京都府福知山市、宮津市の風景と廃校休校巡り(2010/10/17) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。



福知山市は、京都府北西部に位置し、京都・大阪から

日本海側へ抜ける交通の要所となっております。

大阪を起点とするJR福知山線と京都を起点とする山陰本線は、

福知山で合流します。

福知山は、戦国時代に明智光秀が丹波地方を平定し福知山城を築いて以来

城下町として発展してきました。

戦前までは、養蚕・生糸の生産が盛んでしたが、戦後の高度経済成長により

衰退しました。現在は、工業団地も整備され、北近畿を代表する中核都市となっております。

福知山市出身の芸能人には、千原兄弟や、元モーニング娘の中澤裕子らがおります。


宮津市は、京都府北部に位置し、広く若狭湾を臨む町です。

入り江は宮津湾、さらに奥は阿蘇海なる内海であり、日本三景の天橋立を形成し

風光明媚なところです。

一方で、丹後半島内陸部は、過疎化にる人口の流出に歯止めがかからず、

廃屋や廃校休校の多い地域でもあります。



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細見小学校中出分校(2001年廃校)

国道9号を山陰方面に進み、旧三和町から県道709号に入り、

山間部の中出地区にあります。

平屋建ての小さな木造校舎です。

現在は、「なかで虹の分校」という農業体験を主とした就労支援施設に

なっておりました。

1991年度の在校生生徒はわずか3名でした。



haiko-riderのブログ-金山小学校2

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金山小学校(1991年廃校)

国道9号から国道176号へ入り北上し、福知山市北部の山間集落である行積(いつもり)

地区にあります。

鉄筋3階建ての小さな校舎でかなり老朽化しておりました。(現在は解体、撤去となっております。)

玄関からガラス越しに中を覗いてみると、靴箱や備品に他校の名前が書いた

紙が数枚貼ってあるのが見えました。
他校で再利用するための貼り紙と判りましたが、どのような基準で

選定しているのか気になりました。(早い者勝ちではないでしょうが。)

廃棄せずに大切に使ってもらえると、靴箱らもきっと喜ぶことでしょう。

「金山小学校統合記念碑」は、1991年(平成3年)に市内の天津(あまづ)小学校に

統合された時のものです。

統合時の生徒は18名でした。



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haiko-riderのブログ-公誠小学校1

公誠小学校(2010年閉校)

福知山市最北部の雲原地区にある学校です。

閉校時の生徒は12名でした。

創立百周年記念の石碑の下に朝の挨拶がありました。

北稜中学校と同じ敷地内に併設されておりました。



haiko-riderのブログ-北稜中学校
北稜中学校(2010年休校)

公誠小学校と並んで建てられておりますが、こちらは

趣のある木造校舎です。

木々に囲まれ、校舎中央に伸びたフェニックスが印象的でした。



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2号機関車(明治6年製造)


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C58390号機関車(昭和21年製造)


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SL広場(与謝郡与謝野町)

福知山から国道176号を北上し、与謝野(よさの)町に進むと、

道の駅「シルクのまちかや」付近に差し掛かると、数種類の蒸気機関車が

目に入ってきます。

丹後地方で、大正期から昭和30年代まで活躍した加悦(かや)鉄道の

蒸気機関車です。

村人の足として、特産物の丹後ちりめんや、大江山で採掘された

ニッケル鉱石の運搬用として利用されました。

戦後は、自動車や電車の普及とともに姿を消しましたが、ここでは大切に

保存されております。

当時は多くの村人らに親しまれたのに、時代の流れに適応できず消えていった

悲しい運命を感じました。

その点は、木造校舎も同じです。だからこそ、愛着を感じるのでしょう。

蒸気機関車も木造校舎も、存在感のある力強い雄姿は共通点です。




haiko-riderのブログ-日置小学校畑分校3


haiko-riderのブログ-日置小学校畑分校1
日置(ひおき)小学校畑(はた)分校(1974年廃校)

国道176号は天橋立付近で宮津湾を南北に囲むように分岐し

国道178号となって延びていきます。

北方に進路を執り、日置地区から県道617号を内陸に入っていくと

突き当りが畑集落です。

20年ほど前に廃校になっているにもかかわらず、赤レンガの校舎がしっかりと

残っておりました。小高い丘の石垣の上にありました。

ここに来るまでは、地元の方に尋ねてやっと辿り着いたのですが、

道案内のお礼を言おうとすると、「折角来たのだから、家にあがってコーヒーでも

一杯飲んでから行きなさい。」と言われ、戸惑いました。

見ず知らずの私を、道を訊いただけで家に入れることは、ありえないことだからです。

他に行く予定もあり、時間が押していたので丁重に断りましたが、

村人の優しい心遣いが胸に沁みました。

通り縋りの者でも、心に鍵を掛けずに触れ合いを大切にする社会が、

ここには残っておりました。



haiko-riderのブログ-世屋小学校2

haiko-riderのブログ-世屋小学校1
世屋小学校(2000年廃校)

