青森県深浦町、鰺ヶ沢町の廃校休校巡り(2022/09/19) | haiko-riderのブログ

haiko-riderのブログ

2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

深浦町は、青森県西津軽郡に属し、日本海に面する町です。

海岸線まで険しい山岳地帯が迫っており、森林・原野の割合が

約90%を占めています。

世界遺産(白神山地)とマグロの町として知られています。

 

鰺ヶ沢町(あじがさわまち)も同様に西津軽郡の町です。
北は日本海に面し、南は白神山地で秋田県と県境を接しています。

白神山地は、青森県西南部から秋田県北部にかけて広
がるおよそ 13 万 ha におよぶ広大な山地帯の総称です。
その中で、ブナの原生林を主体とする世界自然遺産登録
地域は、およそ1万7千 ha であり、そこでは国の天然
記念物のクマゲラやイヌワシをはじめ、学術的にも貴重
な動植物が生息しており、極めて価値の高い自然生態系
が保たれています。

1993年(平成 5 年) 12 月に世界遺産に登録されました。

秋田県能代市街から国道101号を日本海沿いに北上、

青森県境に近い、JR五能線のあきた白神駅〜岩館駅間の

第二小入川橋梁は、鉄道ファンに撮影スポットとして知られて

います。

第二小入川橋梁の近景

狭い谷間を日本海へ注ぐ小入川に架かる鉄橋は、高さ25m、

長さ174m、1926年(大正15年)に竣工しました。

 

県境を越えて深浦町に入ります。

沿道に歓迎の看板が建っています。

日本海側の風景1

秋田県男鹿半島と同様に散らばった岩礁が見られます。

日本海側の風景2

刈入れ時を迎えた黄金の稲穂が、海岸線を彩ります。

 

深浦港付近に差し掛かると、沿道に古風な建物が目に入りました。

「ふかうら文学館」です。

 

正面玄関の近景

1930年(昭和5年)秋田屋旅館として建てられました。

太宰治が宿泊し、小説「津軽」にも登場する旅館です。

作者本人をはじめ、成田千空ら深浦にゆかりの深い文人たちの資料を
展示しています。
2004年(平成16年)7月、町の文化・観光施設「ふかうら文学館」

として開館しましたが、五所川原市にある太宰治の生家「斜陽館」と

セットで見学される太宰治ファンが増えています。

 

深浦駅

JR五能線の要衝であり、臨時快速「リゾートしらかみ」の

全列車が停車する駅です。

当日は人通りもなく閑散としていました。

そして、思ったよりも小規模で番屋のような駅舎でした。。

 

駅の近景

 

風待ち港

北前船のふる里

深浦

 

ホームからの眺め

 

引き続き国道101号を北上、追良瀬(おいらせ)地区を走っていると

大きな校舎が見えたので立ち止まりました。

避難場所を示す看板には、「旧明道(めいどう)小学校グランド」と

あります。
 

草むらに隠れるように立つ小さな校門には、往時の表札が

残っています。

 

校庭から撮った校舎の全景

広大な校庭と長い2階建て鉄筋校舎です。

校舎裏

 

学校跡の石碑

「塩見台の学び舎跡地」

裏面には校歌が刻んでありました。

「日本海は青いよ
どこまでも青いよ
塩見台の学びやに
海のいのちがあふれる
学びの道にいそしむ
豊かな心があふれる
さあみんな進もう
仲よく胸をはって
ああわれら明道の子ら」

 

明道(めいどう)小学校(2008年閉校)

驫木(とどろき)駅に行く途中に見つけた廃校です。

1963年(昭和38年)4月 明道小学校創設(追良瀬小学校、驫木小を統合)
1987年(昭和62年)全校児童105名
2008年(平成20年)3月 深浦小学校への統合に伴い閉校
追良瀬川の上流の集落には松原分校がありましたが、

1987年(昭和62年)松原分校全校児童11名
1996年(平成8年)3月 松原分校閉校

本校より12年早く閉校となっています。

 

秋田県から青森県の日本海沿いを走るJR五能線は、

鉄道ファンに人気の撮影スポットが幾つもあります。

 

驫木(とどろき)駅周辺もその一つです。

海岸沿いにポツンと佇む平屋の木造駅舎です。

簡素な造りの無人駅ですが、海が見える駅として訪れる人が

覆いそうです。

 

