haiko-riderのブログ

haiko-riderのブログ

2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

テーマを廃校休校巡りと木造校舎写真集に分けております。




前者は、各地の風景を織り交ぜながら廃校休校巡りの思い出を、




後者は、訪れた木造校舎を都道府県別にまとめました。




廃校休校巡りは、現在も続けております!




直近の記事は、【2022年】【2023年】【2024年】廃校休校巡りをご覧ください。




今後も随時更新していきます。スクーター




※写真は、ワンクリックまたはワンタッチで拡大できます。




※廃校と言えば、悲しく切ない思いを馳せる方も多いでしょうが、




別の目的に活用され継続利用されているものもあります。




一度は廃校となったものの、次なる使命を与えられて




第二の人生を送っている校舎にスポットを当ててみました。





【廃校再生!】を新たなテーマとして追加しました。こちらも随時更新していきます。





※廃校とは直接関係ないですが、思いつきで撮った写真や記事を




 【エトセトラ】のテーマで掲載しています。



今回は富山県内の上図の3校の廃校休校巡りです。

短編となり、所在地も富山市、高岡市、氷見市とバラバラですが、

ご了承ください。

 

小羽(こば)小学校は富山市街から国道41号を南下、

神通川上流の小羽地区にあります。

3棟形状の異なる建物が並んでいますが、右から体育館、

管理棟、校舎です。

 

重厚な体育館

 

管理棟の玄関は、3連アーチ屋根が印象的です。

職員室や奥に講堂があります。

 

左側の木造校舎は管理棟と繋がっています。

 

タワーのような鉄骨が目を引きますが、国旗掲揚台でしょう。

 

 

玄関も教室もサッシ、四角四面な外観です。

 

校庭の様子1

 

校庭の様子2

草の絡まったバックネットと横倒しのサッカーゴール

 

黒っぽい岩は何でしょう。。

 

表面は校章だけです。

 

裏面の銘板は沿革が記してありました。

閉校記念碑だったのですね。

 

小羽小学校(2009年閉校)

沿革をみると、
1875年(明治8年)須原小学校として創立
1890年(明治23年)小羽小学校に改称、現在地に移転
1947年(昭和22年)黒瀬谷村立小羽小学校に改称
1953年(昭和28年)大沢野町立小羽小学校に改称
1987年(昭和62年)全校児童 28名
2005年(平成17年)富山市立小羽小学校に改称
2009年(平成21年)大沢野小学校へ統合に伴い閉校
2010年(平成22年)地域住民の校舎存続の願いを受けて、

「NPO法人こば」が設立される。
当初は、NPOが中心となり、自然体験教室や婚活イベントなど、

さまざまな催しを企画し、地域活性化に取り組んでおられましたが、
運営に限界もあり、その後は旧小羽小に魅力を感じた人に団体会員

となって利用してもらうネットワーク型組織へと転換されたようです。

現在は、カフェやショップが開かれている他、ライブ、ドローン教室、

撮影会、イベントなどでも利用され、地域住民だけでなく、

地域外の人にとってもコミュニティーの場になっています。
 

能越自動車道、高岡IC下車後、小矢部川を渡り、県道29号を

北上、赤毛小学校に行く途中、沿道に廃校を見つけて立ち寄ります。

一見すると体育館のような外観の校舎です。

 

 

校舎の隣に体育館が繋がっています。

 

玄関の近景

 

一文字銘板

 

校章

 

木板の表札には、高岡市埋蔵文化財センターとあります。

部屋の窓にも貼ってありました。

 

係りの方に挨拶をして内部を見学させていただきました。

廊下の壁際には、埋蔵文化財に関連する本棚がずらりと置いて

あります。

 

部屋の中には、高岡市教育委員会と記載したコンテナボックスが

見えますが、発掘した文化財をここで保管しているようです。

 

階段を登ってみます。(2階から撮影)

 

2階の天井は吹き抜けになっていて開放的です。

2階から見下ろすと、1階はホテルのラウンジのように見えました。

 

メモリアルルーム

往時の面影が残っている場所があるかとお聞きしたところ

この部屋を案内していただきました。

 

教室の様子

木製の机や椅子、黒板などが往時のまま保存されています。

 

改めて見ると、とても小さいサイズに驚きます。。

 

陳列棚には、トロフィーや盾、表彰状など栄光の数々が

大切に保存してありました。

 

校時表

 

往時の表札、閉校記念式典の文集

 

閉校式の様子を伝える新聞記事

 

