本巣市(もとすし)は、岐阜県の南西部にある市です。
2004年(平成16年)、本巣郡の4町村(本巣町・真正町・糸貫町
・根尾村)が合併して発足しました。
発足時の人口は約3万4000人。名称は郡名に由来します。
根尾地区の「淡墨桜」は日本三大桜の一つとされる名木で、
開花期には全国から多くの人が訪れる代表的なスポットです。
また、本巣市は、ホタルの保護に早くから取り組んできた地域
でもあり、自然環境を大切にしている点も魅力の一つになっています。
大垣市から本巣市根尾樽見までを走る樽見鉄道は、沿線の田園や
川沿いをゆっくり走るローカル線で、観光列車としても親しまれて
います。春には淡墨桜、秋には周辺の紅葉スポットを目当てに
訪れる多くの観光客で賑わいます。
今回は、上記の5校を訪れましたが、すでに校舎は解体済で
更地となっているものもありました。
なお、本巣市は過去にも訪れており、約15年振りの訪問と
なりました。
前回の記事は↓
岐阜県揖斐川町、本巣市の風景と廃校休校巡り(2011/07/17)
本巣市街から根尾川に沿って国道157号を北上します。
高尾地区の沿道に鉄筋校舎が建っています。
前回訪問時は、高尾小学校の文字盤が残っていましたが、
現在は、根尾幼児園に替わっていました。
幼児園は、耳慣れない言葉ですが、幼稚園と保育園の両方の
機能を併せ持った施設です。
校舎の側面
フェンスにも、根尾幼児園のひらがなの文字看板が掲げてあります。
しかしながら、高尾の校章を掲げる壁画は変わらず残っていました。
校庭から撮った校舎
遊具は閉校後に設置されたようです。
校舎の全景
校章
季節柄、やはり目を引くのは、校庭の入口に聳え立つ桜の木です。
校舎よりも高く枝を張り、満開に咲き誇っています。
丸っこいボンボンのような房が重なり合い、春風に揺れる姿に
心が癒されますね。。
校庭の様子
山手の法面には、山桜が満開です。
モクレンもこの時期に、花嫁の綿帽子のように見えて
訪れる者の目を楽しませてくれます。
花壇の水仙
二宮尊徳像
一心不乱の表情です。
閉校記念碑
裏面に刻まれた閉校への悲痛な想い
高尾小学校(1999年閉校)
沿革をみると、
1884年(明治17年) - 水鳥学校高尾分校を設置。
1886年(明治19年) - 独立し、高尾簡易科小学校となる。
1887年(明治20年) - 高尾尋常小学校に改称する。
1889年(明治22年)7月1日 - 宇津志村、高尾村、水鳥村、
松田村、大井村、大河原村、能郷村が合併し、西根尾村が発足。
1904年(明治37年)4月1日 - 東根尾村、中根尾村、西根尾村が
合併し、根尾村が発足。
1941年(昭和16年)4月1日 - 高尾国民学校に改称する。
1947年(昭和22年)4月1日 - 根尾村立高尾小学校に改称する。
根尾中学校高尾分校を設置。
1987年(昭和62年)全校児童44名
1959年(昭和34年)3月 - 根尾中学校高尾分校を廃止。
1999年(平成11年)3月 - 樽見小学校に統合され、廃校。
2015年(平成27年)4月-高尾小学校を改築し根尾幼児園が開園。
根尾幼児園では、早朝保育、預かり保育、3歳未満児保育、
土曜保育が行われています。
樽見鉄道、高尾駅
無人駅ですが、桜の大木が満開で見応えがありました。
根尾川の土手沿いに連なる桜並木
素朴な風景ですが、絵になりますね。。
樽見鉄道の終点、樽見駅にやってきました。
1956年(昭和31年)に国鉄樽見線が最初に大垣駅 - 谷汲口駅間を
開通させてから30年余り、当駅まで延伸したのは平成に入った
1989年のことでした。
樽見は旧根尾村の中心集落でした。
看板に描かれた数々の笑顔は、開通を待ちわびた地元の人々の嬉しい
気持ちを表しているように見えました。。
手作りの看板に親しみと温もりが伝わりますね。。
