鹿児島県南大隅町、肝付町の風景と廃校休校巡り(2023/08/19) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、上図の通り南大隅町(みなみおおすみちょう)、

肝付町(きもつきちょう)の

廃校休校巡りですが、主に南大隅町を訪れました。

南大隅町は、大隅半島の南部に位置し、日本本土最南端の

佐多岬を有する町です。

2005年(平成17年)3月31日  根占町・佐多町が対等合併して

新町制を施行し、南大隅町が発足しました。

西側の錦江湾沿いから佐多岬にかけての地域は霧島錦江湾

国立公園に指定されています。

 

肝付町(きもつきちょう)は、大隅半島の東部にある町です。
2005年(平成17年)7月1日  高山町・内之浦町が合併(新設合併)し、

肝付町となりました。

ロケット打ち上げ施設(内之浦宇宙空間観測所)があることで有名です。


前日に宿泊した指宿を出発し山川港に7:30に到着しました。

8:00発のフェリーなんきゅうに乗るためです。

 

フェリーなんきゅうは、指宿市山川金生町の山川港と、

肝属郡南大隅町の根占港(ねじめこう)との間を結ぶフェリーです。

薩摩半島~大隅半島南部を結ぶ最短ルートで、薩摩半島側から

佐多岬方面に向かう者にとっては欠かせない航路です。

 

8:00発の乗船手続きにしようと旅客ターミナルに入ります。

30分前に来たのに、すでに満車と断られてしまいました。

バイクだから積載スペースはあるはずで、どうも理解ができませんが、

仕方なく次の10:00の便まで待つことにしました。

他の手段として、鴨池・垂水フェリー(鹿児島市の鴨池港から

大隅半島の垂水港を結ぶフェリー)も考えましたが、大きく迂回

することになり却って時間が掛かるため諦めました。

さて、構内を見渡すと、階段下に人馴れした猫が行儀よく座っています。

 

外に出ると、茶トラの猫が。

何か欲しそうな表情でこちらを見ていました。。

 

やっと10:00発の便に乗船し、甲板から山川港をのんびり

眺めてみると、背後に開聞岳(かいもんだけ)です。

開聞岳は、薩摩半島の南端に位置する標高924 mの火山です。

綺麗な円錐形の山容が特徴で日本百名山のひとつです。

 

根占港に着きました。

大隅半島に渡ると天気も好転し青空になってきました。

気分も晴れやかになりますね。。

 

錦江湾を眺めながら大隅半島を南下していきます。

遠方に開聞岳の美しいシルエットが浮かび上がります。

まさに薩摩富士と呼ばれる所以ですね。。

 

ズームアップしてみます。

穏やかな錦江湾、聳え立つ開聞岳、夏空のすべてが

青のグラデーションで埋まってしまいます。

 

錦江湾沿いに国道269号を南下していくと、沿道に小学校の標柱を

見付けてスロープを上ると、門柱と校舎がありました。

立派な銘板には「登尾小学校」とあります。

 

校庭の奥に2階建て鉄筋校舎、2013年(平成25年)に閉校と

なっています。
 

校舎の全景1

閉校から10年経過していますが、外観からは劣化した様子は

感じられません。

 

校舎の全景2

校庭のグリーンと夏空のブルーの間、白い校舎が映えます。

まだ現役のように見えますね。。

 

正面玄関

 

正面玄関の近景

両脇のソテツが南国情緒を醸し出します。

 

学校の標語

 

閉校時の横断幕がそのまま残っています。

 

校庭の様子

綺麗に手入れされていました。

 

草むらの中に卒業記念作品。

劣化した様子から、昭和の頃の制作と思われます。

 

お墓のような石碑は、小学校跡碑です。

 

台座には校歌が刻まれています。

一、

みどりこき山 わが里の

海のかなたに さつまふじ

きんこうわんに 日ははえて

希望の波の ささやけば

汐香のにおう 学びやに

たがいに励む 登尾の

ああ 純朴の子ら われら

 

