「松阪」を「まつざか」と読まれることが頻繁にありますが、これは誤りで
正確には「まつさか」と濁らずに読みます。
松阪市は、松阪牛の生産で有名です。
江戸時代は伊勢商人を輩出した商業町であり、現在も紀勢本線や
近鉄大阪線・山田線沿線を後背地に持つ三重県の経済拠点の1つです。
江戸時代は紀州藩領でした。
2005年(平成17年)1月1日(旧)松阪市、 一志郡嬉野町・三雲町、飯南郡飯南町・飯高町と
新設合併し、新しい松阪市となりました。
松阪出身の有名人には、西野カナ(歌手)がおります。
今回は、松阪市を中心に、一部周辺地域に立ち寄った市外の廃校休校も含めて掲載しております。
なお、松阪市内の小学校の参考URLはこちらです。
http://fukudokuhon.jp/top/syo/chizu_syo.html
博要小学校(2004年閉校)
三重県伊賀市から国道422号を南下し、旧青山町付近で
県道29号を直進し、山間部の種生(たなお)地区にあります。
正面から向き合うと端正な玄関、そして外観全体も非常に美しい木造校舎です。
校庭も綺麗に整備され、地元の方々によって大切に保存されているのが
判ります。
校舎の右手の洗い場の壁には、運動する男女生徒7名の様子と満開の桜が描かれた
微笑ましい絵が掛かっておりました。
現在は、博要市民センター(博要の丘)というコミュニティの場として
利用されております。
博要小学校付近は、ほたるが生息する豊かな自然があります。
松阪市旧嬉野町宮野地区にあります。
L字型に配置された鉄筋2階建校舎です。
思った以上に大きく重厚な校舎です。
広い校庭には人影も無く、冷たい春風が吹いておりました。
旧校舎は新校舎の付近にありましたが、講堂のようです。
無機質な鉄筋の新校舎と対照的に老朽化しているものの、
風情のある木造建物です。
壁面の薄いピンクのペンキが剥げかけておりますが、
それはそれで、歳月の重みが感じられ味わい深いものです。
これから満開に咲き誇るであろう3分咲の桜と対比して見ると
センチメンタルな気分になりました。
宇気郷の素晴らしい名前の響きに惹かれて訪れました。
松阪市内ですが、山間部の小原地区にあります。
以外にも、しっかりとした鉄筋校舎だったので少し残念でしたが、
周りは里山の美しい自然に溢れておりました。
現在は、嬉野宇気郷公民館として使用されております。
仁柿(にがき)小学校(2010年閉校)
松阪市の飯南町の山間部の仁柿地区にあります。
校舎は鉄筋のしっかりした3階建てで、十分耐久性もありますが、
過疎化のため閉校となってしまいました。
閉校記念碑の前のタイムカプセルの蓋には、当時の在校生16名の描いた
其々の思いが込められておりました。
開封予定日は、2023年4月(桜の咲く頃)とありますが、
どのような思いで蓋を開けることでしょう。
訴えるカラフルな文字の看板
勢和多気IC近くの丹生地区にあります。
休校後は、勢和東公民館として利用されております。
見た目も新しく休校舎とは思えないほど意外なものでした。
花畑の辺で休憩中の老夫婦ですが、近付いて見ると
精巧に作られた人形でした。
ふと、郷里の父母を思い出しました。
松阪市から国道166号(和歌山街道)を西へ進み関西方面に向って
引き返します。
校舎は、飯南町有間野地区の長閑な田園地帯にあります。
茶レンガの正面玄関の長細い平屋校舎です。
体育館は青い屋根の新しく堅固なものでした。
有間野小学校付近で見かけた犬(シベリアンハスキーか?)
4頭仲良くこちらを見ていたが、其々個性があって面白い。
川俣(かばた)小学校(2008年閉校)
飯高町粟野地区にあります。
校庭も広くて校舎は長大な鉄筋2階建てです。
川俣小学校は、森小学校、波瀬小学校とともに
香肌小学校に統合されました。
カラフルなタイヤの遊具が寂しく残っておりました。
校庭の片隅に咲く梅
付近は、景勝地の香肌峡があり、校名もそこから来ております。
お伽話に登場する白亜のお城のような綺麗な校舎です。
次の集落にある波瀬小学校とともに、山間部にして洋風の
非常に美しい木造校舎です。
地元の良質の木材を存分に使用して建てられたそうです。
波瀬小学校は閉校になってしまいましたが、森小学校は
香肌小学校として引き続いています。
香肌峡の渓谷美とともに。
波瀬小学校(2008年統合により閉校)
奈良県境に最も近い波瀬地区にある小学校でした。
林業の町にふさわしく スギ、ヒノキ材をふんだんに使い、
子供達に木のぬくもりの中で、学ばせ、 人間性豊かな人材を育てようとして
建てられたものだそうです。
校舎は、スペインのバスク地方の民家をイメージしたデザインで、
学校のシンボルでもある鐘塔は、 オランダ製のカリヨン四個を使用し、
ウエストミンスター寺院のメロディーを奏で、 子供達が時の流れ
「少年老い易く学成り難し」を いつか理解できることを願って設置されています。
現在は、その跡地利用として、 体験学習の場「波瀬ゆり館」が、 地域住民によって
運営されています。
閉校時の生徒18名の其々の思いがタイムカプセルに刻まれておりました。
国道166号のループ橋
奈良県境の高見峠に差し掛かると見えてきました。
峠を越えると奈良県東吉野村です。
高見峠(たかみとうげ)は、三重県松阪市(旧飯南郡飯高町)と
奈良県吉野郡東吉野村との境に位置する峠です。
1984年にトンネルが開通し大和と伊勢の垣根が低くなりました。
ただし、650mの標高にあり冬場は積雪・凍結になりやすく難所で
あることには変わりません。
私が、20代の頃に自転車で高見トンネルを越えて関西へ帰りましたが、
総延長2,470mもあり、とても長く感じられ出口の明かりまで遠かったのを思い出します。
高見トンネルを抜けて下りたところに小さなたこ焼き屋さんがあります。
当時はテレビにも取り上げられ行列ができるほどでした。
店の名は「きくや」です。現在も営業されているのでしょうか。。
奈良県東吉野村鷲家地区の国道166号沿いにあります。
くすんだ土色の壁の地味な校舎です。
廃校後、特に手入れもされておらず朽ちるままになっておりました。
追伸;
この日は沿道にて、春の陽気で咲き誇った沢山の花々を目の当たりにしました。
コメントは付けずにそのまま掲載します。