静岡市にはガッカリですよ。

実は私、静岡市役所に対して、永久保存文書の閲覧をめぐって目下闘争中なのですけれど、静岡市は目下逃走中ですわ。

私の言っていることがもっともすぎるためか、静岡市は逃げ回るばかりで、返事もよこしてくれません。あんまりにも(文字通り)話にならないので、イライラが溜まってきました。そこで、ストレス解消のために久しぶりにブログを投稿する羽目になっちゃいましたよ。

 

静岡市のダメなところ①

私、昨年の1月25日に、蒲原町の議会会議録(昭和初期のもの)の閲覧を申請(申し出)したのですけれど、いまだにその閲覧ができていません。申請を出したのは今年じゃないですよ。昨年です。すでに1年と2か月が経過しましたよ。よく、公文書の公開(というか、情報公開)については、大量の閲覧請求に対して権利の濫用だとかいってますけれど、これは逆パターンですね。確かに現在のところ、静岡市には公文書管理条例がなく、特定歴史公文書の利用請求権に関する規定も存在せず、したがってその運用については市役所の裁量に委ねられているところが大きいのですけれど、何でもやっていいというわけではありません。閲覧の申し出から1年2か月以上も放置するというのはもはや異常な事態であり、これは市役所がもつ裁量権の濫用・逸脱だと思います。もちろん、再三にわたって私は督促をしていますけれど、担当者から返事をよこすとかなんとかいいながら、そもそもその返事も寄こしません。きっと、やましいところがあるのでしょう。

 

静岡市のダメなところ②

私、昨年の7月に、静岡市議会に対して公文書管理条例を制定するように、と陳情書を提出しました。その趣旨説明もしましたけれど、そのときの市役所総務課の説明には一部納得しがたいところがあったので、(陳情の本筋に関わる内容ではないのですが)今年の1月になってから、直接市役所に赴き、改めて市役所の考え方を聞いてきました。私の考えと市役所の考えとは根本的なところで異なっていますが、そのときに話題となった論点を簡単にまとめれば、「死者の情報」は「個人情報」には含まれず、特に公文書が作成・取得されてからおよそ100年という、かなりの年月が経っている日露戦争の死者の名前については、公開しても問題はない・むしろ公開すべきだというのが私の考え。それに対して、「死者の情報」は「個人情報」には含まれないものの「個人に関する情報」には含まれ、100年前に作られた公文書に記載がある日露戦争の死者の名前といえども、依然として保護されるべきだというのが、そのときの市役所の回答です。その考えはよくわかりました。それならそれを、紙に書いてくれよと文書でもって申し出たのですが、一向に連絡がないまますでに2か月が経過しました。紙に書けないのは、きっと、やましいところがあるからなのでしょう。私からすれば、紙に書けないことは言うなってところですけれど、ついに私からの督促を無視し始めましたよ。

 

静岡市のダメなところ③

さて、そろそろ年度末ですね。私の予想では、おそらく年度末ギリギリになって返事が来るのではないかと思っています。というのも、去年がそうだったから。去年は、3月30日の23時過ぎになって、ようやく私の申し出(永久保存文書の閲覧)に対する返答が届いたことがありました。私としては(若干の期待も込めていますが)今年もそうなるんじゃないかと思っています。おそらく、私の言っていることがもっとも過ぎるにもかかわらず、静岡市はこれまでに散々おかしな対応をしてきた自覚があるから、年度末ギリギリになってようやく返事をよこすという対応になっているのでしょう。

 

まったく、静岡市はダメダメですね。フェアネスの精神が微塵も感じられません。いったいこれはどうなってるんすかねー、難波さん。

 

↓下は私からの問い合わせメール。市役所総務課からの返事は(再三にわたる督促にもかかわらず)来ていません。

ちなみに、私の個人情報についてはマスキング処理をさせてもらいました。まぁ、名前くらいなら市議会の議事録を読めば簡単にわかるんですけどね。というか、現在行われている議事録の公開に鑑みれば、陳情者の氏名を公開しているくらいなんだから、蒲原町の議会の議事録(ましてや大昔につくられたもの)なんて、ほとんどマスキング処理する箇所なんてないでしょうに。なんでここまで時間がかかってるんですかね。