沖縄県名護市、今帰仁村の風景と廃校休校巡り(2018/03/31) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

名護市(なごし)は、沖縄本島北部に位置し、沖縄県の総面積の約9.2%を占め、

竹富町、石垣市に次いで3番目、また沖縄本島に属する市町村で最大の面積を有する市です。

市域は東西両岸ともに海に面しており(東は太平洋、西は東シナ海)、ブセナビーチや海中公園、

カヌチャリゾートなど南国の美しい自然を満喫できるスポットがあります。
なお、1979年以来、北海道日本ハムファイターズの春季キャンプが名護市営球場で行われていいます。
 
今帰仁村(なきじんそん)は、沖縄県国頭郡(くにがみぐん)に属する村で
本部(もとぶ)半島のほぼ北半分を占めています。
北東部の海上1.5km先に古宇利島(こうりじま)ありますが、

かつて村役場まで行くのに、古宇利大橋~屋我地島(やがじしま)~奥武島(おうじま)を経由し、

迂回しなければなりませんでしたが、2010年12月に本部半島と直結する

ワルミ大橋開通により所要時間が大幅に短縮されました。
同村は、琉球王朝時代には沖縄本島北部の中心地であり、
今帰仁城址として往時の遺構が残っています。
また、大型娯楽施設が無く手付かずの自然が残っています。
 
名護市の中心部、国道58号沿いに古代遺跡のような建物が目を引きます。
 
何と、その建物は名護市庁舎でした。
案内板を見ると、3階建ての各フロアに各課が配置されています。
 
柱から突き出すように施された台座では、シーサーが睨みを利かせています。
見晴らしの良い場所から、外部からの侵入者を威嚇しているように見えます。
シーサーは、沖縄県などでみられる伝説の獣の像です。
家や人、村に災厄をもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持ち、
屋根の上に設置されことが多いそうです。
神社の入口に見られる狛犬のようなものでしょう。。
 
よく見ると各々種類が異なり、どれ一つとして同じものはありません。
庁舎の建設に関わった瓦職人が各人一体ずつ作り上げたためですが、
全部で56体あるとのことです。
沖縄では、家を建てたら最後の瓦職人が瓦の材料である赤土を使って
シーサーを作り、それを屋根に置く習わしだったそうです。
 
私が見た限りでは、このシーサーが最も怖い顔をしていました。。
 
各階から南側へ伸びる長いスロープは何のためでしょう。
非常用? 遠く海を眺めながらゆっくり歩いてみるのもリフレッシュして
良いかもしれません。。
とても自由で開放的な空間となっています。
 
建物全体は、風通しの良い半屋外のテラスが段状に設計されています。
この半屋外空間は「アサギテラス」と名付けられました。
アサギとは神様が降りてくる場として沖縄の集落に設けられるもので
壁が無く方形の屋根が架かっている簡易な構造物です。
東屋とよく似た造りです。
ブーゲンビリアやガジュマルなどの熱帯性の木々も建物によく調和しています。
日差し除けにもなっていますね。
 
内部に庁舎の玄関があり、表札も確認できました。
 
名護市庁舎は公募により1981年4月に建てられました。
沖縄独特の文化、風土に調和しコミュニティの中心となるアサギテラスを
取り入れた斬新なアイデアで設計されています。
外壁は、通気性のよい花ブロックを利用し、海風を入れて
建物を冷やすしくみ(自然通風システム)となっています。
もっとも、2000年沖縄サミット以降は、エアコンを導入されているようです。
 
名護市街のビルの谷間に方形屋根の古民家が幾つか見受けられました。
 
台風などの暴風雨にも耐えられるよう屋根を大きく家屋を低くすることで
なるべく風の抵抗を抑える構造になっています。
屋根に土嚢を載せていますが、瓦は吹き飛ばないのでしょうか。。
 
 
門柱上に構えるシーサー、屋根の上にももう一体見えますね。
 
名護市街がら県道18号を経て国道331号を進み、カヌチャリゾート付近の
三原地区に閉校となった校舎があります。
入口の塀には2枚の表札が見えます。
私立高校に転用されているようです。
 
広大な芝生の校庭
では、子供らがボール遊びをしていました。
鉄筋2階建ての重厚な校舎です。
 
アーチ型にくり抜いた正面玄関
時計の上にはカラフルな校章が貼ってあります。
 
小学校跡記念碑には、沿革と校歌が刻まれています。
中学校も併設されていたようですが、1972年(昭和47年)に閉校となっています。
 
校門付近に立つトーテムポール
2001年度の卒業記念制作です。
 
「タウチー」とは沖縄の方言で軍鶏(しゃも)のことです。
アヒルやアイガモと一緒に飼育されていたようです。
 
三原小学校(2009年閉校)

閉校後は、「ヒューマンキャンパス高等学校」という私立の通信制高等学校 として

活用されており、ここが本校となっています。

1991年度の全校児童は28名でした。

 
引き続き国道331号を進み隣の嘉陽(かよう)地区に入ります。
年季の入った表札が見えます。
 
裏面を見ると、1962年7月に同窓生一同によって寄贈されたことが分かりました。
半世紀以上経過しているのですね。。
 
2階建て鉄筋コンクリート校舎です。
 
玄関ポーチは、蒲鉾状にくり抜いた造りになっています。
上部は沖縄特有の穴の開いた花ブロックの壁が囲んでいます。
正面に観察用の大型水槽が設置されていましたが、中に熱帯魚はいませんでした。
 