日置地区から県道75号を山間へ上っていくと

世屋地区に入ります。

世屋高原と呼ばれる標高のある狭い道を突き進むのですが、

過疎化により廃屋が目に付きます。

校庭は雑草に覆われ、校舎もかなり劣化しております。

海岸の集落より標高もあり風雪の厳しい内陸の集落は、

堪え切れずに山を下りる村人も多いと聞きました。



haiko-riderのブログ-世屋の碑文
世屋集落に残る碑文

世屋高原の曲がりくねった狭い道を下りていく途中で

空家となった家屋の前に残された石碑が目に入りました。

父祖伝来の土地を守れず、若い世代が次々に都市部に転出し

戻って来ない状況を案じ、世屋集落の存続を憂えた内容です。

過疎集落においては、共通する状況ですが、

私にとっては、郷里の実家を思い起こさせる、とても重い内容でした。



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haiko-riderのブログ-養老小学校波見分校3
養老小学校波見(はみ)分校(1977年廃校)

世屋高原を下りてから県道621号を再び内陸に上っていき、

奥波見地区の山間にあります。

廃校後は、「地球デザインスクール」というNPO法人の自然体験施設となっているようです。

荒廃した校庭跡に錆付いた遊具が残っておりました。

校舎の窓から突き出た煙突は、冬の厳しさを十分に訴えるものでした。



haiko-riderのブログ-日ヶ谷小学校
日ヶ谷小学校(1992年休校)

養老小学校から県道625号を再び内陸へ入っていきます。

内陸の集落同士は山々に隔てられており、一旦海側に下りてから

別ルートで上って行くという大変不便な地形となっております。

日ヶ谷小学校は、鉄筋の外観から見ても、他の廃校に比べて新しく

しっかりとしたものに感じました。

訪れた日は、地区の運動会が催されておりました。



haiko-riderのブログ-養老小学校田原分校
養老小学校田原分校(1991年廃校)

田原地区は、宮津市最北の集落です。

現在は、地区の集会所として使用されている様子でした。

廃校時の生徒数は僅か3名でした。


haiko-riderのブログ-宮津高校伊根分校1

haiko-riderのブログ-宮津小学校伊根分校2
宮津高等学校伊根分校(現役)

日ヶ谷地区から県道652号を海側へ下りると伊根地区に着きます。

宮津高校は、ロンドンオリンピック女子マラソンに出場した木崎良子選手の

母校ですが、伊根分校は、本校から26km離れた市外(与謝郡伊根町)にあります。



haiko-riderのブログ-伊根の舟屋2

伊根湾の舟屋集落を廻る遊覧船

haiko-riderのブログ-伊根の舟屋1
舟屋とイカ釣漁船

haiko-riderのブログ-伊根の舟屋3
伊根の舟屋

丹後半島東端に位置する伊根湾に230軒ほどの

独特な造りの民家が密集しております。

1階は船着場や物置、作業場となっており、2階が居住場所となっております。

1階は、車のガレージみたいなものでしょうね。

伊根湾が内海になっていて高波から守られているために、このような構造の家屋でも

破壊されることなく存続していると思われます。

これらは、重要伝統建造物群として指定され、学術上も価値あるものとして

保存対象となっております。



haiko-riderのブログ-コスモス
秋の風物詩コスモス

群生した色とりどりのコスモスが短い秋の風に

揺れていました。



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穏やかな宮津湾

10月は海水浴場も閑散として、数人が水上スノーモービルを楽しむのが

見えるほかは、目立ったものはありませんでした。

波は静かで穏かでした。



haiko-riderのブログ-栗田小学校田井分校1


haiko-riderのブログ-栗田小学校田井分校4

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栗田(くんだ)小学校田井分校(1993年廃校)

伊根地区から国道178号を宮津湾に沿って南下し、

天橋立を回り込むよう東へ進み、県道605号を栗田半島の岬へ

向かう途中にあります。

1991年度の在校生徒は、わずか3名でした。


分校の裏は、砂浜が続き海水浴場となっております。

当時の生徒たちはプールに行かなくても困らなかったでしょう。

外観から、学校ではなく海の家のような施設だと思い込んで

通り過ぎたところ、地元の方に教えていただいてやっと見つけました。

雑草に覆われ容易に近づけなかったのですが、秋風にたなびくコスモスに

誘われるように足を踏み込んで撮影しました。

窓にカーテンが掛かり内部は見えませんでしたが、

校舎の間にある四角い小さな窓枠の中に、海に浮かぶ舟を発見しました。

今でもあの光景は忘れられません。


haiko-riderのブログ-栗田小学校田井分校3

田井分校の校舎裏側に広がる砂浜