閉校式次第の表紙には、大正期や戦後間もない頃の木造校舎の

モノクロ写真があります。

 

感謝の横断幕を背景に撮った最後の集合写真

 

玄関の前に立つ男女の学童像

空に向かって叫んでるようです。

 

台座の銘板には、山彦というタイトルの詩です。

 

閉校記念碑

 

裏面の校歌碑

一、

須恵の山から二上かけて
虹が架かるよ 七色虹が
あれはぼくたち わたくしたちの
夢のかけ橋 理想にもえる
西広谷の みんなのこころ

 

西広谷小学校(2014年閉校)

高岡市北部、氷見市に近い山間部にある小学校です。

沿革をみると、

1892年(明治25年)開校
1987年(昭和62年)全校児童 48名
2009年(平成21年)小規模特認校に指定
2014年(平成26年)国吉小学校への統合に伴い閉校
閉校時の全校児童9名 

小規模特認校とは、地元以外の児童を受け入れる制度です。

児童減少対策として、通学区域外の市内全域から希望者を募り、

数家庭が保護者の送り迎えで通学し、市街地では味わえない

豊かな自然環境の中で独自の体験ができ、子どもらや保護者も

喜んで制度を利用していました。

しかしながら、2014年3月に通学区域内の児童が全て卒業してしまい、

新たな入学予定の児童もいないことを理由に、廃止となりました。
現在は、高岡市埋蔵文化財センターとして活用されており、

埋蔵文化財展示のほか、高岡の歴史を見て・触れて・体験できる

施設となっています。

構内の一角に往時の教室の様子や思い出、栄光の数々が

大切に保存されているのをみて心が温かくなりました。

卒業生らが懐かしく振り返る場所を残してあげてるのですね。。

偶然立ち寄った廃校ですが、訪れた甲斐がありました。

 

引き続き県道29号を北上、氷見市に入ります。

しばらく進んだ赤毛地区に廃校が残っています。

往時の校門と表札を確認しました。

 

右手前から校舎、講堂、平屋校舎(正面の赤い屋根)です。

 

樹木に覆われ老朽化した2階建て木造校舎が横たわっています。

 

斜め反対側から撮影

車が数台停まっているのをみると、何か作業されている様子です。

製材するときのチェーンソーのような音が聴こえます。

木工所となっているのでしょう。

 

草むらに絡まれた老校舎

 

玄関の近景

 

廊下の様子

木板や端材などで埋め尽くされ雑然としていました。

 

赤小文房具店

2階には文具を購買する小部屋がありました。

 

校舎の隣に講堂があります。

 

内部の様子

思ったよりも綺麗に整頓されていました。

地区の行事等で使用されているのでしょう。

 

児童らの描いた絵画

沙弥殿祭は地域の伝統的なお祭りなのでしょう。

神輿を担ぎ練り歩く人たちが、躍動的に描かれています。

全体に鮮やかな配色で、絵画を前に心も明るくなります。

 

正面の平屋校舎は特別教室棟です。

 

板張りの壁に木枠の窓、味わい深い校舎です。

 

校舎の右端に入口があります。

 

この校舎は工房として使用されているようです。

 

ろくろを回して作った陶器の原型がテーブルに並べてあります。

 

廊下の様子

 

保健室の室札

 

工房の機材等でいっぱいです。

 

理科室の室札

 

教育目標とスローガン

 

「本となかよし」

本に親しもうとの意味でしょう。

 

時間割表

行事予定表

 

他の建物もいくつか見えますが、最も古そうに見える茅葺屋根の

建物は閉校後に建てたようです。

学校の施設ではありません。

 

薄汚れた教育スローガン

 

校歌

一、

ああ宝達よ たちの嶺よ
はるかに仰ぐ 澄むところ
幼な血潮の 清らかに
友情の花 咲きかおる
我等が学ぶ 赤毛校

※小学校児童には少し堅苦しい歌詞ですね。

 

赤毛小学校(1997年閉校)

氷見市南部の山奥に残る木造校舎です。

1987年(昭和62年)全校児童 16名

1997年(平成9年)3月に近隣の久目小学校への統合に伴い

閉校となりました。

1955年(昭和30年)竣工の2階建て校舎は経年劣化し、

床が抜けそうな所もあり、長く持ちこたえられないように感じました。

工房の代表によれば、数年後には解体予定とのことです。

講堂は赤毛コミュニティーセンターや地区の避難場所として、

特別教室棟は工房や陶芸教室として使用されています。