太平洋の荒波をイメージした校章
 
閉校後は、一般財団法人が運営する自然学習施設、
「美ら島(ちゅらしま)自然学校」となっています。
「美ら(ちゅら)」とは、沖縄の方言で「美しい」とか「 きれい」を意味する言葉です。
 
ウミガメが心地よさそうに泳ぐ壁画が描かれています。
 
地域の小学校と連携した学習活動として「ウミガメから学ぶ環境学習」を
定期的に実施しているそうです。
 
校門付近に立つ二宮尊徳像
 
創立90周年記念に校歌を刻んだ石碑
 
小学校跡記念碑
 
小学校の輝かしい歴史が記された年表
かつて映画やドラマのロケ地にもなりました。

校庭の前は海が広がっており、ウミガメの放流も行われています。

往時の小学校の様子、歴代校長、PTA会長も記されています。
 
色褪せてきた五輪マークのオブジェ
1964年9月の聖火リレーでは、聖火ランナーが県内を駆け巡り、
聖火は旧嘉陽小学校正門前にある「聖火台」へ点火され、
その「種火」は旧嘉陽小学校で1泊したとのことです。
 
トックリヤシ越しに校庭を臨む。
南国情緒が漂いますね。。
 
太平洋を臨む校庭
6年間を学び舎で過ごしていた児童達は、
いつもこのような風景を見ていたことでしょう。
 
嘉陽小学校(2009年閉校)
小学校の跡地利用事業者として、2012年に名護市より選定された
沖縄美ら島財団が2015年に美ら島(ちゅらしま)自然学校」を開校しました。
沖縄本島北部は「山原(やんばる)」と呼ばれ、固有種を含め様々な動植物が
生息する豊かな環境が残っています。
こちらでは、ウミガメをきっかけとした学習を通して、地域の環境や
生き物に対する興味関心を育む活動が行われています。

1991年度の全校児童は28名でした。

 

隣の天仁屋(てにや)地区に入ります。
 
ブロックの花壇には、色鮮やかな南国の花が咲き乱れています。
校舎は新旧2棟あります。
 
少しピンボケになりましたが、校歌を記した小学校跡記念碑です。
 
ベージュの旧校舎
 
白亜の新校舎
天仁屋小学校(2009年閉校)
複式学級の課題解消のため、三原小、嘉陽小とともに久志小学校に統合されました。

さらに2012年4月からは、同じ地域に所在する久志中学校と施設を一体にした、

小中一貫教育校「緑風学園」を開校し再スタートすることになりました。
閉校となりましたが、新校舎はまだまだ使用可能と思われますので、別の目的で
活用されることでしょう。。
 
名護市街に戻り、国道58号を北上、羽地内海(はねじないかい)を
眺めながら国道505号を進みます。

今帰仁村に入ると、ほどなく「あいあいファーム」の看板を目印に 丘を上がっていきます。

駐車場に2階建ての建物がありますが、直売所や工房が入っています。

 

宿泊や、レストラン、ものづくり体験の案内が

訪問者に目に付くように貼ってあります。
 
駐車場から校庭へ歩いていくと、ビニールハウスや各種農作物畑が
目に入ります。
トマト、ゴーヤー、きゅうり、大根、ネギなどが栽培されているそうです。
 
草むらの中に隠れるように佇む学校跡の石碑
小学校、中学校、幼稚園が併設されていたようです。
 
巨岩に刻んだ校歌は風化し判読しづらくなっています。
 
さらに進むと、広大な芝生の校庭に鉄筋校舎が2棟並んでいます。
青空に緑の芝生、伸び伸びとした心地良い空間です。
向かって左側の教室棟だった校舎は、宿泊棟となっています。
 
宿泊棟の近景
庭先は熱帯植物に囲まれリゾート感が溢れています。
暫くは、椅子にゆっくりと腰かけてリラックスしたいですね。。
 
体育館では、各種スポーツや運動会・コンサートなどが催されています。
 

農場で飼育されている山羊

 
隣には鶏も飼育されていました。
 
隣の棟では農作物の教室(収穫から料理まで)があります。
 
こちらは島らっきょうの間です。
 
2階から1階へ下りる階段の壁一面にライトアップした
農場の写真などが展示してありました。
 
往時の学校標語がそのまま掛かっています。
 
「農家の食卓」
あいあいファームの有機・無農薬、 特別栽培の野菜やフルーツが存分に
味わえるレストランです。
 
パンやソーセージ、沖縄そばの手作り体験教室が並んでいます。
 
1階の教室は、ドレッシング、ジャム、味噌、とうふ等の工房になっています。
 
湧川小学校(2010年閉校)
閉校後は、「あいあいファーム」として利用されています。
「あいあいファーム」とは、農業生産法人(株)あいあいファームが運営する、

レストラン、宿泊棟、直売所、体験教室、工房、農場等が集合した複合施設です。

旧湧川校舎の面影を残しながら、改修を加え、とても充実した施設となっています。

 
ワルミ大橋を渡り屋我地島(やがじしま)に着きました。
2kmほどの古宇利大橋の先に浮かぶのは古宇利島(こうりじま)です。

古宇利島は、屋我地島の北に位置し、今帰仁村に帰属する人口約350人の島です。
離島ならではの美しい海や「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる伝承があることで有名です。