ここに来る道程で見た薩摩富士や錦江湾が

しっかりと詠われていますね。。

 

閉校記念写真

先ほどの閉校記念碑の場所で撮った先生と児童の集合写真ですね。

 

登尾小学校(2013年閉校)

1987年(昭和62年)全校児童 38名

2013年(平成25年)神山小学校への統合に伴い閉校
最後の児童は8名でした。

後で調べたところ、ボタニカルファクトリーという民間企業が

校舎の一部をリノベーションし、ハーブウォーター(蒸留水)や

アロマオイル、植物エキスの抽出など、原料づくりから

製品までを一貫生産する製造工場として使用しているようです。

そのため、校庭や校舎は現役と変わらず保たれていたのですね。。

 

引き続き国道269号を南下、伊座敷から県道68号に入り、

佐多岬へ向かう県道566号を300mほど進むと、沿道に標柱が

立っています。

 

門柱に銘板も確認できました。

 

灯台を彷彿とさせる円筒形の玄関が特徴です。

壁の配色もカラフルで陽気になります。

 

2階は「サンサンルーム」と貼り紙があります。

太平洋からの眩しい日差しが差し込んでいたのでしょう。。

 

校章

右隣のコンクリートの体育館は、地味で対照的です。

 

校舎の奥にも別棟が続いていました。

 

職員室などがあった棟です。

 

校庭の様子

 

奥にプールです。

 

卒業記念の手形

年度は不明ですが、卒業生は16名だったようですね。。

 

先ほどの登尾小学校と同じ型の小学校跡碑です。

台座に校歌も同様です。

一、

孝行石の山の 空晴れて

白砂に映ゆる はまゆうに

希望の光 さすところ

ここに時代の 幸負いて

学ぶ小学 大泊

 

大泊小学校(2013年閉校)

本土最南端にあった小学校です。

沿革をみると、

1880年(明治13年) 創立
1947年(昭和 22年)佐多町立大泊小学校へ改称
1987年(昭和62年)全校児童 56名
2005年(平成17年) 南大隅町立大泊小学校へ改称
2013年(平成25年) 南大隅町立佐多小学校へ統合に伴い閉校

最後の児童は6名でした。

聞けば、児童らは佐多岬沖からメッセージを書いた手紙を

ビンに入れて流していたそうです。
潮の流れを学習し、ボトルを拾った方と交流するのが目的です。
数年をかけてアラスカやハワイへ漂着し、返事が返ってきたことも

あったそうです。

最南端の学校ならではの思い出でしょうね。。

 

引き続き県道566号(佐多岬公園線)を南下、大きな記念碑が

目を引きます。

北緯31度線展望広場です。

佐多岬はまだ先なので勘違いしてしまいますね。。
 

展望広場からの眺望

 

佐多岬公園の駐車場に着きました。

 

亜熱帯特有の樹木が出迎えてくれます。

 

ガジュマルの木です。

 

佐多岬公園からの眺望

灯台まで遊歩道が続いているのですが、7月の大雨による

土砂崩れのため通行止めになっていました。

残念ながら、公園から先は行くことが出来ませんでした。

ズームアップしてみます。

岬の尻尾の先まで黒っぽい岩礁が続いています。

 

最高倍率で撮った佐多岬灯台ですが、これが精いっぱいです。

灯台は小さく見えますが、地上から12.6mあります。

佐多岬灯台は、1866年(慶応2年)5月、江戸条約によって

建設を約束した8灯台のひとつです。

左に太平洋、右に東シナ海、右後ろに錦江湾と海に面し、
天候が良い日には種子島、屋久島、硫黄島など見ることが

できるそうです。 

遊歩道が再開したら、灯台まで行ってみたいですね。。

 

大泊から引き続き県道68号を、大隅半島の東海岸沿いに北上、

竹之浦郵便局を過ぎると、沿道に竹之浦小学校の標柱を見付けて

左折します。

 

狭い山道を上って行くと、小学校の建物が見えてきます。

コンクリートの門柱に表札も確認できました。

 

