昭和15年1月15日に、静岡市の中心街を焼き尽くした大火災がありました。

世にいう「静岡大火」ってやつですね。

 

『静岡市火災資料誌』(長田克俊・1986年)によると、そもそもの出火の原因は「新富町1丁目29、大工職 海野孝蔵方で昼食の仕度のため、カンナ屑や杉皮木端をかまどに入れて湯を沸し、いつもの事として別段気にもとめず掃除などをしていると、一時にパッとついたカンナ屑が煙突から飛び出し、僅か5mばかり離れた隣家の同町1丁目28、荷馬車業 興津栄方の厩舎の屋根に落下した」ことだとされています。ここからさらに飛び火が広がって、中心街全域を焼いたというのが定説ですかね。Wikipediaでもそのように説明されているし、Wikipediaが参考文献として挙げている資料も一様に同じことをいっています。

 

私自身、この記述について今まで特に疑問を持っていなかったのですが、最近になってどうもこの紹介の仕方には問題がある、と思うに至りました。

というのも、この後に出火原因を作った(とされる)海野さんの奥さんが、失火罪に問われることになるのですが、第一審・控訴審・上告審といずれの裁判でも、犯罪事実の証明ができずに無罪となっているので。

裁判所が無罪と判断した人を、あたかも犯人であると紹介することは、いくら過去の事とはいえ、やはり問題があるように思います。

 

↓下は昭和16年8月29日付けの静岡新報夕刊2ページ。実際にこの紙面が作られたのは前日の28日になります。第一審と第二審が無罪とした理由が詳しく書いてありますね。

 

↓は昭和16年8月29日の静岡新報朝刊3ページ。証拠不十分で無罪とありますが、多分、証拠不十分で上告棄却(結果として無罪が確定)となったんじゃないかと思います。

 

被告人となった海野さきさんは、我が家の煙突のはずがないみたいなことをいっていますが、周りの人から見たら「あの煙突が怪しい。ちょうどあの時間に火を使っていたし」ってなっちゃったんでしょうね。

事実がどうなのかはわかりませんが、とりあえず、Wikipediaの静岡大火に関する紹介ページはもう少し書き直した方がいいんじゃないかと思います。もはや時代を超えた冤罪ですよ。