航空会社のCMでも話題になり、多くの観光客が訪れるようになりました。
 
橋の袂のビーチでは、外国から観光客が波打ち際で遊んだり、
写真を撮ったり楽しそうです。
パイナップルによく似た実を付けた木は、沖縄の海岸で見かける
「アダン」の木です。
透き通ったマリンブルーのビーチに良く似合いますね。。。
 
対岸から望む古宇利大橋
古宇利大橋は、2005年2月に開通した、約2km の長い直線道橋です。
両側は美しい沖縄のマリンブルーが展望できます。
しかも、通行料は無料です。
ただ、橋上は駐停車禁止ですので、立ち止まって写真を撮ることはできません。。
後続車に迷惑にならないのを確認しながら、速度を落として海上をゆっくりと進みます。
 
古宇利大橋は、沖縄本島屈指の絶景スポットとして注目を
集めています。
本州では見たことのない鮮やかで眼も眩むような美しいコバルトブルーの海です。
空から海上一面に天然の入浴剤を投げ込んだかのようですね。。
 
ライトアップされて万華鏡のように輝く貝殻たち(シェルミュージアムにて)
古宇利島の高台に建つオーシャンタワーに立ち寄りました。

自動運転のカートに約8分ほど乗って、タワーの入口まで行くようになっています。

オーシャンタワーは2013年末にオープンした海抜82mの展望施設です。
1階に古宇利島の歴史が展示されている古宇利島資料館、
2階、3階に屋内展望フロアと、屋上にオーシャンデッキがあります。
他にお土産コーナーやレストランもあります。
 
オーシャンデッキから古宇利大橋や周辺の海を望む。
息を呑むような光景です。
 
古宇利島に唯一残っていた小学校です。
 
幼稚園も併設されていました。
 
古宇利大橋を渡った高台に校舎があります。
奥に見える蒲鉾屋根の建物は体育館です。
 
正門を入ってすぐ右手(海側)に建つこじんまりとした建物は
幼稚園です。
 
反対側から撮った校舎
校舎に続く導線の校門に2体のシーサーが構えていたようですが、
向かって左側は破損、右側は消失しています。
暴風雨等の天候によるものか、悪戯によるものなのか詳細不明です。
創立百周年記念に寄贈されたものですが、残念です。。
 
思ったより、棟が連なっていて一枚の画像に収まりません。
 
体育館側に正面玄関があります。
陸屋根がずっしりと重くて玄関が潰れそうに見えますね。。
 
校章は、鳩がバンザイしているようなデザインですが、
古宇利の「古」をイメージしています。
センスは微妙ですね。。。
 
校舎の軒先は、長らく手入れもされていない樹木や校庭の雑草が
忍び寄ってきています。
 
微笑ましい学校標語
隣に「さようなら またあしたね!」が掛かっていたのですが、
消失したようです。
 
小学校、中学校、幼稚園跡の石碑
2003年度までは小中併置校だったそうです。
 
隣の岩には校歌が記されています。
周辺の美しい海を見渡せる、島で唯一の学舎らしい歌詞です。
 
児童各々の学校生活での思い出が貼ってありました。
 
「ミニ美術」とは、少数児童による小さな美術展という意味でしょう。。
 
各自の目標と似顔絵も貼ってありました。
2007年(平成19年)度は5,6年生は複式学級で6名だったようです。
 
教室からこのような景色を眺めていたことでしょう。。
 
校庭に立ち並ぶガジュマルの木
幹や枝が多数分岐していて生命力を感じます。
子供達は木によじ登って遊んでいたことでしょう。
 
ガジュマルの木の間に残る遊具
ブランコ、ジャングルジム、雲梯が設置されていますが、
存在感が薄く、ガジュマルに圧倒されています。
 
校庭から望む古宇利島周辺の海
さきほど渡った古宇利大橋がハッキリと見えますね。
 
ぼんやり眺めていたら、小型のフェリーが白波を立てて通り過ぎて行きました。
目の前の海峡は、沖縄最北の伊平屋島(いへやじま)を結ぶ海上航路となっています。
 
新造船フェリー「いへやⅢ」です。
本部半島の今帰仁村にある運天港から伊平屋村前泊港の間を
1日2往復する村営フェリーです。

距離は約41km、所要80分で運行しています。

 
古宇利小学校(2013年閉校)
島で唯一の学校でしたが、児童減少により閉校となりました。
この島の小学生は沖縄本島にある天底小学校まで通学
することになりました。

閉校となった校舎では、「おはよう またあえたね!」と

言葉を交わすこともなくなりました。

児童らを見守ってきた校舎も寂しそうです。。

1991年度の全校児童は21名でした。