haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

テーマを廃校休校巡りと木造校舎写真集に分けております。




前者は、各地の風景を織り交ぜながら廃校休校巡りの思い出を、




後者は、訪れた木造校舎を都道府県別にまとめました。




廃校休校巡りは、現在も続けております!




直近の記事は、【2022年】【2023年】【2024年】廃校休校巡りをご覧ください。




今後も随時更新していきます。スクーター




※写真は、ワンクリックまたはワンタッチで拡大できます。




※廃校と言えば、悲しく切ない思いを馳せる方も多いでしょうが、




別の目的に活用され継続利用されているものもあります。




一度は廃校となったものの、次なる使命を与えられて




第二の人生を送っている校舎にスポットを当ててみました。





【廃校再生!】を新たなテーマとして追加しました。こちらも随時更新していきます。





※廃校とは直接関係ないですが、思いつきで撮った写真や記事を




 【エトセトラ】のテーマで掲載しています。



左京区(さきょうく)は、京都市の北東部に位置し、

同市を構成する11区の内の一つです。

久多(くた)は京都府京都市左京区の最北端に位置し、

古くから林業、炭焼きを生業とした地域でしたが、産業構造の

変化により人口流出、過疎少子化が進行しています。

現在は、農作物として甘藷の栽培や山菜加工が開始される一方、

豊かな自然を活かして、夏は鮎やいわなの渓流釣りや

キャンプ場などのアウトドアを楽しむ人々で賑わいます。

 

今回は久多地区の廃校(久多小学校、久多中学校)と、

夏の風物詩の北山友禅菊を見に出かけました。

北山友禅菊がちょうど見頃を迎えているとのことで、そこが主眼と

なりましたが、その途上の廃校も気になっていたので、

セットで訪ねました。

学校と友禅菊の位置関係は上図の通り、1.5㎞しか

離れていません。

大阪方面からは、国道161号(湖西道路)を北上、真野IC下車後、

国道477号を経由し国道367号(鯖街道)を北上、

大津市葛川梅ノ木から府道781号、久多川沿いに110号を

西へ進みます。

 

沿道の右手に木造平屋の建物と奥に鉄筋の建物が見えます。

手前は、久多小学校の講堂、奥が久多中学校校舎です。

 

航空写真ではこのような配置になっています。

久多川を挟んだ向かいに校庭があります。

 

講堂の全景(西側から撮影)

切妻屋根、ピンクと白のツートンカラーの壁面です。

左京区では、大原小学校百井分校(1991年休校、2018年閉校)も

同じ系統の配色でした。

 

講堂の正面

窓ガラスの内側に細かい目の鉄格子が組み込まれています。

ガラス割れ防止のためでしょう。

講堂兼体育館として利用されていたと思われます。

児童は往時から少数だったのでしょうか、こじんまりとしています。

 

講堂の裏側(西側から撮影)

背後は山が迫ってきて奥行きは狭いです。

 

講堂の東側(入口)

小学校の閉校後は、中学校の生徒が使用していたのでしょうか。。

 

校庭の様子1

刈り込まれた跡がありましたので、手入れはされているようです。

地域の行事等で使用されているのでしょう。

校庭の様子2

 

校庭の様子3

小さなバックネットと朝礼台、そして道具倉庫。

 

校庭の様子4

児童らが遊んでいたであろう、古タイヤの遊具。

往時は直線に並んでいた列や高さが乱れて、雑草が絡まっていました。。

 

久多小学校(1981年閉校)

東隣には久多駐在所がありますが、その付近に校舎が

あったとのことですが、現在は姿を消しています。

(校舎解体後の更地に駐在所が他の場所から移転してきたとのことです。)

今残っているのは、木造モルタル平屋の講堂のみです。

早くから休校となっていましたが、1981年(昭和56年)

大原小学校への統合に伴い閉校となりました。

久多地区に残った児童は、近隣の滋賀県大津市立葛川(かつらがわ)

小学校に越境通学しています。

葛川小学校も小規模校で児童は33名(2023年度)です。

 

かつての久多中学校校舎は、京都市久多いきいきセンター

として活用されています。

 

正面玄関

 

久多中学校(1996年閉校)

鉄筋校舎の外形は往時のままですが、壁面はウグイス色を基調に、

塗装されています。

内部は見ておりませんが、1階と2階は改装されていますが、

3階は往時の教室等の面影が残っているそうです。

少なくとも1987年(昭和62年)にはすでに休校となっていましたが、

1996年(平成8年)大原中学校へ統合に伴い閉校となりました。

 

学校跡から引き続き府道110号を久多川沿いに進みます。

途中で見た、久多の案内マップです。

京都市左京区の最北端に位置する久多では、花笠踊や川地蔵、

松上げなど多くの年中行事が行われています。

 

当日は、北山友禅菊まつりが開催されていました。

 

北山友禅菊の咲いているのは、久多川の上流です。

清らかな渓流となる涼しい風の通る場所です。

 

ちょうど見頃の時期にあたり、一面に北山友禅菊が咲き誇って

います。

 

友禅菊祭りでは、入場料500円を払うと、10本の花束を

サービスしてくれます。

 

たち掛け、野良着姿の女性モデル

当日は、9:30、11:30、13:30の3回、30分の撮影会が

催されていました。

数人のモデルさんが友禅菊を摘む姿を観光客やカメラマンたちが

取り巻いていました。

 

入母屋茅葺屋根の古民家と、友禅菊の花畑は絵になりますね。。

 

久多では、民宿を営んでる古民家が点在しています。

 

久多のシンボルフラワーとなっている北山友禅菊は薄紫色の

清楚な花で、7月末から8月上旬に見頃を迎えます。

 

薄紫色の絨毯は、夕方になれば、赤紫色に変化するそうです。

 

 

この時期にこの場所でしか咲かない花、北山友禅菊。。

 

北山友禅菊

由来を紐解くと、京都市左京区の最北端、久多の里に

自生していた数種類の野生菊をかけ合わせて品種改良し、

1996年(平成8年)頃から栽培を始めたそうです。

切り花として出荷していた時期もありましたが、現在は景観用と

なっています。

華麗で鮮やかな薄紫色の北山友禅菊に癒されました。。