元日に発生した能登半島の地震では、現時点で200名以上の方が亡くなったようです。

石川県では、遺族の同意が得られた場合には、死者の名前を公表しているのだそう。

でも、遺族の同意って必要なんですかね?

遺族の心情に配慮するというのが建前上の理由だと思いますが、正直、誰もかれもが疲弊をしている中で、そんなことに貴重な労力を使ってしまうのはやめた方がいいんじゃないかと思います。それに、遺族にしても同意を求められること自体が心理的に大きな負担となるのではないかと思うし、職員だってそんな確認作業はやりたくないだろうと思います。

 

では、公表はやめるべきかといえば、私はその結論には反対で、死者については同意を得なくても(氏名といった単純な情報なら)情報を開示すべきだろう、と考えます(神奈川県なんかはそんな方針を掲げているそうですね)。

やはり行政が得た情報というのは、国民・住民が共有する知的資源であるし、死者についてはその情報を保護する必要性が少なくなってしまうのが人間社会の現実であるし、逆にいつまでも遺族の感情に配慮して、ずっと非公開としてしまったら、事実が何なのかもその内わからなくなってしまうだろうし。

私なんかからすれば、実名とともに死因も公開されたことで、よりリアリティーをもって我が事のように今回の災害を受け止めることが出来ました。

逆に、公開すべきでないという人に聞きたいんですけど、いつまで非公開とすべきだと考えているのですかね。また、どんな基準でそれを決めるのか。遺族が永遠に秘密にしてほしいと願い出た場合はどうするのか?私が死んだことは秘密にしてほしいといった(武田信玄みたいな)個人的な希望を、どこまで社会は聞き入れるべきかという問題が起こるだろうと思います。

 

まぁただ……、「公表」となると、私にも少し疑問に思うところはあります。

本来は情報開示請求があった場合に、その請求をした者に対してだけ情報を開示するというのが筋でしょう。ただ、地震の死者名といった多くの請求が予想される情報となると、いっそのこと公表してしまった方が行政の負担は減り、そうである以上は公表という手段をとることが合理的な判断なのだろうなと推察します。

 

そもそも本来はあんまり騒ぐことでもないだろうと思いますが、一つ付け加えると、個人情報保護法は、「個人情報」を生存する個人に限定しており、もともと「遺族の同意」は要件でも何でもないんですよね。それでも行政側が遺族の同意を求めている一番の理由は、実は単なる「事なかれ主義」なのではないかと思います。氏名を公表することで、何らかの(自らの)責任問題となることを恐れているだけだろう、と。

つまり、公表(死者の情報の開示)を巡って行政側が隠そうとするから問題となるのであって、淡々と公開していれば、本来は問題にもならないことではないか、と思います(メディアスクラムのような問題は、行政の問題というよりかはメディア自体の問題だと思うし、行政が公開しようがしまいが、その問題は起こり得るだろうと思います)。

実際に、過去の大規模災害では死者の氏名を公開した自治体もあったけれど、特に問題はなかったという話ばかりだし。

 

もちろん、「死者の情報」といえども、一定の範囲内で適切な保護はなされるべきだと思いますが(公文書管理法の考え方に準じて、原則30年間は保護し、センシティブな情報なら例外的にさらに長期間保護する、といった考え方など)、あまりに個人情報の保護に走って、何でもかんでも匿名化が進められてしまうと、いつかそのうち、社会全体に対してしっぺ返しが来ちゃうんじゃないかと思います。

今回の問題はすでにそのしっぺ返しの一端だと思いますが、これをきっかけにして、解決に向かって進展することを切に願います。