福岡県豊前市、上毛町、みやこ町の廃校休校巡り(2015/8/10,8/12) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。



【福岡県全土】


【京築地方の市町村】

豊前市(ぶぜんし)は、福岡県の東部、京築地域の南部に位置し、

行橋市と中津市のほぼ中間にあります。

市域南部には求菩提山や犬ヶ岳などの山々が属する筑紫山地が連なっています。
また、北部は周防灘(瀬戸内海)に面しているため、漁業が盛んです。

大分県中津市中心部までは、わずか7kmと非常に近いことから、

中津市の経済圏・生活圏に属しています。


上毛町(こうげまち)は、福岡県東部の築上郡に属する町です。

2005年10月11日、新吉富村と大平村が合併して誕生しました。
町名は築上郡が誕生する前、この地域が明治時代以前に上毛郡と呼ばれていた事に

由来しています。

同市も、文化的にも中津市の影響が強く、中津市の経済圏(中津都市圏)に属しています。


みやこ町は、福岡県の北東部に位置し、東は行橋市と築上郡の築上町、

西は田川郡の添田町・赤村・香春町、南は大分県、北は北九州市小倉南区に接しています。
平成18年(2006年) 3月20日、京都郡の勝山町・犀川町・豊津町の3町が合併して、

「みやこ町」が誕生しました。経済・文化面等で行橋市との結び付きが強い町で、

行橋市の経済圏、生活圏に属しています。


畑小学校1

国道10号を周防灘に沿って南下していきます。

築上町を過ぎて豊前市に入ると、角田川に沿って県道232号を

山間部へと進みます。

沿道から、平屋の木造校舎が見えてきました。


畑小学校6

赤い円柱ポストは、学習用のものでしょう。



正面玄関の表札は、「岩岳川河川研究所」とあります。

岩岳川は、大分県境の犬ケ岳を源流として中流で佐井川に放水されている河川です。

地域と連携して西日本工業大学が2003年に設置した研究施設です。


畑小学校5
破風の中央部にしっかりと校章が残っています。


畑小学校3

軒先には、開校百年の記念石碑が鎮座しています。


畑小学校4
校歌に詠われた求菩提山(くぼてさん)は豊前市のシンボルでもあります。

畑の清水とは、冷泉が湧き出ているとして九州三大名水となっています。


畑小学校10

手入れの行き届いた廊下の奥にも校歌が掲げてあります。


畑小学校8

畑小学校9
畑小学校(2002年閉校)

山間部の畑地区にある木造校舎です。

1990年度の在校生徒は9名でした。

閉校時も数名だったと思われます。

閉校後は、河川研究所として使用されていますが、

季節の行事は地域と連携して行っているようです。

ちょうどお盆の時期でもあり、盆踊りの準備がなされていました。

校庭には仮設テントや提灯が設営されてお祭りムードが

漂っていました。


川内小学校2


川内小学校1


川内小学校3


川内小学校5


川内小学校6

川内小学校4

川内小学校7
川内(かわち)小学校(1999年閉校)

県道230号沿いの川内集落の奥にあります。

白っぽいモルタル校舎と木造の講堂がL字型に配置されており、

渡り廊下で繋がっています。

講堂は、年季の入った下見板張りで味わい深い建物です。

校舎の正面玄関には、フォロ「すまいる・川内」と表札がありますが、

NPO法人が運営する施設として利用されています。

1990年度の在校生徒は15名でした。


旧合岩保育園1


旧合岩保育園3


旧合岩保育園7


旧合岩保育園4


旧合岩保育園5

旧合岩保育園6
旧合岩(ごういわ)保育園(現:森の学校たんぽぽ舎)

県道32号を山間部へ進み、下川底地区にはいります。

合岩中学校と道路を挟んで反対側にあります。

色褪せた水色のペンキが目に入り、近付いていくと、

小さな庭を木造校舎がコの字に囲んでいます。

地元の方に尋ねたところ、かつて、この建物は保育園であったそうですが、

閉園後は、NPO法人森の学校が運営する就労支援施設として利用されています。

掲示板には、森の学校での作業の様子が写真に収められています。

廊下の棚には、生徒達の造った木工品が並んでいました。


上川底小学校1

さらに山間部を奥に進み、上川底(かみかわそこ)地区に入ります。

上川底は県境に位置しており、県道2号はこの集落で行き止まりとなっています。

沿道に「もみじ学舎」の案内が目に入りました。

手造りの温もりを感じながら、坂道を上がっていきました。

上川底小学校2

目の覚めるような鮮やかな水色の木造校舎がありました。


上川底小学校3

校舎前の植栽も綺麗に手入れされています。


上川底小学校6

こちらの二宮尊徳像は、がっしりとした体型で

顔付きも彫が深く、まるで西郷さんのようです。


上川底小学校7

正面玄関の戸口にも木板の表札があります。


上川底小学校11

横からみると、水色のペンキが際立って見えます。

塗り立ての新築校舎のようです。


上川底小学校10

校舎裏からは、渡り階段で別の建物に繋がっています。


上川底小学校9

白い建物は講堂のようです。


上川底小学校4
校庭の左側に倉庫のような建物があります。


上川底小学校5
バイオリンの形で「もみじ工房」とありますが、

実際にバイオリンを製作しているそうです。

上川底小学校8
別の棟では、「陶芸の館」とありますが、陶芸体験もできるようです。



上川底小学校(1997年閉校 現:森の学校もみじ学舎)

