宮崎県中北部の廃校休校巡り(2018/04/30~05/01) | haiko-riderのブログ

haiko-riderのブログ

2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、宮崎県中北部の廃校休校巡りですが、具体的には

門川町、美郷町、日向市、西都市を各1~2校訪れました。

 

門川町(かどがわちょう)は、県北部に位置し日向灘(太平洋)に面した町で、
東臼杵郡(ひがしうすきぐん)に属しています。

延岡市と日向市の間に位置しており、両市が新産業都市に指定されてからは
ベッドタウンとして発展していしています。
日向灘に面し、漁業・水産加工業がさかんであり、釣りのメッカでもあります。

 

美郷町(みさとちょう)も、県北部で東臼杵郡に属する町です。

2006年1月1日、南郷村・西郷村・北郷村の合併によって誕生しました。

九州山地の中にある自然豊かな町で、約90%を山林が占めています。

 

日向市(ひゅうがし)は、宮崎県の北東部に位置する市です。
日向灘に面し、温暖で降水量が多い一方で日照時間は全国トップクラスです。
細島港という天然の良港に恵まれ、古くから県のゲートウェイとしての役割を担ってきました。
県内有数の工業地帯としても知られています。

 

西都市(さいとし)は、宮崎県のほぼ中央部に位置し、日本最大級の古墳群である

「西都原(さいとばる)古墳群」で知られる市です。
宮崎県で6番目の面積を持つ市であり、市域の7割が山岳地帯です。

 

廃校巡りの前に景勝地に立ち寄ってみました。

日向市街から日向灘方面に走ります。

小高い丘に岩礁を見下ろす展望台が見えてきました。

 

クルスの海

「クルス」はポルトガル語で十字の意味です。

岩礁が波の侵食で東西200m、南北220m、高さ10mにわたって裂け、

十文字に見えることからこう呼ばれています。

 

浸食された岩の形状が叶うと言う文字に見えることから

こういった伝説が言い伝えられたものです。

 

さらに岬へ進むと遊歩道の案内があります。

次の景勝地である「馬ヶ背」を目指します。

 

約8分の道程ですが、遊歩道の先にはどんな光景が

待っているかという期待を抱いて歩いているうちに

あっという間に着いてしまいます。。

 

海に落ちて行くかの如く、岬の端まで遊歩道が続いています。

海外からの観光客の姿も見られました。

 

鋭く浸食された岬の突端

その奥を覗いてみると。。

 

高さ70mにもおよぶ断崖絶壁となっています。

 

隙間の奥まで波しぶきが打ち寄せて砕けています。

真近で見るとかなりの迫力を感じました。

柱のような形状の岩は柱状節理と呼ぶそうです。

 

盛りあがった岩肌を海から見ると馬の背中に似ていることから

「馬ヶ背」と名付けられたそうです。

 

戻る際に灯台に寄ってみます。

 

細島灯台

1910年(明治43年)に設置・点灯された灯台です。

当初は赤レンガ造りで規模の小さいものだったようです。

現在の灯台は、1941年(昭和16年)に建て替えられたものです。

 

クルスの海をはじめロマンチックなスポットが近くにあることから

「恋する灯台」に認定されています。

 

日向灘の眺め

太平洋の波は穏やかで遠く水平線まで見えました。

 

日向市街から国道327号、尾鈴サンロードを南下し、耳川を越え

田の原(たのはる)集落に向かいます。

分校の案内をみて右折します。

 

丘の上に近代的な木造建築が見えます。

 

校門まで来ました。

表札も木造校舎に相応しく木板となっています。

 

大きな切妻屋根の立派な校舎です。

1階部分は杉板張り、破風には木組み格子が施されています。

 

隣の体育館とは渡り廊下で繋がっています。

 

体育館は鉄筋の重厚な建物です。

眼下にはプール。

長らく使用されなくなったプールは、

ため池のように濁った緑色の水を湛えています。

 

周りを山に囲まれた静かな場所です。

校庭は、休校後も手入れされている様子です。

 

創立百周年記念碑

1987年(昭和62年)2月15日に百周年を迎えたので

1887年(明治20年)創立ということですね。。

 

壊れた百葉箱

 

美々津(みみつ)小学校田の原(たのはる)分校(2010年休校)

地元産のスギやヒノキが使用され親しみと温もりのある造りと

なっています。

休校となっていますが、実質的には閉校でしょう。

地域の交流の場として継続使用することを見越して新築したことと

思われます。

1991年度の全校児童は23名でした。

 

尾鈴サンロードを引き返す途中で、沿道から分校跡が目に入り

立ち寄りました。

 

往時の表札と門柱が残っています。

ゴミ箱には大量の空き缶、地域の方々も時々来られているようです。

 

こじんまりとした校舎には何名の児童がいたのでしょう。。

正面玄関は、天井が分厚く重厚感がありました。

 

玄関の表札をみると、

地域の農地の維持・管理・区画整備のための施設として使用されているようです。

 

玄関脇の枯れたソテツは、朝日を浴びて黄金色に輝いていました。

 

底に枯れ葉が溜まり塗装が剥げたプール

 

1952年(昭和27年)この地に移転してきたことを示す石柱

 

校舎新築記念碑

1988年(昭和58年)3月に木造校舎から現在の鉄筋校舎に

建て替えられたようです。

 

分校の沿革

1903年(明治36年)設置から103年間存続していた分校です。

 

校庭は閉校後も手入れされている様子です。

 

片隅に並ぶ遊具

 

平岩小学校鵜毛(うけ)分校(2006年閉校)

