愛媛県久万高原町の廃校休校巡り(2016/05/04) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

久万高原町(くまこうげんちょう)は、愛媛県中央部に位置する町です。

面積は県内市町村で最大です。

2004年(平成16年)8月1日 上浮穴郡(かみうけなぐん)久万町、面河村、

美川村、柳谷村の1町3村が合併して誕生しました。

同町は、仁淀川上流域であり、森林が大半をしめ、渓谷に沿って

集落が点在しています。

町名の通り、平均標高が800mの高原の町で、夏は涼しく、冬はスキーも楽しめます。

 

大渡(おおど)ダム大橋

大渡ダムは仁淀川を堰き止めたダムで、四国内で早明浦(さめうら)ダムに次ぎ

2番目に大きなダムです。

風光明媚な大渡ダム湖畔を眺めながら、国道33号を高知県から愛媛県へと

進みます。

 

愛媛県に入ると、仁淀川は面河川(おもごがわ)に名前が変わります。

面河第三ダムの水門を見下ろしながら急勾配の坂道を上っていきます。

斜面には石垣の棚田が見えます。

 

別のアングルで撮ったものですが、雑草に覆われており

休耕田となっているようです。

 

ヘアピンカーブの続く坂道を上り詰めると、小学校の案内がありました。

 

旧柳谷(やなだに)村の頃のまま、表札が残っています。

幼稚園も併設されていたのですね。

 

左手に体育館、中央に八角屋根の玄関ホール、右手に2階建ての木造校舎です。

 

校舎は木造ですが現代的な仕上がりになっていますね。

山のてっぺんにあり、高原特有の冷気を感じました。

空に向かってカルスト地形の山々が連なります。

 

屋根の上に小窓が幾つかありますが、通気口でしょう。

全体として、木目を活かした温もりを感じる校舎となっています。

 

創立百周年記念碑

どっしりとして重みを感じます。

 

卒業記念碑

閉校時にあすなろの植樹をしたのですね。

 

手洗い場の塀にも、卒業記念の壁画が見えます。

 

最後の児童は8名だったようです。

 

中津小学校(2001年閉校)

モダンな造りの校舎ですが、閉校となってしまったのは惜しいです。

児童たちもずっとこの温かい校舎で過ごしたかったことでしょう。

小さな山上集落に希望の灯が消えて村人たちも淋しいことでしょうね。

校舎はまだ新しいので、別の目的に使用されると思われます。

1991年度の在校児童は23名でした。

 

引き続き国道33号を西へ進み、ほどなく龍宮大橋を渡って

対岸の柳井川地区に入ります。

面河川は水位も低く流れも止まったように見えました。

 

教会かお城のように聳え立つ塔が目に留まり、近付いて行きます。

 

土砂崩れ防止の法面に、児童らの描いた壁画が。

平成10年以降の各年度の卒業記念作品です。

ペンキが消えたり擦れたりして、はっきりと見えませんが、

自然との触れ合いや楽しかった学校生活が描かれています。

 

正門入口は意外と狭く、校地は奥に深く続いています。

 

新緑のもみじの下にか細い表札があります。

 

奥に赤いアーチ屋根の体育館があり、土木工事関係の車両が数台停まっていました。

 

柳井川小学校(2005年閉校)

面河川と山の谷間の狭い敷地にある学校です。

1991年度の在校児童は44名でした。

 

国道33号を面河川に沿って北上します。

旧美川村中心部を過ぎて、途中から県道209号を有枝川に沿って北上すると

山奥の果てに民家数軒の小さな集落があります。

 

そして、原っぱに郷愁を誘う小さな木造校舎が忽然と姿を現しました。

 

育英の碑

明治15年開校より多くの優秀な人材を世に送り出しましたが、

社会情勢の変化に伴い、平成2年3月を以って自然閉校となりました。

地元の方々の追想の標として建立されたものです。

 

校庭跡は長らく手入れもされず、自然に荒廃していました。

 