漢字では、轟木と書かずに馬を3頭重ねるのですね。。

 

構内に掲示してある運賃表と時刻表

 

駅舎の反対側

狭いホームと線路(単線)です。

 

駅名標

草原と日本海

当日は悪天候で海も空も灰色でした。

秋田方面の眺め

青森方面の眺め1

青森方面の眺め2(北寄り)

 

引き続き国道101号を北上、鰺ヶ沢町に入ります。

JR五能線、陸奥赤石駅前から県道190号を南下、程なくして

沿道に赤い校門が2基見えました。

 

コンクリートの校門を赤く塗ったのは、文字通り「赤石」を

表していますね。。

 

枯葉交じりの坂道を上っていきます。

普段から人や車の出入りは無さそうです。。

 

樹木の陰に見えた最初の建物は体育館でした。

 

その奥に赤いトタン屋根の木造平屋校舎です。

最初に見た玄関です。

 

校舎の前に舗装路が奥に続いてますが、両側の雑草や樹木が

勢力を伸ばし景観を損ねています。

長らく手入れもされずに放置されていたようです。

舗装路の右側の一段下に校庭があったようですが、ジャングルの

ようになって確認する術もありません。

 

一足早く秋の訪れを告げるススキですが、ここでは雑草にしか

写りません。

 

2番目の玄関が見えてきました。

 

こちらが正面玄関のようです。

 

丸時計と校章の額縁

屋根が崩壊した校舎

 

さらに歩を進めていくと、3番目の玄関が見えてきました。

3番目の玄関の近景

端から端までけっこうな距離があります。

 

白い支柱はストーブの煙突でしょう。。

 

赤石小学校(2011年閉校)

調べたところ、赤石小学校は全長147mという国内最長の廊下を

持つ校舎で知られています。

その特長を活かし、2007年度から始めた卒業イベントは、

全校生徒を2チームに分け、雑巾をバトンの代わりに

廊下を1往復するリレー競技でした。

これだけ長い校舎ですから、児童もそれなりにいたようです。

1987年(昭和62年)は全校児童は134名、雑巾がけリレーを

始めた2007年(平成19年)は50名ほどに減少、その4年後、

町の中心地にある西海小学校への統合に伴い閉校となりました。


赤石小学校から引き続き県道190号を南下、南金沢町に入ります。

コンクリート塀に小学校の銘板を確認しました。

 

正面に近代的な体育館

 

さらに校舎とL字型に続いています。

 

正面玄関の近景

 

校章は、雪印のデザインに南の文字です。

 

校舎の裏側1

こちらが表側と感じるほど、存在感がありました。

 

校舎の裏側2

3階建て鉄筋校舎は、教室が30室以上あります。

往時は多くの児童がいたのでしょう。。

 

 

校庭の遊具

塀の隣に経つお墓のような石碑

 

逆光で見えにくいですが、よく見ると記してある文字は、

「われらが母校

南金沢中学校

ここにありき」

中学校の閉校記念碑です。

中学校も併設されていたのでしょう。

裏面の沿革をみると、

1947年(昭和22年)4月 南金沢小学校に並置して創立
1977年(昭和52年)3月 赤石中学校、鰺ヶ沢中学校とともに

鰺ヶ沢第二中へ統合となり閉校

 

南金沢中学校の校歌

 

南金沢小学校(2011年閉校)

沿革をみると、

1877年(明治10年)10月19日 赤石村南金沢字高根山(俗称南金沢部落)に

南金沢尋常小学校として創立
1899年(明治32年)10月12日  南金沢字晴間(現在地)に新校舎落成
1980年(昭和55年) 5月 8日 新校舎落成式及び祝賀会挙行

1987年(昭和62年)全校児童107名
2003年(平成15年) 4月 1日 一ッ森小学校・深谷小学校を統合。

2005年(平成17年)環境美化教育優良校として表彰受ける
2011年(平成23年)3月31日 西海小学校への統合に伴い閉校
最後の児童は23名。

山間の集落ですが、近代的な校舎を放置しておくのは勿体ない気が

します。

 

引き続き赤石川に沿って県道191号を南下、一ツ森町に入ります。

横倒しの稲穂が絨毯のように広がっています。

 

白神山地を望む田園地帯に、閉校となった校舎がありますが、

「白神自然学校一ツ森校」の看板が立っているので分かり易いです。

レストランもあるようです。

 