樽見駅は無人駅ですが、淡墨桜シーズン中(桜ダイヤ期間中)
のみ駅員が配置されます。
当日も、多くの観光客で長蛇の列が出来ていました。
ホームの列車から降りる人々
桜のシーズンですが、気動車2両だけの運行です。
2024年2月に本巣市が市制20周年を迎えることを記念して、
地元のローカル鉄道「樽見鉄道」の新たなラッピング車両が
運行されています。「モトスミライ号」です。
樽見駅から淡墨公園(淡墨桜)までは、徒歩約15分です。
歓迎の幟が歩道に沿って括り付けてありました。
マイカーでの見物客も多く駐車場は満車状態です。
駐車場の桜も満開でした。
淡墨桜は、淡墨公園内にある名木です。
公園の奥へと歩を進めます。
淡墨公園マップ
淡墨桜を中心に記念樹の桜が周りに植えてあります。
園内は広く芝生広場で寛いだり散策する人々で賑わっていました。
ひときわ目立つ巨大な桜が二本、視界に入って来ました。
手前が淡墨桜元祖、後ろが淡墨桜2世です。
名木を取り囲むように見物客が写真を撮ったり、感嘆の声を
上げたりしています。
淡墨桜は蕾のときは薄いピンク、満開に至ってはこのような
純白色、散りぎわには特異の淡い墨色になります。
淡墨桜の名はこの散りぎわの花びらの色に由来しています。
淡墨桜は、岐阜県本巣市の根尾谷・淡墨公園にある一本桜です。
樹齢1500年以上のエドヒガンの古木は、福島県の三春滝桜、
山梨県の山高神代桜と並び日本三大桜のひとつに数えられています。
1922年(大正11年)10月12日に国の天然記念物に指定されました。
近年では幹の老化が著しく、このように幾つもの添木で支え
保たれています。(人間と同じで足腰が弱くなり自立困難な様子
です。介護が必要な姿は、痛々しくもあります。)
幹内部にできた空洞も広がりつつあるようですが、樹木医や
地元の人々の手厚い看護によって守られています。
老化しても、毎年瑞々しい真っ白な花を枝いっぱいに咲かせて
訪れる者をきちんと迎え入れてくれています。
いつのまにか、感謝と労いの心で老木を見上げている自分が
いました。
旧根尾村時代から保護再生への取り組みが延々と続けられて
います。
奥の高台に奉られた淡墨観音
本尊は聖観世音菩薩で、大正時代に折れた淡墨桜の枝を彫って
製作されているそうです。
淡墨公園の様子
例年の見頃は3月下旬から4月初め、しかも晴天になる日は
限られているため、賑わいはひと時だけです。
背後には、能郷白山へ続く深い山々が連なります。
樹齢1500余年を誇る孤高の桜
樹高17.3m、幹回9.4mの大木です。
2024年(令和6年)4月、岐阜県揖斐郡池田町出身の演歌歌手、
石原詢子さんが歌唱する楽曲「淡墨桜」の歌碑が淡墨公園内に
建立されました。
「淡墨桜」
下へ下へと根を伸ばし
雨風嵐に耐えて立つ
優しく清くしなやかな
母によく似たその姿
あの故郷の山里で
凛と咲いてる淡墨桜
※当日撮った淡墨桜の動画は⇒こちらへ
根尾小学校は、淡墨桜公園から国道157号を跨いだ反対側の
丘の上にあります。
体育館は避難所にしてされています。
アスファルトの駐車場の左手に体育館と隣に校舎の側面が
見えます。
中央の四角い屋根は管理棟と思われます。
舗装路を奥へ進むと、平屋の校舎が姿を見せます。
こちらも立派な枝ぶりの桜ですね。。
フェンスの白い看板をよくみると、
「ずっと忘れない 75年間の思い出 根尾小学校」とあります。
2022年の閉校から75年前に遡ると、1947年(昭和22年)と
なりますが、学校制度改革により前身の根尾村立樽見小学校に
改称した年です。
校舎の全景
校舎前の植栽や低木により全景が阻まれますが、緑が映え
花が咲く季節には、これはこれで自然と調和して嫌悪感は
ありません。
大小の石を埋め込んだ校門
銘板はしっかりと確認できました。
校舎の前は枯草だらけで荒廃していました。
舗装路側の入口