さきほどの「たんぽぽ舎」と同様にNPO法人森の学校が運営している施設です。

施設内にはパン工房、バイオリン工房、銅版画工房など様々な工房があり、

特に木工芸品を中心に様々な工芸品が展示・販売されているほか、
希望者は小枝や木の実などあらゆる自然の材料を使った木工体験も楽しめるそうです。

最果ての集落ですが、このような多くの人々に楽しまれている体験施設が

あるのは素晴らしいですね。

1990年度の在校生徒は10名でしたので、閉校時には数名だったと思われます。



再び国道10号に戻り、豊前市から上毛町(こうげまち)に入ります。

友枝川に沿って県道109号を山間部へと進みます。

途中、遠方に木造校舎らしきレトロな建物が見え、気になっったので

近づいてみました。


豊前上毛シルバー人材センター2

友枝小学校の校庭の奥にあるので、

旧校舎かなと思いましたが。


豊前上毛シルバー人材センター4

実際は、「豊前上毛シルバー人材センター」でした。



正面に郷土の発展に尽力された先生の胸像が

建っていました。



旧友枝村の初代村長を努められた島先生の経歴が

掲げてあります。

この建物もかなり年季が入っていますが、

島先生の尽力で建てられたのでしょう。


豊前上毛シルバー人材センター3
見応えのある立派な建物です。

地域のシンボルと言ってよいでしょう。


西友枝小学校1

県道109号に戻り、友枝川に沿って上流へと進みます。

沿道から、校門へ続くスロープが見えました。


西友枝小学校8

校門から正面玄関への動線

両脇の植栽も手入れが行き届いています。


西友枝小学校6

「ゆいきらら」という名の地域の交流施設、簡易宿泊施設となっています。


西友枝小学校3

もみじ学舎と同様にパステルブルーの色調で

爽やかな木造校舎が青空と調和しています。


西友枝小学校5


西友枝小学校7
昭和47年(1972年)の卒業記念レリーフ

個性豊かな自画像です。

同年の卒業生は、15名だったようです。

西友枝小学校4
やはり、最初から気になったのはこの土俵です。

立派な入母屋屋根の東屋です。

調べたところ、往時の小学校では恒例で相撲大会を

催していたようです。


西友枝小学校2
西友枝小学校(2010年閉校)

現在は、改装され2012年春から「ゆいきらら」として再生利用されています。

閉校後、生徒達は、友枝小学校に編入となりました。

相撲のように「残った、残った!」という事にはならなかったようです。。。


帆柱5

大分県の廃校休校巡りをして2日後に福岡県みやこ町を経由して

帰りました。

国道496号を中津市から野峠を越えて行橋市へ向かう途中の帆柱地区で撮った一枚です。

招き猫のポーズをとっていますが、たぬきのように見えます。

なかなかユーモラスです。

「しゃくなげの里」は2011年8月にオープンした、

地元の野菜や花等を直売している施設です。


帆柱6

昭和62年(1987年)製作の観光イラストマップ

国道496号は、かつて県道2号だったのですね。

帆柱は、国指定重要文化財である永沼家住宅が知られていますが、

当日は時間の余裕がなく立ち寄ることはできませんでした。


帆柱10

校庭にはビニールハウスが張ってありましたが、

地域の特産物を育てているのでしょうか。


帆柱11

校門の表札は、判読できるものの

なかり劣化しています。


帆柱1
平屋の木造校舎です。

窓はサッシに交換されて、カーテンが閉められています。


帆柱4


帆柱3
現在は、「悠々学舎」という集会所として利用されているようです。

帆柱9
庭を反対側に、往時の体育館が残っていました。


帆柱7
昭和54年(1979年)の卒業記念作品のトーテムポール

台風で折れたのか、無残な姿で立っていました。



帆柱(ほばしら)小学校(1998年閉校)

大分県境の野峠を越えた、福岡県側の最初の集落が帆柱です。

当日は、雨が降り続いており、学校付近に

人影もありませんでした。

1990年度の在校生徒は、僅か6名でした。

閉校後は、約10km先の伊良原小学校に統合になりました。


伊良原小学校5
国道496号の下伊良原地区にある伊良原小学校は

伊良原ダムの建設により湖底に沈む運命にあります。

もう見ることができないと思っていましたが、

ぎりぎりのところで姿を目にすることができました。

正面玄関脇のポールには、国旗の代わりに

工事現場で目にする白と緑の吹流しが垂れ下がって

いました。

雨に濡れたアスファルトの校庭は、資材置き場と化し、

工事車両が出入りする区画が設けられています。


伊良原小学校3

玄関周りは、手入れされず延び過ぎた樹木や雑草に支配されつつあります。


伊良原小学校2

降り頻る雨や強風に、レンズが雲って上手く撮れません。


伊良原小学校7

伊良原小学校6

校舎から奥へ向かう通路の壁には、往時の卒業記念作品が

掲示されています。

これらの作品は、水没する前に移転先の校舎に移管されるのでしょうか。

それとも、校舎と一緒に。。。


伊良原小学校8

往時に使用していた一輪車が数台ほど

壁に凭れていました。


伊良原小学校4

伊良原小学校9
伊良原(いらはら)小学校(2012年ダム建設に伴い移転)

生徒達が壁に描いた微笑むヒマワリ、その向こうでは、

巨大なコンクリートの橋梁が組み立てられ、慌しく重機が動いていました。

ダム建設に向け、着々と工事が進んでいるようです。

移転時の2名の生徒は、上伊良原の中学校に編入となり

小中一貫教育を受けています。

伊良原小学校の歴史は古く、明治5年(1872年)開校です。

昭和21年(1946年)に焼失しましたが、2年後に新築され

現在に至っています。

福岡県で最古の木造校舎として知られていますが、

もはやその姿を見ることができる日もないでしょうね。