特に中北部の山間は深刻な過疎化のため、より多い地域です。
市町村の概要は、以前の記事で触れましたので省略させていただきます。
南海高野線紀伊神谷駅
国道370号を九度山町から高野町に入り、南海高野線に
沿って枝道を走って行き、紀伊神谷駅から坂道を上った場所にあります。
当日は積雪があり、途中の笠木峠辺りでスリップし転んでしまいました。
膝の内出血が数日残りましたが、幸い大事に至らずに済みました。
多少の積雪は予想はしておりましたが、廃校休校巡りの欲望を抑える
ことができずに決行しました。今考えると無謀でした。
平屋建ての木造校舎の屋根につららがぶら下がっており、
内陸部特有の厳しい気候であることが判ります。
校舎に囲まれた狭い中庭に錆付いた鉄棒がありました。
1991年度の在校生徒は僅か6名でした。
西細川小学校(休校中)
再び国道370号に戻り、紀伊細川駅付近の細川地区にあります。
小さな集落からは意外にも、鉄筋3階建ての立派な校舎です。
1991年度の在校生徒は9名でした。
国道370号を南下した新城地区にあります。
民家のような小さな校舎です。(以前の記事にも記載しました。)
私にとって、非常に印象深い校舎のひとつです。
国道370号をさらに進み、長谷宮地区にあります。
朽ちかけた校門の表札は取り替えられ、
「長谷毛原地区公民館長谷分館」とありました。
手前の木造の建物は講堂と思われます。
校舎は鉄筋2階建ての重厚な建物です。
中庭の傍らに百周年記念と校歌が刻まれた記念碑が残っておりましたが、
枯れた蔦が絡まっており、長い年月をを感じました。
1991年度の在校生徒は、僅か5名でした。
当時から深刻な過疎地域であったことが判ります。
さらに国道370号を進み、毛原地区にある木造校舎です。
瓦屋根の平屋建ての校舎の長い廊下に吊るされた風鈴が冷たい風に
揺れてカランカランと聞こえてきました。
新しい立派な建物は平成13年に建てられた体育館です。
自然に調和した和風の建物でした。
紀美野町の田地区の山の上に登った場所にあります。
校舎の隣には立派なお寺がありました。
現在、校舎はセミナーハウスとして利用されているそうです。
住職さんから聞いたところ、このような山の上にあるが、
かつては周囲の山々に小さな集落があり、生徒達は幾つもの峠を
越えてここまで通っていたとのことです。
かつて、この山々の向こうから生徒達がここまで通っていた。。
紀美野町鎌滝地区にあります。
集落を見下ろす高台に、比較的新しい鉄筋校舎と
広いグランドがありました。
国道370号から県道4号に入り、真国川に沿って進みます。
紀美野町西野地区の山間部にある鉄筋校舎です。
紀美野町の小さな集落の真国宮地区にあります。
閉校後は、「りら創造芸術高等専修学校」となっておりました。
紀美野町から細野川に沿って紀の川市桃山町に入りると、
川幅の広い中洲に細野渓流キャンプ場が見えてきました。
そのキャンプ場と集落の家並みを見下ろす高い丘の上に
校舎がありました。
山の斜面に張り付くように校舎があるため、フェンス越しの通路しか
校舎の全景を撮る場所がありませんでした。
桃山小学校野田原分校(1993年休校)
桃山町野田原地区にあります。
周囲は人家も無く寂しい場所です。
現在は、「蛍の里」という介護施設となっております。
1991年度の在校生徒は8名でした。
遊具に気が付かなければ、普通の民家と変わりません。
現在は、「きずな福祉作業場」となっております。
1991年度の在校生徒は7名でした。