3段の階段に中央に手洗い場、左右に教室への出入り口があります。
校庭からみた校舎
背後にも校舎がありました。
GoogleMapでみると、上図のとおり、校舎はロの字の配置と
なっています。
正面玄関の近景
校庭の様子
高台にあるので、見晴らしも良いですね。。
フェンス際の桜
ピンクの可憐な桜
モクレン
白い鳥たちが羽を広げ枝に止まっているようですね。。
男女児童の彫像
題字は「希望」
大空に羽ばたこうとする鳩は、希望を胸に将来に向かって進む
子供たちを表していますね。。
年季の入った校歌碑
根尾村立樽見小学校当時の校歌です。
一、
雪をいただく権現山
淡墨桜 日に映えて
学びの窓に 仰ぎ見る
我等が里の美しさ
いざいざ行かん いざ行かん
われら樽見の小学生
根尾小学校(2022年閉校)
1905年(明治38年) - 板屋尋常小学校、板所尋常小学校、
1947年(昭和22年)4月1日 - 根尾村立樽見小学校に改称する。
1979年(昭和54年) - 樽見小学校の敷地が国鉄樽見線敷設、
1980年(昭和55年) - 新校舎完成。現在地に移転。
1981年(昭和56年)4月 - 松田小学校を統合。
1995年(平成7年)4月 - 長嶺小学校を統合。
1999年(平成11年)4月 - 高尾小学校を統合。
2002年(平成14年)4月 - 根尾村立根尾小学校に改称。
2004年(平成16年)2月1日 - 本巣町、真正町、糸貫町、
2022年(令和4年)3月26日 - 閉校式を行う。
3月31日 - 閉校。
初等部(1 - 4年生)、中等部(5・6年生)、高等部(7 - 9年生)
雲にそびゆる権現の 高峰をめぐるせせらぎは
清き流れをそのままに にごりにそまぬ根尾の村
1881年(明治14年) - 長嶺簡易科小学校に改称。
1890年(明治23年) - 長嶺尋常小学校に改称。
1893年(明治26年) - 仙厳尋常小学校に改称。
1904年(明治37年)4月1日 - 東根尾村、西根尾村、中根尾村が
1937年(昭和12年) - 長嶺尋常高等小学校に改称。
1947年(昭和22年)4月1日 - 根尾村立長嶺小学校に改称。
1964年(昭和39年)3月 - 根尾中学校長嶺分校を廃止。
1970年(昭和45年)4月1日 - 黒津小学校を統合。
1919年(大正8年) - 尋常科1~4年の児童の通学となる。
1937年(昭和12年) - 長嶺尋常高等小学校能郷分教場に改称する。
1941年(昭和16年)4月1日 - 長嶺国民学校能郷分教場に改称する。
1944年(昭和19年)4月 - 初等科1~3年の児童の通学となる。
1947年(昭和22年)4月1日 - 根尾村立長嶺小学校能郷分校に改称する。
1957年(昭和32年) - 校舎を根尾村能郷西村267に新築し、移転。
1971年(昭和46年)3月 - 廃校。
黒津集落の風景
校庭の様子
1990年代に低温燃焼などによりダイオキシンが発生しやすく
健康・環境リスクが懸念されるなど全国的に社会問題となり
やがて姿を消していきました。
1897年(明治30年)4月1日 - 長嶺村、市場村、神所村、
1905年(明治38年) - 黒津尋常小学校に改称する。
1947年(昭和22年)4月1日 - 根尾村立黒津小学校に改称する。
1960年(昭和35年)4月 - 根尾中学校黒津分校、大河原分校、
1965年(昭和40年)10月 - 黒津中学校が廃校。
1970年(昭和45年)3月 - 長嶺小学校に統合され廃校。
1971年(昭和46年)3月 - 黒津分校休止。
1985年(昭和60年)3月 - 黒津分校廃止。


















































































































