今日はバイトが休みだったので、朝から神棚の世話を済ませ昼食をとってから、掃除をしようと思っていたが永遠のゼロを読み始めると止まらなくなり、二章を読みきったところで栞を挟んだ。
もう、日が陰り始めている夕方四時前か。
二章は元特攻隊の生き残り長谷川老人から聞いた祖父宮部の話だったな。
結論から言おう、日本は敗戦することで世界に開けた国へと転生できたのだ。
お国の為に死に花を咲かそうとした長谷川老人は片腕を失い晩節を汚すだけの余生を残された一方、命あっての物種と何がなんでも生き残ろうともがいた宮部は古い日本脱け殻と共にこの世を去った。
神さんは獣は死んで皮を残すが人は死んで名を残すとおっしゃる。
それが人の人生であり運命です。
人生とは生きること、必死に最後まで生きようと努力した者にこそそれに見合った死が与えられるのです。
逃げてばかり、立ち止まってばかりではいつまでたっても死ぬことはできない。
ダラダラと生き恥を晒すだけの結果になるでしょう。
ならば逃げてばかりの宮部が何故死んだのか?
彼は逃げていたのではありません、必死に生き抜こうとしたのです。
だからこそ死ねたのです。
おおよそ、私のような人生の試練から逃げてばかりの怠け者や、全てを諦めて投げやりに自殺をして逃げようとするような卑怯者は神様は許しません。
あんまり神さんの言うことを聞かずに怠ったり逃げてばかりいる奴には死ぬことは愚か眠ることすら許されないほどの手厳しい神罰が下ります。
死んで花実が咲くものか。
実は生かされることこそ地獄であり神さんの試練そのもので、死んで成仏できることは人生の卒業というぐらいめでたいことなんですよね。
私の母方の祖父は戦時中、帝国陸軍の隊長だったそうですが訓練中に部下に拳銃で脛を撃たれて出征前に傷痍軍人として除隊をせざるを得なくなりました。
当時の日本ではそれはとても不名誉なことだったであろうし、きっと本人も長谷川老人のような気持ちを抱えて残りの人生を生きたのでしょう。
だからこそ、終戦後に滞っていた戦没者遺族への恩給や、傷痍軍人への手当ての支給を政府に促すボランティア活動に熱心に取り組み、昭和天皇から勲六等の名誉の勲章を授かったのでしょう。
ちなみに私の祖父の脚を撃って使い物にならなくさせたその部下は、その後祖父に代わって祖父の隊を率いて中国の方へ出征したそうですが、結果は敗北…部隊は全滅させられたそうです。
死にかたには必ず生き方の結果が出ます。
それが仏教でいう因果応報の理というやつでしょう。
戦争だけじゃない、平時だって同じこと。
伏見稲荷といえば、私の親戚のおじさんもまつっていました。
だから、おじさんは家業を継がずなんの支援もなく一代で四社を束ねる大社長までな成り上がりましたが家族を大事にしなかった。
奥さんも子供も…親すらも。
女遊びに耽ってしまった。
だから短命で親より早くまるで三日天下の如く亡くなってしまった。
というお話もあります。
人生には死に際に必ず結果がでます。
安倍晋三さんも天に逆らった…
天皇陛下を利用してまた昔の日本に戻そうとした…
陛下の生前退位は古い日本から脱皮できない自民党への最大の嫌がらせなんですよ。
日本の防衛に無関係な戦争に日本人が血を流して戦いにいく必要などないのですよ。
それが原爆の教訓です。
憲法9条も。
アメリカは憲法9条を改憲することまで日本に求めていません。
自民党は自分たちの都合のいいように、日本の神様や天皇陛下や国民の命を利用しようとするのはやめていただきたい。
ほどほどにしとかないと神罰が下ります。
いや冗談抜きで。