岐阜県山県市、関市の廃校休校巡り(2015/11/21) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。



山県市(やまがたし)は、岐阜県において平成の大合併によって誕生した最初の市です。
2003年4月1日、岐阜県山県郡の高富町、伊自良村、美山町が合併し、人口3万1千人の市と

して発足しました。

この山県(山縣)の地名は古くは山方と表記され、山方とは読んで字の通り山の方

(やまのかた、山の方面)を意味し、昔から当地が山の方にある集落であったために

この名がついたと考えられているそうです。


「ヤマガタ」の名は奈良時代以前にすでに存在していたことが奈良の東大寺正倉院に

現存する日本最古の戸籍より判っているそうです。

岐阜県美濃地方を中心とする地域、山方郡(やまかたのこおり)とは

現在の山県市の一帯を指していました。
同名の山県郡 (広島県)は同地に流罪にされた源国直がそのまま山県姓を名乗ったことを

発祥とする地名とのことです。

山県市は、3年半前にも訪れましたが、全てを見るには及ばず2回目の訪問となりました。

http://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11940659517.html



関市(せきし)は、岐阜県の中央部(中濃地方)に位置し、岐阜市に隣接、

名古屋市から約40kmの距離にあります。
2005年(平成17年)2月7日、武儀郡の武芸川町・洞戸村・板取村・武儀町・上之保村を

編入合併し、新・関市が誕生しました。

これにより美濃市を挟むようにV字型の市域になりました。

関市は「西のゾーリンゲン、東のセキ」と謳われた世界に名だたる刃物の産地であり、

優れた技術を持つモノづくりの街です
さらには、新しい観光スポットの「名もなき池」(通称:モネの池)や
「関善光寺の宝冠大日如来」(通称:五郎丸ポーズの仏像)などが評判となり、

多くの観光客が訪れるようになりました。


乾小学校16

岐阜市内から国道256号を北上します。

山県市内に入り、県道196号との分岐点に閉校した校舎があります。

赤レンガの門塀に厳つい表札が。


乾小学校5

反対側には中学校の表札がありましたので、かつては小・中学校一体型の

学校だったのですね。


乾小学校1

門を入ってすぐ茶褐色のライオンに吠えられました。。

昭和40年度の卒業記念作品です。

校舎の回りは、数々のモニュメントや卒業記念作品で一杯です。


乾小学校14

プール傍に所在なさそうに立つ信楽たぬき


乾小学校4

校舎の全景

普通の鉄筋3階建て校舎です。。


乾小学校6

側面にも校章が見えます。


乾小学校10

正面には教育スローガンが。

扉は体育館のように重厚な感じです。


乾小学校11

通路の塀に描かれた絵画。平成7年度の4年生の作品です。


乾小学校12

こちらは、平成7年度5年生の作品です。


乾小学校3

今はほとんど見られなくなった百葉箱が残っています。


乾小学校15

校庭の風景

針葉樹の杉が存在感を示していました。


乾小学校2
柔和な表情の二宮尊徳像


乾小学校7
方位を示すモニュメント

平成元年度の卒業記念作品です。


乾小学校8

こちらは、日時計です。


乾小学校13
タイル壁には、春夏秋冬の思い出が綴られています。

昭和60年度の卒業記念作品です。


乾小学校9
岩石に埋め込まれた校歌の銘板は、昭和47年度の卒業記念作品です。

乾(いぬい)小学校(2010年閉校)

山県市旧美山町出戸地区にあります。

西武芸小学校、富波小学校とともに統合され、

美山小学校(所在地は旧・西武芸小学校)が新設されました。

柿野小学校1

県道196号は奥へ進むにつれて道幅も狭くなり寂しい道程となります。

バス停脇に廃校跡があります。


柿野小学校9

門柱は往時のままです。

薄緑の屋根の建物が柿野交流センターです。



黄金色の銀杏が目を引きました。


柿野小学校2

その奥に体育館が残っています。

校舎は解体・撤去されたようです。


柿野小学校7

体育館は、柿野交流センター屋内運動場として

使用されています。


柿野小学校6

年季の入った二宮尊徳像


柿野小学校4

白ペンキが滲む閉校記念碑


柿野小学校5
記念碑の裏面には、やむなく閉校となったことへの

残念な思いが伝わってきます。



地域の美しい自然を詠った校歌

見づらいですが、拡大すると判読可能です。


柿野小学校3
柿野小学校(1997年閉校)

県道196号はこの先は行き止まりになっており

最果ての集落にある学校です。

人影もなく閑散としており、川のせせらぎが聞こえるのみです。

1991年度の在校生徒は16名でした。

柿野小学校8
傍らを流れる柿野川

沿道の花
沿道に咲く花。名前は分かりませんが、つい

一目惚れして撮ってしまいました。。


洞戸北小学校1

国道256号に戻り、関市に入り、板取川に沿って北上します。

洞戸地区の沿道から高台にフェンスに囲まれた空き地を見て

もしやと思い立ち寄りました。

入口に、避難場所を指定した古い案内図があり、かつて学校があったことを

確認しました。洞戸北小学校とあります。


洞戸北小学校3

開校百年と閉校記念石碑が並んでいます。



開校百年碑の裏には、沿革が刻まれています。

この辺りは、かつて洞戸村という村でした。

洞戸北小学校の生徒達は、尾倉、高賀、阿部、高見を校区として

通学していましたが、洞戸小学校に統合され閉校となりました。

洞戸北小学校4
近付いて凝視しないと判読できませんが、

「洞戸北小学校~114年間の伝統と栄光を刻み、ここに輝かしい校史を閉じる」

とあります。

昭和63年3月27日付けで閉校したものと思われます。


洞戸北小学校2
赤銅の二宮尊徳像


洞戸北小学校5
洞戸北(ほらどきた)小学校跡(1988年閉校)
フェンス脇の石碑や銅像は、
閉校時の忘れ物のように片隅に集められていました。


モネの池5
国道256号をさらに北上し旧洞戸村から旧板取村に入ります。

板取地区は、関市最北に位置する辺境の集落です。

板取フルーツパーク付近に差し掛かると、多くの人だかりが目に入りました。


モネの池4

別途記事にした人気スポットです。

http://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-12098190218.html


モネの池1


モネの池2


モネの池3
名もなき池(通称モネの池)