板張りの壁に木枠の窓は往時のままです。

軒下にある、ブロックの重しを乗せた木箱が目に入りましたが、

無学のため、何の意味で置いてあるのか不明です。

これまでも、高知県や愛媛県の地方を走っていて沿道で見かけました。

 

管理者の方が住まわれているのでしょうか。

人の気配はありませんでしたが、ユニークなご意見箱が

戸口に架かっています。

 

久万(くま)小学校槙谷(まきのたに)分校(1990年閉校)

山奥の秘境集落、槙谷に木造校舎があると聞いて寄り道をしましたが、

昔ながらの味わい深い木造校舎が残っており、感動しました。

こじんまりとした2階建て校舎ですが、ピンクの柱で支えた正面玄関ポーチを

始め堂々たるものです。

今後もこのままの姿で残してほしいと思います。

 

美川小学校(現役)

再び国道33号に戻ると、美しい木造校舎が見えました。

沿革を調べたところ、

2002年(平成14年) 3月31日二箆(ふたつの)小学校・黒藤川小学校・

美川南小学校・美川西小学校閉校
2002年(平成14年 )4月 1日黒藤川・二箆・美川西・美川南の4小学校が統合、
仮校舎(美川村日野浦 美川南小校舎)にて美川小学校開校

2003年(平成15年) 3月14日新校舎・プール落成式(美川村大川) とありました。

校舎は新しく見えますが、10年以上経過しているのですね。

廃校ではありませんが、在校児童22名の小規模校です。(2015年度)

 

国道33号に戻り、西へ進み、さらに二名川に沿って国道380号を直進します。

県道42号との分岐点付近の高台に木造校舎があります。

セメントと石ころで固めた塀に、表札が埋め込んであります。

 

中庭の向こうにモダンな木造校舎が見えます。

 

庭園は綺麗に手入れされており、気持ちが和みます。

 

これは、アニメのキャラクターでしょうかね?

 

熊のモニュメントは、卒業記念作品でしょうか。

 

こちらは、本格的な芸術品ですね。

台座の銘板には飛翔とあります。

 

校地は意外と広く、臨時ヘリポートになっています。

藤の花が、零れ落ちそうなくらいに咲いていました。

 

高原に位置しており、冬場の寒さは厳しいようです。

そのためか、立派な屋内運動場が併設されています。

体育館を取り壊した跡地に建てられたそうです。(2007年完成)

 

平べったい屋根と、丸い笠のような屋根の建物が交互に並び

個性的な校舎群となっています。

 

高原に下りたUFOのような正面玄関棟

 

桜に校名を入れた校章

 

父二峰(ふじみね)小学校(現役)

校舎の沿革を調べたところ、

2002年(平成14年)4月、平成10年に閉校の中学校校舎跡に

新校舎完成(幼稚園も含む)移転する。とありました。

廃校ではありませんが、在校児童34名の小規模校です。(2015年度)

 

父二峰小学校を後にして、県道42号、県道220号と北上します。

民家数軒の山間集落に木造校舎が残っています。

亀裂の入ったコンクリートの門柱に表札がしっかりと組み込んであります。

 

スロープを上がった高台に校舎の横顔が見えました。

校庭は雑草に覆われ、轍の跡が土を表出しています。

 

新緑の山々を背にした静かな佇まいです。

 

玄関には、手作りの表札が掛っています。

微笑ましく感じますが、今では眺める子供たちもいません。。

 

雑草に埋もれていく母子像のモニュメント

 

閉校記念碑

保育所も併設されていたのですね。

 

校舎とは別棟のスレート屋根の小さな建物が並んでいます。

かつての保育所だったのでしょう。

 

二名(にみょう)小学校(2004年閉校)

2階建て木造モルタル校舎ですが、よく見ると1階と2階の窓の大きさが

異なります。2階の窓はサッシに取り換えられていますね。

2階の壁面には、母校への感謝の思いを込めた色とりどりのパネルが

掛けてありました。

訪れた者にも郷愁と悲哀が伝わってきます。

1991年度の在校児童は14名でした。