片方の門柱には、やっと判読可能な竹之内中学校の表札です。

かつて中学校も併設されていたようです。

 

正面玄関

左隣に体育館、右隣に校舎です。

 

ソテツの植栽に南国ムードが漂います。

体育館の横顔は黒ずんだコンクリートです。

 

玄関の近景

 

校舎の全景

こじんまりとした2階建て校舎です。

 

校庭側から撮った体育館

窓ガラスの貼り紙には、

「133年間ありがとう! 竹之浦小学校」

 

校庭の様子

横たわっている円筒のものを見て、整地ローラーかと思いましたが、

よく見るとドラム缶でした。。

 

竹之浦中学校跡碑

沿革碑は劣化してますが、1992年(平成4年)に閉校となっています。

 

小学校創立百周年記念碑

1979年(昭和54年)8月21日建立

 

卒業記念に制作したと思われる石膏像

かなり劣化しており、制作年も不明です。

 

新品のような小学校跡碑

 

台座の校歌碑

一、

開けゆく朝の 日に映えて

かがやく丘よ 学びやよ

花咲く窓に 胸はって

みんななかよく ほがらかに

学ぶ楽しい 竹之浦

 

竹之浦小学校(2013年閉校)

沿岸から山道に入った、周囲に人家も無い淋しい場所に佇む

こじんまりとした校舎です。

1987年(昭和62年)全校児童 24名
2013年(平成25年)統合に伴い閉校

最後の児童は4名でした。

佐多地区内の佐多、辺塚、大泊、竹之浦、郡、大中尾
6つの小学校が一つになり,新生「佐多小学校」になりました。

佐多小学校は全校児童27名(2023年4月)の小規模校ですが、

本土最南端に位置する小学校として、学校の活動や他校との交流を

活発に行っているようです。

 

県道68号を北上、郡(こおり)地区に入ります。

沿道に学校を見付けて立ち寄ります。

コンクリート塀に往時の表札が残っています。

 

顔をあげてみると、左手に2階建ての体育館、隣に扇形に続く

平屋校舎です。

 

外観も新しい体育館は、現役校舎のように見えます。

 

体育館の1階部分は、大きな柱で支えてあり、造りも重厚な

感じです。

 

校舎は玄関を中心にして、両翼に平屋木造校舎を配してあるのが

特徴です。

 

縦板張りの壁にサッシ窓の木造校舎。

玄関の左側に1年~3年生の教室、右側に4年~6年生の教室が

あったようです。

校庭から直接教室に入れるように各戸口に階段が設けてありました。

 

校舎中央部

玄関の前のソテツの植栽は、南大隅町の小学校に共通する点

でしょうか。。

 

 

 

玄関の窓には、歓迎の貼り紙が残っています。

 

校庭の様子

綺麗に手入れされています。

 

プールの様子

 

郡中学校跡碑

中学校も併設されていたようです。

1950年(昭和25年)3月 開校

1992年(平成4年)3月 閉校

 

中学校の校歌碑

一、

黒潮おどる 紺碧の

南の海に 幸多き

理想の土地に 花開く

我ら若人 手をつなぎ

共に学ばん 郡中

 

郡小学校跡碑

 

台座の校歌碑

一、

朝日たださす 南の

黒潮かおる 佐多の地に

強くおおしく 清らけく

学ぶよい子ら 三百の

歴史も 古き 郡校

 

郡小学校(2013年閉校)

1987年(昭和62年)全校児童 35名

2013年(平成25年)佐多小学校への統合に伴い閉校

学校の最後のブログは、閉校式の様子が綴られています。。

体育館に移動してからの閉校式では,ご来賓や本校卒業生・

地域住民の方々,約260名もの参列者のもと盛大に開催されました。

いよいよ,本校は3月31日をもって閉校となります。
しかし,皆様方の心の中には,いつまでも「郡小学校」の歴史・

伝統の灯は生き続けていくものと信じております。
 ありがとう さようなら 郡小学校

 

