再び歴史について | 秀雄のブログ

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もう少し小林秀雄の「歴史」について考えていきます。前回の記事の最後に引用した文章は、昭和45年8月9日、長崎県雲仙に於いての小林の学生に向けての講義「文学の雑感」のその後の学生との対話をもとにしたものであります。現在は新潮社から『学生との対話』として活字化されています。その講義と質疑応答はCDにも収められています。

 
小林は「常識」や「言葉」について語る時、世間でいう「常識」や「言葉」とは全く異なる考えを説くのですが、それと同じように「歴史」についてその大切さを語る時にも、現代人が考える所謂「歴史」とは相当違った「歴史」を説くのです。それは小林の説く「歴史」が歪んでいることを意味するものでは当然ありません。寧ろ物事の本質を突いているが故に、つまり歴史の核心に触れているが故に、現代の「歴史」の歪みが露呈する、といった類のものであります。
 
「今、非常に誤解されているが、歴史というものは、僕らの外にあったものだと思われるようになってしまった。だから、歴史というものは、見ようと思えば見えるものだと思っている。本能寺の変なら本能寺の変で、天正十年にあそこでこういうことが起こったのだと、知識として過去を調べることが歴史になってしまっている。過去を今の僕たちの心の中に生かすことなどは無駄だと考えるようになってしまった。」(小林『学生との対話』)
 
歴史とは私達の外にあるものではない、心の中にあるものだ、それがつまるところ「思い出」となるのです。それは私達が中学校や高校で学ぶ歴史ではない、そして大学アカデミズムで研究している歴史でもありません。それらは全て外側にあるものです。知識です。
 
丸山眞男が『日本の思想』(岩波新書)において小林の「歴史とはつまるところ思い出だ」という考えを批判したことはよく知られていますが、丸山は上のことがほとんど分かっていませんでした。
 
外側にあるものならば、見ようと思えばいつでも見えるでしょう、そうではないのです。「思い出」は心の中にしか見えない、肉眼で見るのではない、心眼で見るのです。小林は別の箇所で「ベルグソンは、人間は眼があるから見えるのではない、眼があるにもかかわらず見えているのだと言っているよ。僕の肉眼は、僕の心眼の邪魔をしているんだ。そして、心眼が優れている人は、物の裏側まで見えるんだ」と言っています。
 
私達は知識を学ぶことが「歴史」の勉強であり、知識を調べることが「歴史」の研究だと思い込んでいる節があります。本能寺の変は「天正十年にあそこでこういうことが起こったのだと、知識として過去を調べることが歴史になってしまってい」ます。私はそういう「歴史」の勉強やそういう「歴史」の研究を否定するものではありません。また小林も勉強や研究を否定はしていません。しかし小林は知識の勉強や研究では、もしくはそれだけでは、掴むことのできない歴史がある、と言っているのです。いや、もう少し正確に言うと、そういった勉強や研究は歴史の本質を忘れている、歴史の核心に触れていない、と言っているのです。つまり、歴史学では歴史はわからない、と言えば、悪い冗談に聞こえるでしょうか。
 
 
小学校や中学、高校、あるいは大学で「教える」立場にある方、そうでなくても子を持つ親ならば、
 
「歴史なんかやって、将来何の意味があんの?」
 
という多くの子供が抱く疑問に大人としてきちんと答えることができるでしょうか。
 
先の引用で小林はこう言っていました。「過去を今の僕たちの心の中に生かすことなどは無駄だと考えるようになってしまった。」
 
子供のみならず大人までもが、社会全体がそう考えているのではないでしょうか。他ならぬ歴史学者が、本来の歴史から「過去を今の僕たちの心の中に生かすことなどは無駄だ」と一番大切なものを放逐してしまった、知識を調べることだけが歴史の研究になり、知識を覚えることが歴史の勉強になり、知識を与えることだけが歴史教育になったのではありませんか。