岡崎市(おかざきし)は、愛知県の旧三河国のほぼ中央に位置する市です。
全国的には「八丁味噌」の産地として知られ、豊田市とともに西三河を代表する都市です。
また、古より東西交通の要衝として栄え、江戸幕府を開いた徳川家康公の生誕地として、
悠久の歴史と伝統に育まれた美しい都市です。
平成15年(2003年)には中核市に移行し、平成18年(2006年)には隣接する額田町と合併し、
西三河の中心都市として発展を続けています。
新城市(しんしろし)は、愛知県東部、東三河に位置する市です。
2005年10月1日に、南設楽郡鳳来町・作手村と合併し、
県内では、豊田市に次いで2番目に広い面積を有する自治体となりました。
新城の名前の由来は、長篠・設楽原の戦いで功績のあった奥平信昌が
徳川家康の長女亀姫をめとり、現在の新城小学校の地に新しい城を築いたのが、
「新城城(しんしろじょう)」です。天正4年(1576年)のことでした。
新城市は、2013年10月に訪問しましたが、まだ訪れていない校舎も残っており
2回目の訪問となりました。
http://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11642975248.html
国道1号を東へ進み、本宿付近から国道473号に入り北上します。
県道37号を経て県道377号を鳥川川に沿って南下して行きます。
川の土手には「ホタルの里 とっかわ」の案内が見えました。
鳥川川には、現在ではほとんど見ることのないホタルが生息しています。
門柱の表札もホタル学校となっています。
鉄筋2階建てのこじんまりとした校舎です。
校舎の壁を見ても、ホタルに特化した呼び込みになっていますね。
夏の夜空を舞うホタルが絵本のページのように
メルヘンチックに描かれています。
地元の豊かな自然を詠っています。
草むらに隠れそうな閉校記念碑
常駐されていた岡崎市の職員の方の許可を得て
構内を見学しました。
「水清き故郷」
ホタルの里、鳥川に相応しい作品ですね。
鳥川小学校だった頃の思い出の写真も忘れずに
掲示してありました。
2007年6月、テレビの取材に来たときの記念写真、色紙ですね。
閉校になる3年前ですが、学校挙げてホタルの生育に取り組んでいる様子を
取材したのでしょうか。
レギュラーの二人は最近はテレビで見かけませんが、
今はどこで何をしているのでしょう。。。
生徒達の学校への思いが込められているようで
胸を打たれますね。
鳥川(とっかわ)小学校(2010年閉校)
1991年度の在校生徒は19名、閉校時は7名ほどだったそうです。
岡崎市の山間部に位置し、少子化過疎化の進行を防ぐことは
できませんでしたが、清流に乱舞するホタルと美しい自然を守る活動は
続けられているとのことです。
再度、県道37号に戻り中金町より県道334号を乙女川に沿って
南下して行きます。
災害時の避難場所の案内が目印です。
校庭では、地元のご老人達がゲートボールを
楽しんでおられました。
奥の赤い屋根の建物は体育館です。
校舎は鉄筋2階建ての普通の建物です。
中央に教育スローガンが掲示してあります。
校庭から一段上に平屋の木造建物がありますが、
講堂だったものと思われます。
手前は、体操服姿の少年像ですが、卒業記念作品でしょうか。
壁面には、1998年度の卒業記念作品が貼ってあります。
校歌を刻んだ閉校記念碑と生徒等の作ったタイル絵
大雨河(おおあめかわ)小学校(2010年閉校)
県道37号を挟んで北方に位置する千万町小学校とともに
宮崎小学校への統合に伴い閉校となりました。
1991年度の在校生徒は58名、2008年度の在校生徒は14名でしたので、
こちらも過疎が進行していたことが判ります。
現在は、地域の交流センターとして利用されているようです。
県道37号から県道334号を北上します。
千万町坂と呼ばれるカーブの多い隘路を抜けて下りた場所に
小さな集落と学校があります。
「ぜまんじょう」小学校と読みます。
閉校後、校舎は改装され地域のコミュニティセンターとして
利用されていますが、色々な行事も催されているとのことです。
郷愁漂う統合記念碑
山間部の小さな集落にある学校ですが、
少数精鋭で勝ち取った栄誉ですね。
1991年度の在校生徒は20名、閉校時は僅か5名でした。