南大隅町から離れて、錦江町、鹿屋市を経由、肝付町に向かいます。

高山川沿いに県道542号を南下、沿道に「やまびこ館」の看板です。

遠方に体育館のかまぼこ屋根が見えます。

 

さらに進むと、石垣の上に鉄筋校舎もありました。

 

表札をみて、スロープをゆっくりと上って行きます。

 

年季のン入ったコンクリート塀に、校名が刻まています。

 

先ほど石垣の下から見上げた校舎です。

 

正面玄関

手作り感溢れる木板の標語

 

構内(廊下)の様子

 

校舎の隣に体育館の入口があります。

 

立派な木造体育館です。

校庭に廻ってみると、横に長い校舎です。

往時はそれなりに児童がいたのでしょうね。。

 

画面に収まりませんでした。

 

校庭側の玄関

ソテツの植栽は大きな塊になっています。

 

水車

往時は水流を受けて回っていたのでしょう。。

校庭の様子1

 

掲揚台と3本のポール

 

校庭の縁に佇む遊具たち

 

カラフルに塗った古タイヤの跳び箱

 

空っぽの飼育小屋

烏骨鶏を飼っていたようです。

 

卒業記念作品

卒業児童のレリーフが見えますが、5名だったのかな。。

制作は時期は平成初期ですね。

 

川上小学校(2011年休校、2020年廃校)

川上地区は高山川上流の山間部に位置する自然豊かな場所です。

休校から10年以上経過、再開せずに廃校となってしまいました。

1987年(昭和62年)全校児童47名
最後の児童7名

隣接する「やまびこ館」は、地域住民の交流と地域の特産品を

販売するため、2010年(平成22年)11月7日にオープンしました。

学校に代わり、地域の拠点として続いてほしいですね。

 

川上小学校と道路を挟んだ向かいに川上中学校があります。

国登録有形文化財の標識が出ています。

 

沿道からみた校舎の横顔

 

幾つか標語が掲げてあります。

「きばらんね」とは鹿児島弁で「がんばれ」の意味です。

 

校門からみると、中央にシンボルツリー、右手奥に校舎です。

 

苔生したコンクリートの校門に往時の銘板

文字は明瞭に残っています。

 

屋根の高さや、大きさの異なる建物が横に並んでいます。

 

増築していったのでしょう。。

一番左側の校舎が年季が入ってますね。。

 

右端から建物を順に見てみます。

(道路向かいに先ほどの川上小学校の校舎と体育館が見えますね)

右端の棟は特別教室があった校舎です。

 

何度も増築した跡がみえますね。

一連の並びの中で、最も左側のこの建物が中学校本校舎です。

 

校舎の前に登録有形文化財の記念碑

2009年(平成21年)国の有形文化財として登録されました。

 

最も年季のある本校舎だけが、登録有形文化財となっています。

木造平屋建、瓦葺、下見板張りの校舎は、山間部の景観に

溶け込んで、ノスタルジックな気分にさせてくれます。

校舎裏の様子

本校舎の裏側

バットレスという三角形の控え壁が力強いですね。。

 

特別教室棟の裏側

 

往時の表札が棟間に横たわっていました。

 

窓ガラス越しに撮った廊下

 

校庭の様子

 

雲梯

 

創立50周年、開校55周年記念碑

 

校訓碑

 

川上中学校(2012年休校、2020年廃校)

沿革をみると、

1947年(昭和22年)高山町立後田中学校川上分校として創立
1949年(昭和24年)高山町立川上中学校として独立、校舎建築。
1987年(昭和62年)全校児童 29名
2005年(平成17年)肝付町立川上中学校へ改称
2008年(平成20年)全校児童 18名
2009年(平成21年)国の有形文化財として登録
2012年(平成24年)休校
2020年(令和2年)  廃校
往時の姿を残しており、貴重な木造校舎です。

小学校とともに再開の見込みもなく廃校となってしまいましたが、

保存状態が良いので、映画やドラマのロケに使用される

かもしれませんね。。