国家が危機に臨むとき | 秀雄のブログ

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国家が存亡の危機にある時、歴史を回想する。国が滅びようとする時、その国民の記憶を甦らせようとする。

 
 
政治家が器の小さな人物ばかりになって久しい。
 
国家100年の大計や国防問題を考える政治家がいなくなって久しい。
 
政治が国民に富をどう分配するかの問題に限定されて久しい。
 
近頃はもっと些細な問題にとらわれて、徒らに時間が過ぎていく。
 
 
人は小さな問題にとらわれ過ぎることによって、大きな問題を見失う。
 
 
 
吉田松陰は下級武士であったが、大きな問題を見失うことはなかった。
その30年の短い生涯は、野山獄に2度入れられ、最期は伝馬町の獄で迎えることになる。
 
死刑の前日に『留魂録』を書く。死を前にしたその文章は少しも乱れたところがない。
 
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂
 
という有名な歌で始まる。
 
一、今日死を決するの安心(あんじん)は四時の順環に於て得る所あり。蓋(けだ)し彼(か)の禾稼(くわか)を見るに、春種(しゅ)し、夏苗(べう)し、秋苅り、冬蔵す。秋冬に至れば人皆其の歳功(さいこう)の成るを悦(よろこ)び、酒を造り醴(れい)を為(つく)り、村野(そんや)歓声(くわんせい)あり。未(いま)だ曾(かつ)て西成(せいせい)に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。
吾れ行年(かうねん)三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実(みの)らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然(しか)れども義卿の身を以て云へば、是れ亦秀実(しうじつ)の時なり、何ぞ必しも哀しまん。何となれば人寿(じんじゅ)は定(さだま)りなし、禾稼の必ず四時を経(ふ)る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自(おのづか)ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。十歳を以て短しとするは蟪蛄(けいこ)をして霊椿(れいちん)たらしめんと欲するなり。百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。斉(ひと)しく命に達せずとす。義卿三十、四時已(すで)に備はる、亦秀(ひい)で亦実(みの)る、其の秕(しひな)たると粟(ぞく)たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の微衷(びちゅう)を憐(あはれ)み、継紹(けいせう)の人あらば、乃(すなわ)ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ぢざるなり。同志其れ是れを考思せよ。
 
ー筆者注ー「禾稼」:農事、穀物、「蟪蛄」:夏蝉、「秕」:殻ばかりで実のない籾、「粟」:穀物
 
 
 
 
 
松陰の「大和魂」は、まるで一粒の麦のように後人が継紹し、その多くは若くしてばたばた死んでいったけれども、彼らは幕末の危機を救った。日本は他のアジア諸国のように、西洋列強の植民地にならずにすんだ。
 
 
 
 
 
松陰は『留魂録』の最後に次の歌を書き遺した。
 
呼びだしの声まつ外に今の世に まつべきことのなかりけるかな