国道256号をさらに北上し旧洞戸村から旧板取村に入ります。

板取地区は、関市最北に位置する辺境の集落です。

名もなき池は、新しい名所として有名になりました。

透明度が高く保たれ、鯉も伸び伸びと泳いでいるようです。

水清くても魚は住み続ける。。。


板取渓谷1

板取渓谷2
板取川の渓谷美


板取第一小学校1

国道256号をさらに北上し、旧板取村門出(かどいで)地区付近の

高台に閉校跡があります。

かつては、武儀郡板取村には小学校が2校ありましたが、

その一つです。

校門に「おはよう」の挨拶が。微笑ましいですね。

板取第一小学校2

表札もちゃんとあります。


板取第一小学校7

中央口から撮ったものですが、こちらはレンガ造りの校門です。

表札の銘板は外されていますが、こちらが正門だったのでしょうか。。。

板取第一小学校3

枯れた芝生にパイプを組み立てた簡素なジャングルジムと滑り台が。

その向こうに体育館が見えます。
校舎は取り壊されて残っていません。


板取第一小学校5

かつては、小学校の体育館だったのですが、

現在は門出地区の体育館となっています。


板取第一小学校4

板取川を泳ぐ鮎やアマゴ、イワナのモニュメントでしょうか。

台座は苔生していつの製作か不明です。


板取第一小学校8
板取第一小学校9
板取川の流れを表したモニュメント

昭和49年度の卒業記念作品です。

板取第一小学校11
鉄棒は錆びていないので、閉校後に設置されたものでしょうか。


板取第一小学校6
昭和50年度卒業記念作品ですが、

「あいうえお と めん」意味不明です。

解読できる方は、ご教示ください。


板取第一小学校10
「さようなら」あしたもげんきに。

さきほどの「おはよう」と対になっています。

生徒達をに見守ってきた表札がそのまま残っていました。


板取第一小学校(1997年閉校)

板取北小学校とともに板取小学校に新設統合に伴い閉校となりました。

板取第一小学校の1991年度の在校生徒は95名でしたが、

2015年度の板取小学校の在校生徒は28名です。

2校を統合してもなお、過疎少子化が進行していることが判ります。
板取小学校は、「さようなら」とならないよう存続してほしいと思います。

板取北小学校6

旧板取村中切地区の消防署の裏手に

閉校跡があります。

こちらは、消防署で校舎ではありません。


板取北小学校1

石積みの擁壁を背にして石像や石碑が壇上に並んでいます。

まるで、舞台を終えた役者が観客に挨拶をしているように見えました。

思わず「ご苦労様」と声をかけたくなりました。。。


板取北小学校2

往時の門柱です。


板取北小学校3

二宮尊徳像


板取北小学校4
小学校跡石碑


板取北小学校5
昭和56年度卒業記念作品

屋根瓦に「中切」の校章が刻まれています。

かつては、中切小学校だったのでしょうか。。。


板取北小学校(1997年閉校)

往時の学校施設はすべて取り壊されており、

これらの石碑類が残るのみです。

更地にした後に、消防署が建てられたようですね。

1991年度の在校生徒は63名でした。


保木口小学校5

中切地区からさらに北上し、保木口地区の沿道に

閉校跡が残っています。

平屋の建物は地区の集会所のようですが、ドーム屋根の建物は

往時の体育館です。


保木口小学校6

体育館の全景

校舎はすでに撤去になっています。


保木口小学校4

かつては、保木口小学校の体育館でしたが、

現在は地区の体育館として利用されています。


保木口小学校8

創業記念のモニュメントと思われますが、

経年劣化しており、コメント困難な状態です。


保木口小学校9

この石碑もかなりの年季が感じられます。

かろうじて「心」の文字は判読できますが。。。


保木口小学校3

桜のデザインに「保」を埋め込んだ校章

昭和48年度卒業記念作品です。


保木口小学校2

校碑とは閉校記念碑のことでしょう。

昭和55年3月26日が最後の終業式となったようです。


保木口小学校7
記念碑群の傍らで、真紅の紅葉が目立っていました。


保木口小学校1
保木口(ほきぐち)小学校(1980年閉校)

閉校後は、板取北小学校に統合されたようです。

体育館が残るのみです。

手前の祠のようなものは、閉校後に建てられたようですが、

詳細は分かりません。


川浦渓谷1

板取川の上流にある渓谷です。


川浦渓谷3

緑青色が美しいですね。。


川浦渓谷4

さらに奥へ行くと切り立った断崖となり

渓谷美よりも恐怖さえ感じる迫力です。



板取川キャンプ場3
板取川温泉の風景

清流板取川の畔、大自然に囲まれた広々とした野外にあります。

時間があればゆっくりしたいところです。


板取川キャンプ場1

板取川キャンプ場2
晩秋の板取に高く聳えるメタセコイアが鮮やかで

印象的でした。