周りは樹木が茂っていて、いかにも自然学校に相応しい環境です。

校門代わりの樹木に表札が掛かっています。

右手にベージュ色の体育館(講堂)が見えました。

そして、平屋校舎がL字型に連なっています。

 

校舎(玄関の方向を撮影)

 

端部にも校舎、玄関があり、体育館からの配置はコの字と

なっています。

敷地が狭い為、全景を撮ることは出来ませんでした。

 

正面玄関の近景1

 

正面玄関の近景2

入口は出窓のように増築してあり、奥にサッシ扉と、二重扉に

なっているのは、風雪を防ぐためなのでしょう。。

 

創立百周年記念碑

樹木の陰で見えにくいですが、銘板に刻まれている言葉は、

「渓流に育つ

若鮎の如き

郷の子らに

栄光あれ」

 

年季の入ったタイムカプセル記念碑

閉校から10年後の2012年(平成24年)8月にこの宝箱を

開けるために再開するとありますが、皆集まったのでしょうか。。

 

一ツ森小学校(2003年閉校)

沿革をみると、

1880年(明治13年)開校

1987年(昭和62年)全校児童24名
2003年(平成15年)南金沢小学校への統合に伴い閉校
同年10月 「白神自然学校一ツ森校」として開校、

白神山地の自然観察やガイド、環境学習の場として活用。
2017年(平成29年)白神山地の里山で採取されるオオバクロモジ、

杉、青森ひばを使ったアロマ研究所を開設。
付近の農家と連携したグリーンツーリズムの推進を行っており、

食事、自然体験、宿泊、アロマ体験等の施設として利用されて

います。


国道101号に戻り北上、南浮田町から県道31号を南下、

沿道に赤い校門が立っています。

以前に目にした赤石小学校とよく似た校門です。

 

校門の奥に幾つもの校舎が連なっていました。

 

右手には、縦向きに短い校舎が2棟、横向きに黄色い壁の体育館が

続いています。

 

対区間の近景

車が数台停まっており、何かのイベントが催されているようです。

構内には入らずに外観だけの撮影に留めておきます。

 

幾つもの平屋校舎が並んでいる中で、最も目立つのは、

玄関の壁にです。

「ありがとう 鳴沢小学校」

閉校となった学び舎へのありのままの感謝の言葉が胸を打ちます。。

 

グリーンの芝生と薄緑の板壁、そして青空が涼しげな

コントラストです。

 

赤石小学校のように一直線に長い校舎です。

 

玄関も複数設けてあります。

前庭の遊具

 

一段下の校庭は綺麗に整備されていました。

少年野球の試合や練習で使っているようです。

 

鳴沢小学校(2011年閉校)

広大な芝生の前庭にい直線の長い校舎です。

こちらでも全校児童で雑巾がけレースが出来そうです。。

1885年(明治18年) 開校
1987年(昭和62年)全校児童152名
2011年(平成23年)鰺ヶ沢町立舞戸小学校へ統合に伴い閉校

 

引き続き県道31号を南下し建石町に入ります。

沿道に手作りの道標が立っています。

 

校門まで進むと、りんご集荷場の看板が掲げてあります。

フォークリフトで作業していた方に挨拶をして敷地内に入ります。

 

コンクリート塀の銘板は、判読困難ですが、

目を凝らしてみると、「鰺ヶ沢町立建石小学校」とあります。

 

さらに進むと、赤い屋根にベージュの壁の近代的な鉄筋校舎が

姿を現しました。

此方が正面玄関なのかわかりませんが、玄関棟というべき構造と

なっており、りんごの集荷に用いると思われるパレットが

積み重ねてありました。

 

正面から右側の校舎

右端部はガラスタイルが円筒状に貼ってあり、濃い色のタイルで

「たていし」と表示しています。

 

正面から左側奥には体育館が見えます。

 

校舎の裏側

 

校庭の様子

校舎の一段下にありますが、ゴルフ場のように広大な芝生が

広がっていました。

 

片隅で手を繋ぐ遊具

 

建石小学校(2011年閉校)

近代的な校舎、広大な校庭から往時は少なくとも100名以上の

児童がいたのでしょう。

1987年(昭和62年)には、68名まで減少しています。

2011年(平成23年)3月、鰺ヶ沢町立舞戸小学校への統合に伴い

閉校となりました。

9月から11月下旬までは、津軽りんご市場の集荷場として

使用されています。