三増峠古戦場に行った時の記録

 

道中にあったラオス文化センター

ちょっとおもしろそう

三増峠の戦いとは

みまとうげで発生した、武田信玄軍 VS 北条氏康軍の戦い
神奈川県相模原市愛川町で起きたとされ、現在は石碑がある
 

 

経緯

1554年ごろ
武田氏:信濃を攻略したい (背後となる今川、北条から攻撃されたくない)
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武田信玄(33歳)
 
北条氏:北関東を攻略したい (背後となる今川、武田から攻撃されたくない)
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北条氏康(39歳)
 
今川氏:遠江、三河を攻略したい (背後となる武田、北条から攻撃されたくない)
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今川義元(35歳)
 
という三者の思惑から、甲相駿三国同盟が締結
武田・北条・今川で一旦仲良くなる
 
その後、今川氏は織田氏と対立
1560年に桶狭間の戦いで今川義元が敗死
 
アロー on X: "織田信長(戦国BASARA) 悩んだら使うキャラ三位。 第六天魔王を実際に自称した信長公、 BASARAでは本物の魔王になって  スタンドみたいのも出せる。 初代から一貫してかなりの悪役。 かなり冷徹だが、 家康とかには結構甘い一面もある。 人間じゃねぇとか ...
織田信長(26歳)
信長が上総介を名乗っていた時期が1549~1568年らしい
戦国BASARAの濃姫が上総介様って呼んでいた気がしたのでBASARAの画像を使ったけど、
30後半はいってそう
 
1565年頃、武田氏の対外方針が変わり、織田氏と同盟を結ぶ(今川氏が弱体化したため)
織田氏と対立している今川氏はこれに反発し、武田氏への塩を差し止めたり、上杉氏と同盟を結んだり、
婚姻関係を解消したりして、武田-今川間の緊張が高まる
 
1568年 武田氏が甲相駿三国同盟を破棄し、駿河侵攻を開始
 
今川氏と同盟している北条氏が、武田氏を封じようと横槍を入れてくる
武田氏は北条氏を黙らせるため、小田原城を攻撃する
 
小田原城攻撃は失敗
撤退する武田氏と、追撃する北条氏の間で発生した戦いが三増峠の戦い
 

アーカイブ「合戦場石碑」

 
アップ
 
石碑や合戦内容を紹介する看板、休憩所がある
 
戦国期最大規模の山岳戦だったらしい
 
撤退路を読む北条と待ち構える武田の動きが紹介されている
 
陣立て図
 
何か近くで出土したらしい
 
いろいろ情報があって面白いなあここ
 

アーカイブ「首塚」

古戦場碑から少し進むと首塚がある
三増峠合戦の戦死者を弔ったとされる
 

アーカイブ「胴塚」

首塚とは逆方向にちょっと下ると胴塚の看板がある
首級として取られた首は首塚、残った体は胴塚に埋葬されたらしい
 
島津豊久(ドリフターズ)
怖い
 

アーカイブ「田代城跡」

三増「峠」というだけあって、ここまで来るのにきつい坂を登ってきたが、
首塚からこれまたきつい坂を下ると愛川中学校がある
石垣風味のところに田代城址の看板がある
 
 
武田信玄の小田原攻めの中で落城したらしい
城主は北条家臣の内藤下野守秀勝、三郎兵衛秀行。ゲーム画像はなかった。マイナー武将発見伝
 
城址としては、石塁跡と八幡社が残っていると書いてある
石塁跡というのはここのことだろうか
八幡社を探しに行く
 
この看板位置から、左上に田代古城なるマーカーをGoogle先生は示すが
これは罠である。あの位置には何も無い
 
愛川中学校の左側を回り込むと2つ行ける道がある
左側がGoogle先生の罠で、右側の道を行くと八幡社に行ける
 
右の道は学校の敷地内に続いている
 
 
奥に進むとくそでかいタブノキがある
愛川町指定文化財 天然記念物
 
そのすぐ横に八幡社がある
画像でみるとそうでもないが、実際行ってみると薄暗くて結構怖い
 

アーカイブ「細野城址」

ここから更に行くと細野城跡がある
馬渡坂という坂がきつすぎるので自転車で行くことは大変おすすめしない
 
 
城主は田代城の城主でもある内藤下野守秀勝で、田代城を築く前にここに住んでいたらしい
空堀などの遺構は国道開通により消滅したとある
 

感想

情報がいっぱいあって楽しいが坂道がきつい
 

戦利品

財布を忘れたのでなし
地酒をすごいアピールしている酒屋さんがあったので後悔しながら帰る羽目になった。悲しい