私は幼い頃から人生において何度も死にかけた。

二歳のときには肺炎で、17歳高校生のときはアナヒィラキシーショックで。

そして二年前はコロナで、去年は低カリウム血症で…こないだの新型インフルは死にかけるってほどではなかったが…それでも苦しかった。

死に近づくということは苦しいこと。

それは誰でも想像できること。

しかし、私には昔から霊感がある。

今まで何度も死者の死出の門出をお見送りしたし、この世への未練がありあの世へ行けずこの世を亡霊となってさ迷っている死者とも何度も会ってきた。

池田大作さんがなぜ学会員でもない私なんかの所へ別れの挨拶にきたんだろう?

安倍晋三さんがどうして私なんかに?

それぐらいこの世には死者がはっきり見える(霊感がある)人が少ないのだ。

つまりどういうことか。

この世に生きてらっしゃる皆さんは死を「究極の苦の先にある無の世界」と誤解している人が実に多い。

何故このような誤解が生まれるか、科学に頼りきった現代の死生観が死後の世界や幽霊がいないと考えるのが世の常識で、霊能者というのは異端視されている。

私もそうだった。

成人するまでは霊感は殆んどなかった。

お化けを見たこともなかったし、死後の世界もないと考えていた。

健康で死と無縁な人ならそう考えるのが普通だろう。

しかし、健康な人だって死はある日突然にやってくる。

生まれる前の記憶が無いように、死後の世界も死んでからしかわからない。

死とは究極の苦ではなく、乗り越えなければならない究極の悲の世界だ。

肉体的な死の苦しみというのは本当に一瞬だ。

反対に性行為の快感や出産の痛みなんがが永遠に続く人なんていないだろう。

苦は一瞬、その後に耐えがたいこの世との離別の悲壮が待っている。

ある日、いきなり愛する子供が誘拐されたら?

親側だって子供側だってとても悲しむだろう。

しかし誘拐ならまだこの世という世界でお互いか黙視可能な肉体を持ったまま存在できているが、死にはそういった再会の希望が一ミリも残されていない。

今生の別れというやつだ。

自分や周囲の家族や身内の心の準備ができてようが、できていまいが、死は突然にやって来るし、さらに待ってもくれない。

死んでしまったら誰もこの世の生きた人達から認識されなくなる。

この時にこの世への未練が強すぎて次に進めない人が不成仏霊となってしまう。

安倍晋三さんが亡くなってから、どうして毎晩のように私に会いに来ていたのか…

日本や自民党の未来に対してやり過ごせない未練があったからだよ。

結局神様に説得されてもう次へ進んで行かれたが…

百田尚樹さんは退院ライブで「天の神さんがワシに与えたこの世での使命がまだ残っているから命を助けられたかも知れない」という趣旨の発言をしていた。

本当に今際の際に神さんが見えてそうおっしゃったのか、想像なのか私は百田さん本人でないので分からないが、彼の言っていることを聞いていると本当に「死」とはなんなのかということを真から理解し覚悟もあることが言葉の節々に見受けられる。

神さまに延ばしていただいたこの世での寿命であるのなら、大切に1日1日の生をしっかりと噛みしめながら、また残された使命に向かって前進しつつ生きて下さい。