西部邁不在の6年半〜残された動画にみるその佇まい | 秀雄のブログ

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西部邁が自裁されたのは平成30年1月21日でありました。私は長い間私淑していた人物の死に衝撃を受けて、当時、下のような一文を書きました。





死後このような文章を一度書くと、仮にそれが自分が直接関わりを持った人間であったとしても、年月を経るに従ってその死を受け入れ、次第に忘れていくものなのですが、西部邁に限っては、ぶり返す病にかかって思い出したように発熱を繰り返すかのように、その言葉の片言隻句が、動画の画面の向こう側の「談論風発」といった容貌が、脳裏に浮かんで仕方がないのであります。


かなり昔になりますが、平成7(1995)年、西部が主催する「発言者塾大阪シンポジウム」に参加し、その後の懇親会で、すぐ目の前で煙草をふかしながら、みんなと議論している颯爽とした姿が今でも鮮やかに蘇ってきます。



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平成30年のあの日から、私達が見てきたのは、時代が「令和」になったこと、コロナ騒動とワクチン、安倍元総理の暗殺、ロシアとウクライナの紛争、数十年ぶりの株高と円安、イスラエルとハマス間の戦闘……どれをとっても、この現実をどうとらえればいいのか、どのように考えたらいいのか、混迷するばかりで、その折々に、西部邁の「不在」という形で「存在」が意識されてきたのであります。


今、私達が拝見できる西部さんの残された動画の中の姿は、どれも議論としても魅力に溢れ、「いわゆる保守派」に決して迎合することなく、かつ笑いを交えたものばかりで、そして友人や女性に対して優しい性格が伝わってきます。


それが死期が近づいたものになればなるほど、表情に憂いと疲労と淋しさとが感じられ、


「僕はもうすぐいなくなるけど……」

「希望なんかどこにもないですよ、オルテガが言ったように、絶望する人間が増えていくことだけが、唯一の希望である……」

「今の人は、朝から晩までスマホ触ってる人間が溢れかえって、こんな所で国を守るとか、文化がどうのって、ニヒルにしかなりようがない……」

「社会の権力がひとたび大衆の手にわたったら、その社会を救済することは不可能である……」


と、正鵠を射た、それでいて胸が締め付けられるような発言が増えていくのです。これらはみな日本人全てへの遺言でありましょう。それと同時に自らの死に対する助走、スプリングボードともとれます。


ただ、最晩年の動画の一つ、「馬鹿を考え続けた人生」に於いては、何かが吹っ切れたと言いましょうか、相手が中山恭子さんだということもあるのでしょうが、穏やかでにこやかな優しい表情をされています。





石原慎太郎が三島由紀夫の自決の直前の写真を見て、「無私になった人間はこんなにも美しいのか」と言いましたが、西部さんの場合は、温厚なおばあちゃんのような表情をしてるように感じました。


そういえば、西部がかつて小林秀雄を評した文章で、次のように述べていました。


(引用)

小林の思想を扱う手つき、最晩年の小林の面持ち、素ぶりは優しげな老婆のようであったとある編集者から聞かされたことがあるー何を隠そう、猫を膝にして縁側で微笑んでいる老婆のような男に会いたい一心で、私は老人との付き合いを大事にしているのである。


〜『思想史の相貌』西部邁〜


(引用終わり)


中山さんとの最後の対談を見ていると、まさに西部自身が「猫を膝にして縁側で微笑んでいる老婆のような男」であり、それが私達をいつまでも惹きつけてやまない魅力であり、又、今の「自称保守派」「反左翼」等「右寄り」の人達の誰1人として持ち合わせていない「佇まい」なのです。