南側へ回り東の方へ進む。
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 主郭(郭Ⅰ)へ入る南東隅の南虎口跡。(縄張図の⑬

 この南虎口脇にも櫓台が構えられていたとのこと。
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 南虎口跡を入ったところが主郭(郭Ⅰ)跡。(縄張図の⑭
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 主郭(郭Ⅰ)の三方を取り囲む土塁の上に登ってみる。土塁の比高は主郭内部から7mを超えるとのことで、櫓台と折れを組み合わせて横矢が掛かるようになっているという。
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 南側の土塁上から西側の土塁上の方へ歩いていく。
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 土塁上から見た主郭(郭Ⅰ)跡内部。
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 先ほど帯郭(郭Ⅳ)跡から見上げた主郭(郭Ⅰ)西側の土塁中央部の伝天守台跡。

 (縄張図の⑫
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 伝天守台跡の上にもこのような石が転がっていた。
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 伝天守台跡から西側の帯郭(郭Ⅳ)跡を見下ろしたところ。
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 伝天守台跡から土塁上をさらに北へ歩く。
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 こちらもまた先ほど帯郭(郭Ⅳ)跡から見上げた主郭(郭Ⅰ)北西隅の櫓台跡。

 (縄張図の⑪
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 櫓台跡から主郭(郭Ⅰ)と郭Ⅴの間の堀切を見下ろす。(縄張図の⑩
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 土塁上から主郭(郭Ⅰ)跡内部へ下りてみる。竹などが伐採されて見易くなっている。城址を守る会の皆さまありがとうございます。m(__)m
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 主郭(郭Ⅰ)跡からもう一度南虎口跡を通って外へ出る。
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 主郭(郭Ⅰ)の南側に広がる郭Ⅲ跡。(縄張図の⑮

 郭Ⅲ跡から城址の東側にかけての辺りは、字名が「殿町」となっており、屋敷地であった可能性があるとのこと。
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 ここからもう一つの城址登城口、亀山市川崎町森側の入口の方へ下りていく。
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 鋭角に折れ曲がって登城路を下っていく。
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 坂を下ったところには「史跡 峯城址」の標柱が建てられている。(縄張図の⑯
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 城址西側を歩いて森側の入口の方へ向かう。
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 森側の入口のところには説明板も建てられている。(縄張図の⑰
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 森側の入口。これで城址を北から南へ抜けてきたことになる。
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 この後、農道を歩いて車を停めた柴崎側の入口のところまで戻る。

 以前はほとんど整備されておらず、見学にも一苦労であったが、今回は案内板も建てられており、迷うこともなく、かなり見学し易くなっていました。本当に「峯城の城址を守る会」の皆さまには感謝です^^