訪れた日に、校庭を整備されている方がおられ、話をお聞きする
ことができました。
地元の有志により、音楽コンサート等さまざまなイベントを企画し
盛り上げているそうです。
学校を何とか再生活用していきたいとの熱い思いが感じられました。
今では、ほとんど見かけなくなった茅葺家屋です。
さきほどの地元の方のお話では、こちらで地元のイベントを
開催していたこともあったそうです。
現在は空き家のようです。。。
作手田原(つくでたばら)地区に「作手小学校」の表札がありますが、
実は、3kmほど南下した作手清岳(つくできよおか)地区にも、同名の校舎があります。
トーテムポール越しにクリーム色の校舎が見えます。
整備された校庭の周りには盆栽の如く、手入された
美しい植栽が並んでいます。
年季の入った二宮尊徳像
開成小学校が閉校になった後、校舎を作手小学校北校舎として
継続利用しています。
作手地区4校が統合し,新城市立作手小学校が開校しました。
旧菅守小学校と旧開成小学校の生徒は、旧開成小学校の校舎を使用し「北校舎」で学び、
旧巴小学校と旧協和小学校の生徒は、旧巴小学校の校舎を使用し「南校舎」で学んでいます。
2017(平成29)年4月1日 新校舎(高里地区)で学校生活を開始する予定です。
国道301号から県道35号へと北上し、作手菅沼地区に
入ります。
沿道から赤い屋根の校舎が見えてきました。
入口には、つくで田舎レストラン「すがもり」の看板が。
門柱と表札は往時のまま残っています。
校舎の奥の玄関にレストランの看板がありますので、
やはり営業されているようです。
ランチルームを利用して、地元の新鮮な素材を活かした料理を
提供しているそうですが、金土日曜の昼のみ営業となっています。
訪れた時は、お休みでした。
開成小学校と劣らず、校舎の庭先に見事な植栽が
立ち並んでいます。
アスナロの木
水車と閉校記念碑
素朴な校歌
校庭は、雑草も無く手入れされている様子です。
閉校後の2014年8月に つくで田舎レストラン「すがもり」として
オープンしました。
テレビでも放映され、多くの家族連れ等で賑わっているとのことです。
1991年度の在校生徒は21名でした。
新城市北部、旧鳳来町の愛郷地区に閉校となった学校が残っています。
国道257号から県道435号に入ると、道幅も狭くかなりの山奥となりますが、
不安な道程の中、忽然と3階建て校舎が現れます。
壁面には、「明泉愛郷スクール」とあります。
山に囲まれた場所ですが、敷地は広く奥行きがあります。
独特の遊具もありました。
庭先に、二宮尊徳像のレリーフがありましたが、
これまで拝見したことが無く大変珍しく感じました。
水道の蛇口に日本語と併記されているのは
ポルトガル語でしょう。
愛郷(あいごう)小学校(1978年閉校)
調べたところ、閉校後しばらくしてブラジル人キリスト教信者の子息の学校
「明泉愛郷スクール」として活用されたようです。
平成20年(2008年)頃、これも閉鎖され、現在ブラジル人家族が住まわれているそうです。
巴川に沿って県道435号を南下して行きます。
県道と言っても、林道のような悪路です。
目に入りました。
作手南中学校跡を示す石碑
教育スローガン
閉校後は、「新城市作手農村環境改善センター」となっています。
体育館と繋がっています。
周囲は民家もなく寂しい山中にあります。
訪れた日も、人影も無くひっそりとした佇まいでした。
県道435号を南下し、県道437号との分岐点にあります。
校門から校舎へ緩やかなスロープとなっています。
門柱の表札は往時のまま残っています。
教育スローガン
純朴な校歌
各人の座右の銘を描いた卒業記念作品のブロック塀
巴川のせせらぎが聴こえる静かな山間部にあります。
こちらも、盆栽の展示会のような雰囲気が漂っており、
外観は高級旅館のようにも見えました。
1991年度の在校生徒は28名でした。
作手清岳(つくできよおか)地区に立派な校舎があります。
表札は作手小学校とありますが、前身は巴小学校です。
前述のとおり、旧巴小学校と旧協和小学校の生徒は、旧巴小学校の校舎を使用し
「南校舎」で学んでいます。
2017(平成29)年4月1日 新校舎(高里地区)で学校生活を開始する予定です。
南北校舎ともにまだ現役ですから、新校舎完成後も別の目的で使用されるものと
思われます。