地元の方に尋ねたところ、

こじんまりとした校舎は、1・2年生のみ学んでいたそうです。

小さな分校のフェンスに掲げた大きな文字看板は、

通過する者の記憶の風化を精一杯食い止めているように感じられました。

1991年度の在校児童は男子6名のみでした。

 

日向市街から国道10号を北上し、東臼杵郡門川町に入ります。

国道388号を五十鈴川に沿って上流に進んだ松瀬地区に

分校跡があります。

 

外観は古民家のようですが、正門はどこでしょうか。

 

閉校後は、NPO法人、子どもの森が運営する「森の学舎」となっています。

 

先ほどは通用口でこちらが正門でした。。

 

年季の入った門柱ですが、銘板はしっかりしています。

 

中におられた関係者の方に声を掛けて写真を撮らせてもらいました。

 

職員室のある棟と教室棟の2棟が並んだ間に

創立百周年記念碑が誇らしげに建っています。

 

 

改修されているものの、下見板張りの壁に木枠の窓は

往時の面影を残しています。

 

教室の様子

教室が少ないのは複式学級だったからだそうですが、

多い時で30名ほどの児童が学んでいたとのことです。

 

 

校庭は草刈りがされ綺麗に手入れされています。

 

西門川小学校松瀬分校(1999年休校、2006年閉校)

2007年から「森の学舎」としてリニューアルオープンしました。

森の環境を守ることの大切さを学ぶため、各種の農業体験・

自然体験学習を実施しているそうです。

近くの畑には「ecoスクールむぎ畑」と書かれた立て札が見えました。

1991年度の在校児童は6名でした。

 

引き続き国道388号を進み美郷町に入ります。

旧北郷村の黒木集落に閉校となった学校があります。

大きな岩の門柱にキリッとした銘板が目を引きます。

 

鉄筋校舎は校庭側が高床式になっています。

閉校時は全体的に白い外壁でしたが、リニューアルされたようです。

 

もともと教室だったスペースの中にリビング、キッチン、ユニットバス、

トイレなどを構えて、8戸の住居とレンタルオフィスを設けたそうですが、

当日は人影もなく静まり返っていました。
 

プールを挟んで体育館が見えます。

こちらもリニューアルされたのでしょうか。。

 

広い校庭の隅に並ぶサッカーゴールと遊具

 

飛行機の形をした独創的な遊具

 

校門の近くに建つ墓石のような石碑群

 

1974年(昭和49年)建立の母校思碑

1949年(昭和24年)6月に小学校敷地内に設置された、

北郷中学校黒木分校を偲ぶ石碑です。

わずか25年で幕を下ろしたのですね。。

 

閉校記念碑

1880年(明治13年)創立以来135年の歴史にピリオドを打ちました。。

 

閉校時の児童は12名でした。

最後はみんな笑顔で学校に別れを告げたようです。

黒木小学校(2015年閉校)

北郷小学校、北郷中学校と統合した施設一体型の小中一貫校、
美郷北学園創立に伴い閉校となりました。

残った子供たちは、約10km離れた新設校に

スクールバスで通学しています。

1991年度の全校児童は48名でした。

 

西都市街から一ツ瀬川に沿って国道219号を北上します。

しばらく進むと山奥の険しい谷間が現れます。

 

上流はダムによって堰き止められているので、

水位も低く池のようになっています。

 

長い歳月の激流の浸食によって削られのでしょう。

ゴツゴツとした岩が剥き出しになっています。

四国の景勝地、大歩危・小歩危を彷彿とさせる渓谷です。

 

途中の尾八重(おはえ)地区で大椎葉トンネルを抜け南郷方面へ進みます。

この辺りは、「ひむか神話街道」として整備されており快適な道程となっています。

ほどなく、尾八重川に架かる橋の向こう側にブルーの建物が見えてきました。
 

周りの樹木に隠れてしまいそうな玄関

サッシの扉や窓、簡素な外観です。

 

雑草に覆われつつありますが、学校の門標はしっかりと残っています。

 

校庭に回ってみると校舎の全貌が明らかになりました。

山間部にあっては、意外と大きな2階建て木造校舎です。

 

窓ガラスにバツ印に貼られたテープ

調べたところ、2008年(平成20年)に「三十九枚の年賀状」(2009年6月公開)の

ロケ地となり、撮影用に貼られたようです。

終戦時が映画の舞台であったため、爆風で飛ばされないようにと

往時さながら貼ったものです。

教室のすべての窓ガラスに規則的に貼ってあり、

これだけでも大変な作業だったことでしょうね。

撮影後もそのままにしてありますが、窓飾りのように見えて

これはこれでいいかなと思ってしまうのは私だけでしょうか。。

 

敷地内には、校舎とは別の建物が森林の陰に

ひっそり佇んでいます。

 

廃校後に新築されたキャンプ場の研修棟でした。。

1993年(平成5年)から尾八重川キャンプ場として利用されていましたが、
施設の老朽化などに伴い、2008(平成20)年3月31日に廃止となったようです。
 

バーベキュー?炊事場の設備も見られました。

 

苔と枯れ葉に覆われた魚のモニュメント

 

最後の児童は8名だったようです。

手形は、木板とともに風化し朽ちていくことでしょうね。。

 

岩井谷小学校(1987年閉校)

今回の計画は日向市までと考えていましたが、

幾つかのサイトをみて是非訪れたくなり、西都市まで足を伸ばしました。

想像した以上に老朽化が進行しており、取り壊されるのは時間の問題と

思われます。

または、朽ち果てて自然に帰るのかもしれません。

そのような思いで眺めた校舎は、傾きかけた夕陽に眩しく照らされ

神々しくさえ感じられました。